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『主戦場』 (SHUSENJO:The Main Battleground of The Comfort Women Issue) | |||||
監督 ミキ・デザキ
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戦争報道には優れた戦場カメラマンが必要で、そのカメラの捉えた息遣いの伝わるようなショットのなかに宿っている真実の力が観る者の心を打つわけだが、臆することなく作品タイトルに「慰安婦問題の主戦場」を掲げた、製作・監督・脚本・撮影・編集・ナレーションを担うミキ・デザキの見事な戦場カメラマンぶりに唸らされた。 ただ主戦場での論戦バトルを映し出すのではない。双方の陣営が繰り出す弁から触発された自身の疑問点についてのファクトチェックを丹念に取材していった様子が窺え、論争の発端から背景に至るまで追っていたことに感心した。1965年当時のことやそれ以前の事々は、僕が小学生以前のことだから同時代的記憶とは言い難いが、いずれも仄聞した覚えのある事々だ。河野談話以降の1990年代から後のことは、いずれも僕の記憶にあることと符合していた。既に還暦を過ぎている僕と違って、三十代半ばの日系アメリカ人が、ほんの五年ほど前から寄せた関心によって撮り上げたとは思えない実に真っ当なスタンスに快哉を挙げた。 そういう点から、本作で述べられた事々は、概ねほとんどが既知のことであり、映し出された論客の大半はその立ち位置ともに覚えのある人物だったのだが、文字で名前を知っている者の顔が映り、表情や口調が伝わってくると、その存在感が倍加してきた。十七年前の『日本鬼子 日中15年戦争・元皇軍兵士の告白』の拙日誌以来、つい最近の『太陽の子 てだのふあ』まで幾度も言及してきた“自由主義史観”なるものを標榜する「新しい歴史教科書をつくる会」の藤岡信勝副会長の肉声を初めて聴き、改めて学究とは程遠い弁に呆れた。 知らなかった人物で最も印象深かったのは、日本会議最大のスポークスマンと紹介されていた櫻井よしこの後継者だと藤岡信勝が推していたのに、2015年頃からすっかり姿を見せなくなった人物として登場していた日砂恵ケネディ氏だった。転向のきっかけは、捏造事件だと教えられてきた南京大虐殺に関して、紛れもない事実だと認めざるを得ない資料に触れたことだったと述べていたが、現在の彼女が語る自由主義史観の名の下の歴史改竄主義の嘘を告発する弁には重みがあった。 もう一人、強い印象を残した人物は、“アクティブ・ミュージアム女たちの戦争と平和資料館”の渡辺美奈氏で、強い反省の弁とともに独り歩きし始める数字の使い方には、いまは非常に慎重になっていると語っていたのが目を惹いた。独り歩きした数字とは慰安婦20万人の件だ。極端なところでは50万人にも膨らませていたらしいが、その推計方法の乱暴さには唖然とさせられるものがあった。渡辺氏は今では「少なくとも4、5万人以上」という言い方に修正しているとのことだ。年齢に関してもそうで、'91年に証言者として脚光を浴びたキム・ハクスンが17歳だったと語り、戦時の慰安婦募集広告でも17歳から23歳までと記されていたなか、「10歳前後の年端もいかない少女が…」といった言辞が糾弾者から発せられたりしていることも踏まえてであろうが、ミキ・デザキの最後のナレーションが非常に重要だと感じた。 曰く、(これまで映像で示してきたとおり、雑駁で粗暴な論証しか持たない)歴史改竄主義者たちに対抗する側が極端に悲劇的な逸話証言や派手な数字に飛びつくことで歴史改竄主義者と同じ土俵に堕ちて彼らに突かれる隙を与えてしまうとともに、一般の支持者の信用を失いかねないことになるというもので、その愚を戒めるものだった。煽りがろくでもないのは、自動車の運転に限らない。締め括りがこの弁だったことで、本作は、非常に意義深い作品になっていたように思う。