『バケモノの子』
監督 細田 守


 もう来年には小学生になる子どものいる長男がまだ幼い時分だったように思うが、女の子向けのアニメが戦闘ものになってくるなかで、遂に『ドラえもん』までもがヒーローもののスタイルをなぞり始めたことに衝撃を受け、嘆息した覚えがある。一般映画の夏の戦記物が、戦争反省という意味での反戦色を減じて戦没者追悼色を濃くし、いいかげん好戦的なアメリカ映画が“強いアメリカ志向”のレーガン政権以降、ひときわ繊細さや知性を後退させてくる傾向を見せ始めたなかで、対米追従文化に染まっている日本市場が毒されているように感じていたことが、三十余年を経た今になって日本社会の土台を揺るがすようになってきているように思う。

 だから、予告編を観て、もうアニメ動画の“守るだの戦うだのという話”にうんざりしてきているので見送ろうと思っていた作品だった。しかし、映画愛好家の先輩と先ごろ呑んだ際に、「これはいいんだ!」と言っていたので観ることにしたのだが、先輩はおおかみこどもの雨と雪よりもサマーウォーズ派なので、『サマーウォーズ』より『おおかみこども…』派の僕からすると一抹の不安があったのだけれど、思った以上に面白くて満足した。

 楓(声:広瀬すず)との出会いが訪れるまでは、こんなものかと思っていたのだが、勉強して言葉と知識をきちんと習得して世界を広げることを喜びとして描き、二つの世界を行き来するようになって俄然面白味が増してきたのだった。そのせいか、白鯨ならぬ黒鯨が青く光り輝くモビーディックとなって暴れだすのを観ても興が覚めることなく、長じて心に闇を宿すようになった一郎彦(声:宮野真守)の姿に対して有り得た自分を見る蓮(声:染谷将太)に納得感を覚えていたのだが、エンドロールに中島敦の『悟浄歎異』がクレジットされるのを見て、「そうか、九太(声:宮崎あおい、染谷将太)は、沙悟浄だったか」と思い、「さすれば、蓮に知を開いた楓こそは三蔵法師だったんだな」とにんまりさせられた。悟空たる熊徹(声:役所広司)の世界と三蔵法師たる楓の世界を行き来して成長していく青年が最後に戻るのは、やはり九太ではなく蓮のほうでなければならない。

 英題としての“The Boy and The Beast”に“The Beauty and The Beast”を思い、熊徹に対する九太が『美女と野獣』におけるベルだとは察していたけれども、猿顔のバケモノ多々良(声:大泉洋)と豚顔のバケモノ百秋坊(声:リリー・フランキー)が登場して、なぜ沙悟浄がいないのかと思っていたら、九太だったわけだ。多々良と百秋坊の二人が、立派に育った九太を眺めながら「誇らしいなぁ」と交わし合っていた言葉が沁みてきた。実の子であろうがなかろうが、次世代の育ちに関与することに勝る甲斐と喜びはないのではないかという気がする。

 そして、『サマーウォーズ』で“覇権と戦闘”に焦点を当て、“つながりの大切さ”を訴えつつも、どこか手前味噌的な正義と全能感というものに対していささか無頓着であることが透けて見えるように感じられた細田守が、『おおかみこどもの雨と雪』で焦点を当てた“育ち”を深化させつつ活劇に仕立て上げたうえで、「刀は表に持つものではなく、胸の内に持つものだ」と訴えていた本作を、今の時勢なればこそ、強く支持したいものだと思った。




推薦テクスト:「お楽しみは映画 から」より
http://takatonbinosu.cocolog-nifty.com/blog/2015/07/post-c290.html
by ヤマ

'15. 7.30. TOHOシネマズ9



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