『米軍(アメリカ)が最も恐れた男 その名は、カメジロー
監督 佐古忠彦

 ネーネーズが♪おしえてよ亀次郎♪を歌っている姿を観ながら、こんなふうに歌にまでなって民衆に愛され支持されている政治家が他にいるのだろうかと大いに感じ入った。

 次女の千尋さんが語っていたように、米軍による強引な収監にも屈せず貫き、結局は無事に解放されたことで民のなかに英雄視が高まったのだろう。そういう意味で、期間の長短では比べるべくもないながら、ネルソン・マンデラ大統領に通じるところがあるような気がした。また、非暴力不服従を貫く姿にはガンジーに通じるものも感じ、戦後の日本にかように肚の座った政治家がいたのかと驚いた。

 1950年代の米軍は、民衆の絶大なる支持を集めている彼をコミュニストとして捉えていたようだが、彼自身のなかにはそういうイデオロギー的なこだわりは窺えず、反米的民族主義はあったにしても、それ以上に一義的には、“民が蔑ろにされることに憤る”デモクラシーそのものを体現しているような気がした。

 かような政治的遺産を宿している沖縄において、不屈の反米軍基地運動が絶えないのは、ある意味、道理でもあるわけで、比較的最近の高江村ヘリパッドや辺野古移転にまつわる運動に対して、沖縄県民よりも本土の左翼活動家が扇動しているものだなどというアジテーションを無知なるままに流しているネトウヨあたりに、きちんと沖縄戦後史に目を向けよとの意から制作されている気がした。

 思い掛けなかったのは、瀬長亀次郎が選挙で那覇市長に就いたことに米軍が恐れを抱いて、あの手この手で引き下ろしにかかった際の議会側での立役者が仲井真前知事の父親だったという話だ。親子二代にわたってまるで絵に描いたような悪役を背負ったものだと驚いたのは、戦場ぬ止み』(監督 三上智恵)の日誌でも引いた菅原文太の演説にある「仲井真さん、弾はまだ一発残っとるがよ」が忘れられないでいるからかもしれない。

 しかし、最も思い掛けなかったのは、沖縄返還が決まった後、国会議員に就いた亀次郎の質問に対する当時の佐藤栄作首相の国会答弁だった。現首相同様に自分に批判的な新聞嫌いを公言し、自国の沖縄よりも領主アメリカの顔ばかり見ている点では同じでも、国会答弁に臨む姿の貫禄と品位に格段の違いがあって、昨今の首相答弁を見慣れたせいか、佐藤首相はこんなに堂々としていたっけと瞠目させられたことだった。

 そして、1955年の嘉手納幼女強姦殺人事件の遺体発見時の様相に言及して声を詰まらせる古老の証言者の姿と2001年10月に94歳で亡くなった亀次郎が、古い日記のなかにテロ事件の基底にあるのは民族差別であると看破し綴っていた文字が印象深く残っている。

 公開初日となる当日には佐古監督が来高していて、深夜枠でのTV放映後に本作が劇場公開作への再制作に至った顛末を教えてくれた。また、奇しくも今日はカメジローの遺した言葉を語りにしてくれた大杉漣の東京でのお別れ会が開かれる日と重なったと話していた。こちらが先約だったので出席できなかったが、本作への参加に当たっては、どういう調子で語るのがいいのか実に丁寧な姿勢で臨んでくれていたと急逝した故人を偲んでいた。




推薦 テクスト:「チネチッタ高知」より
http://cc-kochi.xii.jp/hotondo_ke/18043004/
推薦テクスト:「大倉さんmixi」より
https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1974983772&owner_id=1471688
 
by ヤマ

'18. 4.14. あたご劇場



ご意見ご感想お待ちしています。 ― ヤマ ―

<<< インデックスへ戻る >>>