『あの日のオルガン』
監督 平松恵美子

 先に観て来た妻が「もうずっと泣き通しで大変やった」と零していた映画だ。戦時中の疎開保育園を描いた作品だから、結婚前に保母をしていた彼女には一入のものがあったのかもしれないなどと思いながら観に行ったのだが、僕も随所でグッときてしまった。市井の名もなき気高き人々の姿に心打たれながら、昔の人は本当に偉かったなぁと感慨に耽っていたら、この疎開保育に参加した保母と当時の子供の交流が今なお続いているとの画像がエンドロールに現れて仰天した。

 もう75年も前のことなのだから、保育園児はともかく保母は当時、何歳だったのだろうと恐れ入った。怒りの乙女だの笑いの乙女だのといった話が出てきていたが、本当に乙女の年頃だったわけだ。映画の最後で、疎開保育の発案者だった主任保母の楓(戸田恵梨香)が「私の歳は幾つだと思う?」と問い掛けて保母の耳元で歳を囁いた後「だから、怒るしかなかったの」と言っていたときに、気丈に主任保母を務め上げるうえでの已む無さを告げるのが相当な若年だったのだろうとは思っていた。だが、七人の侍とも呼ぶべき保母たちの年齢は、僕の想像を越えて途轍もなく若かったようだ。ますますもって頭の下がる思いに感じ入った。

 彼女たちが疎開によって東京大空襲の惨事から救った保育園児は53人にも上るという。軍隊も政府も国民など守る気は更々なくて、妻に先立たれ未就学児を二人も抱えるシングルファーザーに赤紙で徴兵に掛けていたなかで、何の生産性もない消費民だとの、まるで現政権与党の某女性議員たちの弁のような中傷も浴びながら、さまざまな苦労を重ねつつ完遂したのだから、全く以て見事という他ない。

 楓から「貴女が子供から好かれるのは、優秀な保母だからではなくて、貴女自身が子供だからよ!」といった手厳しい指摘を受けて凹んでいた光枝(大原櫻子)に、疎開保育園の賄婦(奥村佳恵)が、彼女の“笑いを引き出せる力”の掛け替えのなさを説いて励ます場面や、不運に見舞われて先立った憧れの好子(佐久間由衣)への喪失感に塞ぎ込んでいた光枝に、初っちゃん(堀田真由)の掛けた言葉が素直に沁みてきたのは、やはり大原櫻子が光枝をよく体現していたからなのだろう。文化的生活の核にあるのは、笑いであるとの作り手の想いをよく伝えていたように思う。そして、光枝が色づいた枯葉を降り注がれて細やかな幸福感に包まれる画面が心に残った。

 それにしても、天晴れなセットの造りや衣装だった。保育園児の顔立ちともども、往時の雰囲気を画面が実によく伝えているように感じた。撮影を担った高校の同窓生(近森眞史)に大いに感心した。戦時ものの映画としては、近年出色の考証と造形だったように思う。そして改めて、爆弾ではなく焼夷弾を大量投下して非戦闘員たる住民を焼き払うホロコーストばりの虐殺という他ない攻撃を繰り返していた米軍の非人道性に憤懣やるかたないものが湧いてきた。同時に、敗戦の日前日の熊谷市の空襲を印象づけていたあたりには、無条件降伏を出し惜しんで戦争終結を遅らせ、徒に国民に犠牲を強いた軍部や政府、昭和天皇に対する痛撃が込められているようにも感じた。

 やはり、戦争こそは絶対悪だという他ない。そういう悲惨な状況のなか、一夜で10万人ともされる犠牲者を出した東京大空襲を招いた日米の戦争遂行者たちの対岸に、ほとんど徒手空拳で53人の幼い命を守った乙女たちがいたわけだ。どちらの魂が気高いかは、余りにも一目瞭然だから、感涙が止まらなかったのだろう。いい映画だった。




参照テクスト:平松監督のリツイート
by ヤマ

'19. 9.19. 美術館ホール



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