『未来のミライ』
監督 細田守

 一般的に「いい映画」とか評されそうな気がありありとするものの、おとうさん(声:星野源)、おかあさん(声:麻生久美子)はじめとする登場人物のキャラクター造形が、僕には、あまりしっくりこなくて響いてこなかった。じつに真っ当でシンプルなメッセージをヘンに凝った造りで見せようとしている意匠に、波長が合うか合わないかの違いが大きいのだろう。

 ついつい色々やってるな、などという冷ややかな目で眺めてしまいがちになるのは、細田作品との相性が良くないのかもしれない。思えば、映画日誌にはしていないけれど、十一年前に観た『劇場版アニメーション 時をかける少女』['06]について二十五年前の原田知世の実写版を僕は劇場では観ていないせいか、あまりよく覚えていないのだが、このアニメーション作品が清新ないい映画であることは判るものの、今ひとつ乗り切れなかった。それは、千昭や功介のキャラのせいだったかもしれない。昭和四十年の原作小説に材を取りながら、今時はやりの“昭和レトロ”には向かわず、2005年に行われた“ベルリンの至宝展”のポスターやケータイが普通に出てくる現代に置き換えているのは好感が持てるものの、それだと男二人のキャラが何十年も前の少女漫画のイカス男子生徒そのままで、どうにも今の香りがしてこない。 まぁ、少女漫画的キャラは、普遍のものなのかもしれないけれど、甘酸っぱさを味わいつつも、ひどくバーチャルな感覚に見舞われていた。と記していたことに通じるものがあるような気がする。

 同作同様に世評の高かったサマーウォーズ['09]についても「面白いと言えば面白く観た映画なのだが、どこか落ち着かない気持ちの悪さが終始付きまとっていたような気がする」としていたのだが、おおかみこどもの雨と雪['12]は割と気に入っている。本作についてはバケモノの子['15]の映画日誌に『サマーウォーズ』で“覇権と戦闘”に焦点を当て、“つながりの大切さ”を訴えつつも、どこか手前味噌的な正義と全能感というものに対していささか無頓着であることが透けて見えるように感じられた細田守が、『おおかみこどもの雨と雪』で焦点を当てた“育ち”を深化させつつ活劇に仕立て上げたうえで、「刀は表に持つものではなく、胸の内に持つものだ」と訴えていた本作を、今の時勢なればこそ、強く支持したいと記していたこともあって楽しみにしていたのだが、『おおかみこどもの雨と雪』を『時をかける少女』と『サマーウォーズ』に先祖返りさせたような味の悪さがあって、落胆せずにいられなかった。
 
by ヤマ

'18. 7.28. TOHOシネマズ8



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