『ラッキー』(Lucky)
監督 ジョン・キャロル・リンチ

 タイトルクレジットの直前に映し出された「Harry Dean Stanton is」と続ければ、ラッキー(ハリー・ディーン・スタントン)というのは彼の演じた主人公の名前であると同時に、ずばり「ハリーはツイてる」との一文にもなるわけだが、エンドロールとともに最後に流れた、ハリーに捧げられた歌“月明かりに輝く男”を聴きながら、改めてオープニングタイトルを想起させられる彼の役者冥利を思った。

 ハリーはラッキーであり、ラッキーの生活はハリーの生活であるような映画だった。家族はいないかもしれないけれど、行きつけのダイナーの店主ジョー(バリー・シャバカ・ヘンリー)をはじめとする気の置けない隣人たちに恵まれ、少しばかりの知的刺激を日々の糧とする今日と変わらぬ明日が訪れることにいささかの疑念も抱いていなかったものが突如揺るがされる契機というのは、案外そういうものなのだろうという納得感があった。それとともに、まるで何者かが遣わしてくれたかのような自分と同じ大戦経験者の口から、オキナワ戦の過酷な状況にあって見せていた“少女の微笑み”というサジェスチョンを得る幸運にも恵まれていた。ところで、ラッキーがクロスワードパズルに悩むたびに掛けていた電話の相手先は、何処だったのだろう。なんとなく僕は、現在は使われていない番号に掛けていたのだという気がしている。ともあれ、反知性主義の時代に似つかわしくない哲学的示唆に富んだ静かな豊かさが素敵だった。

 そして、近所の雑貨店主の女性ビビ(ベルティラ・ダマス)から十歳になった息子の誕生祝パーティーに招かれ、大家族に恵まれている境遇を少し羨む想いとともに悔恨を滲ませつつ、やおら彼が歌い出した「ボルベール」に、十年前に観たボルベール<帰郷>を想起した。友人ハワード(デヴィッド・リンチ)が「王の気高さとおばあちゃんの優しさがある」と語っていた悠々たる歩みの陸亀ルーズベルトの帰還が示していたものは、ハリーが見舞われた不安と怖れの乗り越えによるルーティーンの取り戻しなのだろう。長寿の亀の歩みの風格と重なるハリーの歩く姿が目に残る、破格に素晴らしい遺作だと思う。




推薦テクスト:「TAOさんmixi」より
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1966092036&owner_id=3700229
 
by ヤマ

'18. 7.20. あたご劇場



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