『ぼくと魔法の言葉たち』(Life,Animated)
監督 ロジャー・ロス・ウィリアムズ

 広汎性発達障害に加えて自閉症と診断された者が、本当は普通にコミュニケーションを求めていることを活写している本作において、“魔法の言葉”を得たおかげで広がる世界に臨んでいくオーウェン・サスカインドの姿を観ながら、「自閉」という用語は見直さなければいけないのではないかと思った。

 彼がコミュケーション力を取り戻していくプロセスのみならず、本作そのものがどういうふうにして作られたのだろうという部分も含めて、奇跡の映画だという気がした。また、2017年アカデミー賞長編ドキュメンタリー部門にノミネートされたという作品に“原作”があることが明示され、演技演出が入念に施されていることが明らかな映画づくりだったことが目を惹いた。マニファクチャリング・コンセント-ノーム・チョムスキーとメディア-['92]人間蒸発['67]『YOYOCHU SEXと代々木忠の世界』['11]モーターサイクル・ダイアリーズ['04]などの映画日誌で触れている“ヤラセ”などということをドキュメンタリー映画について言挙げる向きからすれば、本作はドキュメンタリーではないということになってしまうに違いない。とりわけオーウェンのガールフレンドであったエミリーとの関係を描いている部分に驚いた。

 そして、エグゼクティブプロデューサーとしてクレジットされていた原作者でもある父親ロンがウォールストリートジャーナルで活躍した高名な記者であったことも目を惹いた。そういうステイタスを父親が得ていなければ、とてもかなわなかった物語であり、映画製作だったような気がしてならない。加えて、言葉を失った息子の発した「ジューサーボース」が「just a voice」であることにロンが気づかなければ、そして、ディズニー・アニメの台詞群という“魔法の言葉たち”をオーウェンが得ていなければ、とても起こり得なかった奇跡であることを思うと、映画の力というものにも想いが及ぶ。

 本作は、世界自閉症啓発デー・発達障害啓発週間記念映画上映会で観た作品なのだが、劇映画であれ、ドキュメンタリーであれ、映画というものにはドラマがあるゆえに、馴染みの薄い世界への理解に向けて提供する啓発媒体として最も適しているとも感じた。3歳ごろに「世界を失った」と思わずにいられなかった息子が取り戻した世界の豊かさとなお残している不安について語る親兄弟たちの言葉や場面に場内からは啜り泣きが漏れ聞こえてきた。そういう意味での映画の力ということについても、併せて思いが及んだ。もっとも、上映会主催者が県自閉症協会だったから、馴染みの薄い世界どころか身につまされる家族の方々がたくさん観賞していたのかもしれない。

 また、ディズニーがふんだんに作品引用を認めている点においても奇跡的な映画だと思われたのだが、ディズニーにとっても、これほどに面目を施せる奇跡の物語はあるまいから、納得の大盤振る舞いでもあった。覚えているだけでも『ピーターパン』『アラジン』『ノートルダムの鐘』『ライオン・キング』『ダンボ』『ピノキオ』『バンビ』『リトル・マーメイド』『美女と野獣』と枚挙に暇がなかったように思う。

 
by ヤマ

'18. 4.14. 県民文化ホール・グリーン



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