『息の跡』
監督 小森はるか

 大学院に進む直前の大学最後の3月に東京で出くわした東日本大震災にどう臨むべきか、東京を逃げ出したくて被災地ボランティアに向かった美大生が、次第に北上するなかで住み着いた陸前高田市で出会った「佐藤たね屋」の主、佐藤貞一さんの'13~'16年を捉えたドキュメンタリー映画だ。

 津波で流された自宅兼店舗跡に建てた手作りのプレハブの脇に据えてあった看板の「播きどき、植えどき、買いどき」が僕には、'13年、'16年、'18年に思える作品だった。映画上映後の話のなかで、震災直後はとてもカメラを向ける気になれなかったと語っていた小森監督にとっての“播きどき”は、二年後の'13年に他ならず、佐藤貞一さんが拘っていた、証言や伝承の不確かさを排した記録保存の重要性の件と、復興計画に基づく土木工事のなか、工事現場で現に40cm沈んでいる地盤を沈まないと言うしかない市の職員を気の毒がって「苦労してんのは、あの人たち…俺にはやれねぇ仕事だ」と、揶揄でも憤懣でもなく語っていた姿に、複数の自殺者まで出して中央官庁と政権を揺るがせる大地震となっている公文書問題を想起せずにはいられなくて、'16年作品の本作の“買いどき”は、まさに今だというふうに感じた。

 ポルトガルに残る来日宣教師による1611年の津波被災の記録が地元に伝わる伝承よりも正しいはずだと、論理的ではありながらも割と雑な計測で実証していた場面が印象深く、記録を地元に残していても津波で流されるだけだとばかりに、独習した英語で被災事実を綴り、自費出版するばかりか、頁増の大幅改訂を重ねるとともに、中国語やスペイン語での執筆に励み、海外にも出向いて行く佐藤さんの行動は、かなり個性的で、復興の取組みとしても特異な部類に属するに違いないのだが、観ているうちに、その記録がまさに彼の語る“希望の種、復興の種、幸せの種”であり、その改訂と販売を行っているからこその「たね屋」であることが沁みて来た。選ばれた言語が英語と中国語とスペイン語であることへの感心に通じるような、どこか奇妙な納得感に我知らず笑みが漏れた。

 ジャンル的には震災ものドキュメンタリーとして捉えられがちでありながら、そこに位置する数多の作品とは一線を画しているように感じられたのは、そういうどこか不思議感を漂わせつつ、独特の安定感で飄々と喋り続け、朗々と外国語で読み上げる佐藤さんの声の力とともに、カメラのもたらす安定感にあった気がする。作品の印象として、安定感が最も先に来るような震災ものドキュメンタリーを僕は他に知らない。佐藤さんの気負わず弛まず記録を綴り、拡散させて残す営みの“息の跡”は、やはり掛け替えのないものだと思った。

 ところで、小森監督にとっての“植えどき”がなぜ '16年だったのかは、映画を観ても思い当らず、ちょっと気になったのだが、上映会後の夕食を共にする機会を思い掛けなくも得て、これ幸いと訊ねてみたら、成程まさに“植えどき”だったのだと大いに納得した。てっきり大学院進学から逸れてしまったのだろうと思っていた、彼女の卒業制作として仕上げたものを山形国際ドキュメンタリー映画祭に出品したところ、コンペ作品からは漏れたけれども、東京の映画人が数多集う場で上映される機会を得たことで目に留まり、劇場公開の打診を受け、再制作することになったようだ。編集に秦岳志が加わり、彼がプロデューサーにも名を連ね、ポストプロダクションによってブラッシュアップして卒業制作版とは異なる本作ができあがったらしい。まさしく播かれた種によって芽を出していた苗を、劇場公開という場に植え替えたのが、まさに '16年だったわけだ。佐藤さんの構えていた看板にそういう意味はもちろんないはずなのだが、面白い巡り合わせだと思った。

 また、アフタートークのときに主催者代表の方が感銘を受けたと言及していた“地中から引き抜かれ天空に延びていく井戸のパイプ管”のエンディングショットに関して、気になっていた「なぜ最も高く伸びた場面で切らずに倒れて視界から外れるまでを収めたのか」について訊ねたら、強い反応でラストショットの編集にはプロデューサー兼エディターの秦岳志との意見のぶつかり合いがあったことを教えてくれた。エディターは、地中から抜いた長いパイプ管が地面に倒れ落ちたあと佐藤さんが「終わったぁ」と呟くところまで収めるべきだと主張したのだそうだ。パイプを抜く前にポンプを外したときにも「終わったなぁ」と零していた佐藤さんは、おそらくこの日の“津波で流された自宅兼店舗跡に建てた手作りのプレハブ”の解体作業中に繰り返し、その言葉を発していたのだろう。その「終わった」という言葉で終わりたくなかった監督とエディターとの意見の違いが興味深かった。

 おそらくこの後も撮り続けたいと思っているであろう小森監督は「終わらせたくない」思いが強いから、エディターの意見に抗したのだろう。一方エディターは、佐藤さんが繰り返していたのであろう言葉の思いを汲みたかったのだろう。最後のショットの編集の仕方で揉めたという話を伺って、僕が小森監督に「でも、終わらないと次が始まらないよね、続くだけで」と言うと、とても感度のいい表情を返してくれたのが嬉しかった。どちらが編集として正しいというような話では無論ない。ただ僕は、この話から、佐藤さんの復興プロセスにおけるところの被災体験の象徴とも言うべきプレハブを解体することに対する彼の思いを汲みたいとの想いがエディターにとても強くあったことを非常に好もしく感じた。それと同時に、新たな始まりを告げるのに必要とも言える“仕舞い宣言”以上に、“息の跡”を追う仕事を決して終わりにはしたくないとの小森監督の想いの強さにも大いに好感を覚えた。また“佐藤さんの気負わず弛まず記録を綴り、拡散させて残す営み”の天空に立ち昇る姿を見立てた主催者代表の方の受け止めを最大限に活かした形で切る終わり方も決して悪くないと思う。さればこそ、最後はやはり監督・撮影・編集に名を留める小森はるかの想いが優先されるべきで、まさしく本作がそういう編集になっていたことに感心した。いい作品だと思う。

 
by ヤマ

'18. 3.18. こうち男女共同参画センター ソーレ3F大会議室



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