『幼な子われらに生まれ』
『ハッピー・エンド』(Happy End)
監督 三島有紀子
監督 ミヒャエル・ハネケ

 僕には幸いにも、離婚経験すらないから連れ子再婚は想像の域外にあるが、実の娘であってもまことに扱いにくい“魔物”とも言うべき十二、三歳の娘のことは、知らないわけではないから、それが連れ子であれば、いかばかりかと思う。

 田中信(浅野忠信)たちが再婚したのが四年前とのことだから、小学二年生、当時はむしろ実父と違って家庭的な継父に殊のほか懐いていたであろうことが容易に推察できるだけに、薫(南沙良)の変貌ぶりに衝撃を受けるばかりか、就学前の可愛い盛りの次女恵理子(新井美羽)にも同じことが訪れるかもしれないとの危惧を抱いてしまうと、逃げ出してしまいたくなるのも道理だろうと思った。それを引き留めたものは何だったのだろう。ちょっと無理筋のようにも感じたが、沢田(宮藤官九郎)は思わぬ働きをしたのかもしれない。終盤、信が薫に、理由は訊かずに気持ちを訊いていた場面がハイライトだったように思う。

 おそらく信は再婚してから、妻の奈苗(田中麗奈)以上に、薫に応えたくて、会社の本部長から同期の中で一番期待されていたにもかかわらず、いっさい残業せずに有給完全消化で飲み会も一次会で帰るマイホーム主義に邁進するようになっていたのに違いない。幼い女の子には、それだけの力がある気がする。それなのに、突如、悪魔的なまでのしっぺ返しを食らわされたのだから、その不安が次女に対しても及ばないわけがない。

 前妻友佳(寺島しのぶ)との久しぶりの再会において問われた「…しなければよかった」について余り思い当ることがなくて応えられなかったのであろう信に、彼女の発していた「全部全部全部、後悔すると思う」との悲痛な声が、最も苦しいときに蘇り響いたのではなかろうか。だから、薫に気持ちは訊いて理由を訊かなかったのだろう。

 薫自身も、自分で自分の苛立ちの理由がわからなかったに違いない。おそらく十三年前の友佳にもそれが言えるのだと思う。そして、信は、そんな薫の変貌ぶりに苛立つなかで家庭崩壊の瀬戸際まで行っていた。よくぞ引き戻してきたものだ。あのぬいぐるみは、田中家の宝物となるべきものだろう。家のなかが落ち着いてくると、リストラ狙いの冴えない仕事に対しても、それまでと違って信が晴れ晴れとした顔つきで臨めるようになっていたのが印象深かった。

 それにしても、信の実娘の沙織(鎌田らい樹)がスマホを持っていたから、時世的には現在なのだろうが、いま四十歳あたりの信と友佳が偲ぶ学生時代が、なぜサザンオールスターズと森田童子なのだろう。ずっと第一線で活躍を続けているサザンはまだしも、森田童子はないだろうと思わずにいられなかった。

 ところで、奈苗と信の間に生まれた幼な子は、どっちだったのだろう。女難の相に憑りつかれているとしか思えない信なれば、今度もまた女の子に違いない。ご愁傷様、である(笑)。

 作品タイトルに対して「ハネケが『ハッピー・エンド』って、ブラック・ジョーク?」というのが気になって東京で観たばかりの映画では、薫と同じ年頃のエヴ(ファンティーヌ・アルデュアン)が、父親ではなく母親のほうが異なる赤ん坊を得ているなかで父親への不信と反発を露にしていたが、こちらのほうは父たるトマの落ち度が半端ではなく、物語の筆致も実にハネケらしく、不謹慎で皮肉っぽく厭味に満ちた救いに乏しい作品だった。13歳のエヴを演じたファンティーヌ・アルデュアンがとても目を惹いたのだが、『幼な子われらに生まれ』を観て、この年頃の女の子には全く油断がならないと改めて思った。

 ハネケの前作愛、アムールと同じく、ジャン=ルイ・トランティニャンとイザベル・ユペールが老親と娘を演じていたのだが、自分の映画日誌を読み返すまで前作をほとんど思い出せずにいたことに寄る年波を感じた。セブンス・コンチネントを観て以来、ずっと気になる監督で、ピアニスト『白いリボン』、『愛、アムール』と観てきているわけだが、高知で上映されたのは『セブンス・コンチネント』と『愛、アムール』だけのようだ。果たして本作は、上映されるのだろうか。



*『幼な子われらに生まれ
推薦テクスト:「シネマ・サンライズ」より
http://blog.livedoor.jp/cinemasunrise/archives/1070256543.html
推薦テクスト:「映画通信」より
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1962360838&owner_id=1095496
 
by ヤマ

'18. 3.15. あたご劇場
'18. 3.10. 角川シネマ有楽町



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