『家族の肖像』(Conversation Piece)['74]
監督 ルキノ・ヴィスコンティ

 '80年5月に名画座で観て以来だから、37年ぶりの再見となったわけだが、僕のなかでは舞台劇さながらに屋外が全く映し出されないことで強い閉塞感を醸成していた作品という印象があったために、早々にベランダから広がる屋外が映し出される場面に唖然とし、しかも外の景色を覗かせる場面がそのとき限りではなかったことに狼狽えた。

 とても興味深かったのが、観賞後の四方山話のなかで全共闘のバリバリの闘士だった方から提起された、'74年当時の作品なら、連合赤軍事件以後の沈潜に向かった日本の急進左派と違って、欧州では社会的地歩を一定獲得していた感のある急進左派を象徴していると思しきコンラッド(ヘルムート・バーガー)の最期をあのような描き方にしていることの意味は何だろうかという問い掛けだった。

 僕より十歳年長のその方によると…コンラッドなる正体不明の青年、ドゴール大統領を退陣の瀬戸際まで追い込み、パリコンミューンの再来とも言われ、世界の学生叛乱の端緒となったフランス5月革命を経験し、その後、ドイツで極左活動をしたとのデティール、日本の1968年の渦中にいた私としてはその青年を他人事とみれなく…とのことで、それを伺って、本作の日本での公開が '78年に遅れたのには、もしかすると連赤以後という日本の国内事情が働いていたのかもしれない、などと思った。

 作中で自死とも謀殺とも知れない謎の死を遂げるコンラッドについて、かような観点からの触発を得たことが僕にはなくて、最後に“息子”と記される彼の死の持つ意味は、専ら老教授(バート・ランカスター)における喪失感という文脈でしか捉えていなかったから、とても新鮮に感じられた。コンラッドに何かの投影を読み取るとすれば、通常は老教授とコンラッドともに、ヴィスコンティが自身を投影した人物として観ることが多く、コンラッドの死について欧州急進左派そのものを重ねることは少ないような気がするのだが、'68年当時の“政治の季節”を当の青年闘士として過ごしていればこその観方を伺うことは、非常に刺激的だった。

 ごく最近始まった映画好きの牧師さんのセレクトによる小さな上映会に参加することの意味と刺激は、まさしくこういうところにある。当夜の観賞後の四方山話も実に刺激的で愉しかった。





推薦テクスト:「丸山哲也さんのfacebook」より
https://www.facebook.com/tetsuya.maruyama.756/posts/pfbid02vca4sw1
zAwgb5LAW7aNN8auXmSMbHcpFjiiYxGDu8tDm47CcjAgs4zRdzgVwvUkxl

by ヤマ

'17. 7.13. 高知伊勢崎キリスト教会



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