『SHADOW/影武者』(Shadow[影])
監督 チャン・イーモウ

 四年前に観た妻への家路以来となるチャン・イーモウ作品だったが、スクリーンで繰り広げられるケレンと迫力に衰えはなく、大いに愉しんだ。冒頭、大きく目を見開いていた女性が観たものは、これだったのかと、オープニングに繋がるエンディングでのシャオアイ【小艾】(スン・リー)の目を観ながら、聡明で気丈な彼女は、この後どうするのだろうと思った。

 思えば、彼女が夫の都督(ダン・チャオ)の影武者(ダン・チャオ)の純真にほだされて、その寝床を訪ねなければ、ここまでの惨事は起こらずに、夫の目論見通り、領土を取り戻した後、彼が沛国の王座に就いていた可能性が高かったのに、結果的に都督を死に至らしめたわけだから、すんなり影武者の都督の妻を続けることもできないのかもしれないと思うほどに、修羅場を潜り抜け、彼女が一夜を共にしたときの若者とは別人に変貌した影武者を見詰める目に怯えが走っていたような気がする。

 都督も覗き見さえしていなければ、影武者の母親を殺めさせたりはしなかったはずだから、少なくともあのような形で命を落とすことにもならなかったろうにと思う一方で、あれだけ不信と権謀術数の蠢く権力闘争の場に身を置いていれば、習い性になっていることなのだろうと思わぬでもなかった。

 また、得てして男は、相方女性の浮気に対して相手の男よりも女性のほうを咎めがちで、女性は逆に、浮気した相方男性以上に浮気相手の女性のほうに敵意をむき出しにする傾向が古今東西あるように感じているのだが、そういうのは既に過去のものとなっているのかもしれないとも思った。

 ただし、都督の場合は、敢えて小艾に持ちかけて正に「琴瑟相和す」とも言うべき琴の演奏を交わし、小艾の心底を探ったうえでのことだったことに加え、影武者に対する飼い犬意識があったから、妻よりも彼のほうに対して憤りが強かったと言える気もする。権力闘争と権謀術数にかまけて妻を孤閨に放置した過ちに対する悔恨を述懐させていたあたり、脚本も担っていたチャン・イーモウの過去の個人的な想いが反映されていたのかもしれないという気がした。そのくらい、小艾のほうには出来心色が強かったように感じられた。だからこそ、エンディングを観ながら、この後、彼女はどうするのだろうと思ったような気がする。けっこう奥の深い作品だったように思う。
by ヤマ

'19. 9.16. TOHOシネマズ4



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