『モーターサイクル・ダイアリーズ』(The Motorcycle Diaries)
監督 ウォルター・サレス

 '05年の市民映画会で観て以来の再見。ほぼ四十年ぶりの午後の曳航['76]や三十七年ぶりの家族の肖像['74]、三十二年ぶりのミツバチのささやき['73]といったこのところの再見ブランクからすると、十二年ぶりというのは、さほど昔ではない。そのせいか懐かしさを得るには至らず観覚え感のほうが強かった。もっとも懐かしさについては、ブランクの長さという以上に観たときの年齢に作用される部分が大きくて、三十歳を過ぎてから観た作品だと、たとえ三十年を超える歳月を経ても、同じような懐かしさは感じないような気がする。

 教会上映会恒例の観賞後の茶話会は、さもあらんの若い時分の貧乏旅行の話になった。本作に関することで特に面白かったのは、ほぼ史実に忠実な映画作りにあって、唯一明らかにフィクショナルに構築されている終盤のエルネスト・ゲバラ(ガエル・ガルシア・ベルナル)による夜の川を泳いで渡る場面についての話だった。主催したヒラリン牧師にとっては、妙にわざとらしく劇性を高めた蛇足のように感じられる点が、生涯のベストテンに入れたいと思うほどのお気に入り作のなかにあって、玉に瑕だったようだ。知人の医師からは、事実と異なるばかりか、ゲバラを持ち上げるための道具にハンセン病を利用している感さえあって惜しまれるという意見も聞いているとのこと。

 不興の要点には、劇性強調と難病利用という違いがあっても、その出発点はともに“史実にはないエピソードの創作”の部分にあるように感じられた点が、単に視点の違いを超える普遍的問題を含んでいて、なかなか興味深かった。実話を元にしてはいても、こういうことはあって然るべきというか、むしろ“再現ドラマではない映画的表現”として必要なものだと僕は思っている。ハンセン病患者との出会いだけではなく、一万キロに及ぶあの旅を経て、ゲバラがいかなる人物になったのかを象徴的に描出するエピソードとして創造しているわけだ。すなわち、あの夜の川渡りは、普通の人なら決してしようとはしないことに挑み、普通の人にはなぜそこまでするのか理由の分からないままの行動に出て、普通の人なら成し遂げられないことを完遂し、普通の人には行けない対岸に辿り着く人物になったという“ゲバラと彼の旅に対する作り手の解釈”を場面にして示していたのだと思う。アルゼンチンに生まれながら、キューバ革命に身を投じ、ボリビアで処刑された彼のその後の人生を方向付けたものが、年長の友人アルベルト(ロドリゴ・デ・ラ・セルナ)に誘われたこの旅であることが、残された日記から読み取れるからこそ、作られている場面に他ならない気がする。

 本作はドキュメンタリー映画ではないからまだしもだが、ドキュメンタリー映画に対してはこういうことが“ヤラセ”などという定義の曖昧な“レッテル用語”によって、不興どころか非難の対象になっているような気がする。ドキュメンタリー映画であろうが、劇映画であろうが、映画というものに編集と演出は欠くことのできないものであって、表現として評価するか批判するかは、それが記録的事実であるか否かではなく、カメラを向けた事象の真実を捉え表現しているか否かの一点に懸かっているべきだと思うのだが、そのようには取り扱われない現実があるような気がする。その点で言えば、ヒラリン牧師の批判の要点は、過度に劇性を高める場面を終盤に設えてヒロイックに描いたことでの破調を指摘しているのだから、そのように感じるのであれば蛇足だと思うのも当然だという納得感があった。確かに、参加者の啓さんが茶話会でも指摘していた興味を持ったのはチリの銅山を訪れるゲバラだが、途中出会った、身分を問わず雇ってくれる銅山労働者を目指し逃避行を続ける夫婦、何故旅しているのかと聞くと、夫婦は「私たちは共産主義者、行くところが無いのです」と。…ゲバラはこの夫婦になけなしの金を与えているとのエピソードで十分ではないのかとの思いは、僕にもなくはない。

 ところで、ヒラリン牧師によれば、映画の最後に登場した実在のアルベルトに面影がよく似ていたロドリゴ・デ・ラ・セルナは、彼の演じた女好きのアルベルトではなくて、実はエルネスト・ゲバラの縁者なのだそうだ。ボリビアで死んだゲバラの招きによってキューバの医師となった彼とゲバラの風貌には隔たりがあるように思うが、縁者を介することで風貌まで重なるとは、よくよくの縁なのだなと思った。いろいろな話の出てくる教会上映会後の茶話会は本当に愉しい。  
by ヤマ

'17.12.12. 高知伊勢崎キリスト教会



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