僕は、いま日本で顕在化している反韓嫌韓プロパガンダに対抗する抗議活動に従事しているわけではないが、本作を観る人の多くには既に積極的にそういった活動に与している人がいて、彼らにとっては、本作で論証していた反韓嫌韓プロパガンダの欺瞞性と危険性の指摘は、既知以上のものであるに違いない。2015年末の“慰安婦問題における日韓の歴史的合意決着”について『やっちゃれ、やっちゃれ![独立・土佐黒潮共和国]』の読書感想文に「ひたすら国内の政権批判から目を逸らせるための最も下品な常套手段として、相互にあれだけ挑発の応酬を重ねていた日韓の現政権なのに、アメリカが要求してきたら、掌を返してたちどころに慰安婦問題に関する政府間合意を臆面もなく交わしたりするところに、そのような情けないほどの対米従属の性根が如実に表れている気がしてならない。そういう文脈のなかで唱えられている“首相の改憲発言”なればこそ、改憲の側には与しようがなくなるわけだ。」と記したとおり、僕のように慰安婦問題に殊更強い関心を寄せていたわけではなくても、長年の映画観賞歴などから多少なりともメディア・リテラシーを意識する立ち位置で報道等に接していれば、自ずと認知できるようなことは、今更ながらのものだろうから、その部分ではなく、ミキ・デザキの最後のメッセージを心してもらいたいと思った。 折しも先ごろ、いまの反韓嫌韓プロパガンダを真摯に憂い、在日バッシングに対抗するアクションに積極的に取り組んでいる方が、「国家とメディアが丸ごとヘイトクライムをやり、関東大震災の虐殺もなかったことにされようとしているような今日の日本の状況に、(在日の)みなさん心底、“蔑視とかいう域を超えて、殺されるのではないか、というような恐怖感”を覚えているということです。」と述べているのに触れた。本当に在日の人々が皆そのような恐怖感を覚えているのだろうかと、その言葉のあまりの強さに少々たじろぎ、旧知の映友である在日の女性に「実のところ、どうなんだろう?」と訊ねてみたりしたことがあったばかりだけに、改めてミキ・デザキの実に真っ当なスタンスに快哉を挙げたのだった。 編集の妙として目を惹いたのは、日砂恵ケネディ氏の証言にあった6万ドル供与によるアメリカでのメディア工作の件だ。「その件については、非常にデリケートな部分があるので、話したくない」との櫻井よしこの弁を継ぐことで、事実であるとの心証を与えると同時に、ブロガーのテキサス親父ことトニー・マラーノや、四十年近く前のテレビのクイズ番組で人気を博した米人弁護士ケント・ギルバートの活動がその種のものであるような印象を積極的に与えていたように思う。新聞等でも報じられた上映禁止と損害賠償を求めた東京地裁への提訴とはこれだったのかと思うと同時に、背後にある日本会議と安倍政権の関係を示すことで、その供与金の出所を官房機密費だと臭わせる確信犯ぶりに、なかなかクレバーなものを感じた。 ミキ・デザキのインタビューに応じた歴史改竄主義者たちのように馬脚を露す隙を見せない映像編集ならではの巧妙さだと思う。それについては、一言も言葉にしていないから、そのような表現意図があるという訴え方をすれば、その部分を言葉にするのが訴える側になってしまうので、墓穴を掘る形になる。だから結局、インタビュー時の説明と違って商業利用だとの肖像権侵害や“歴史修正主義者”とのレッテル貼りによる名誉棄損だという素人目にもあまり勝ち目のなさそうな請求原因で提訴したのかと思うと同時に、勝ち目がなさそうでもとにかく訴え出ないわけにはいかない圧力がスポンサーサイドから掛かったのではないかとさえ思わされた。そういったリアクションを炙り出すための編集だったとすれば、まんまと作り手の罠に嵌まったと言えるような展開に実際なっている気がする。果たして実のところは、どうなのだろう。 推薦テクスト:「ケイケイの映画日記」より http://www.enpitu.ne.jp/usr1/bin/day?id=10442&pg=20230407 | |||||
by ヤマ '19. 9.18. 美術館ホール | |||||
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