シネマ・フィロソフィア 3.11 上映会“高知から水俣を考える”
『水俣病 その20年』['76]
『わが街わが青春 石川さゆり水俣熱唱』['78]
監督 土本典昭

 今や九年前の他界となってしまった土本典昭監督が来高し“フィルモグラフィ展”という形での十六作品の上映が行われたのは十三年前となる '04年のことだ。当時の映画日誌ステージ・インタビューで、土本作品に脈々と流れる「弱者に向ける眼差しと反権力の視線を保ち続ける原動力は?」と問われ、そういうのはマスコミでもそうだが、姿勢的にはむしろ取りやすいポジションだからと事もなげに語りつつ、自分はフリーだからマスコミジャーナリストが時事の流れに乗って仕事として片づけていくようにはいかない、自ずと関係性が問われるし、そのなかで自分が学び生じるさまざまな現場の具体をフィルムにしていくのがフリーとしてのアイデンティティだと思うというようなことを語っていたのが印象深い。…もうひとつ印象深かったのが、「デジタルビデオやDVDといった技術革新によるドキュメンタリー映画の変容」についての質問に対し、…少ない人数であっても、スタッフという複数の目と感性によって仕上げられるべきものが映画だと思うというようなことも語っていた。そこには、表現の客観性などという馬鹿げた論点とは異なる、事象に対して臨む複眼性の重要さを体感してきているであろうことが土本氏に偲ばれ、作家としての信頼感を寄せるに足る見識が窺えるように感じた。と記したドキュメンタリー作家の未見作を無料で観られるとあって嬉しく足を運んだ。

 そして四十一年前、僕が高校を卒業した年の作品と僕が成人した年の作品のふたつを観ながら、今回の上映会企画の核となっていた“見てしまった責任”について考えてみた。少なからず観客にも強迫してくる部分のあるこのキーワードは、両作品の監督とされる土本典昭について記した、主催者の一人である吉川准教授の論考からも、両作品ともに登場する生涯にわたって水俣病患者に寄り添い続けた原田正純医師について、今上映会のコーディネーターである森助教の語った原田医師の言葉からしても、「見てしまった」という部分以上に、それを「業績にした責任」という側面のほうが強いように感じた。

 水俣病の研究で学会賞を受賞した論文をものした原田医師も、両作ともエンドクレジットには決して土本典昭だけではない名が「演出」として表示されながら、資料的には“水俣病ドキュメンタリー”が常に監督作品として流通している土本典昭も、責任というよりは、覚悟として「見てしまったもの」に向き合ったのだろう。

 その向き合い方には、より支援者に近い形の原田と、より研究者に近い形の土本があったような気がするなか、水俣病患者の直接支援に携わるゲストスピーカーの谷由布に対して、親子二代にわたって支援活動に携わる理由ないし動機について森助教が訊ねた際に、「答えになっているかどうかわからないけれど」と、いささか当惑しているように、そうすることに何らの特別に強い意識を要しない自然なものだったとして、敢えて言うなら“幼い時分から身近にいる水俣病患者たちの際立つ個性の面白さ”と“患者さんたちとの関わりに感じる甲斐”を挙げていて、覚悟や責任といった気負いがいささかも観られなかったことが興味深かった。

 原田の「診る」でも、土本の「撮る」でも、そこには意識的に“対象化”を要することが大きく作用しているような気がした。映画であれ演劇であれ美術であれ、「観る」ことを愛好しているにすぎない僕でさえ、自分の立ち位置として“対象化”を課しているようなところがあり、共感まではしても、共振することは無意識のうちに避けているように思う。ただの芸術観賞でさえそうなのだから、生身の患者に寄り添いつつ課することを要する“対象化”についての葛藤は、その是非を含めてけっこう厳しいものがあったような気がした。

 それはともかく、'76年と'78年の2作品を並べたことで、被害認定に係る申請レベルにおいて約4000人から約7000人への飛躍的伸びが見られたことが際立ち、この時期に水俣病問題が大きく動いていたことを端的に感じるような思いが湧いた。自らを“若い患者”と名乗るらしい胎児性水俣病患者たちが自身の発案による石川さゆりコンサートの実施という出来事自体が、実に象徴的に感じられた。

 これには、当時、問題意識を持ちながらも大した施策を打てないままに退任したことを現地に赴いて謝罪したという石原慎太郎環境庁長官が直接、彼らからやってみたいこととして訴えられたことが引き金になっているそうだ。長官からの直接指示があったかなかったはともかく、周囲が一体となって異例の事態が進行したようで、なんだか今なお顛末が明らかにならない森友学園に関する動きにも似たようなものを感じた。そして、かの尊大なる石原慎太郎でさえも四十代のときは、謝罪したんだと思う一方で、自身のことでも他人事めかして「…としたら、お詫びしなければならない」と論評し、決して謝罪の言葉を発しようとしない現首相が七、八十代になったら、どんな物言いをしているのだろうかと思わずにいられなかった。

 それにしても、僕と同い年になる石川さゆりの二十歳のときの貫禄に恐れ入った。 ♪津軽海峡冬景色♪をヒットさせた歌唱力も大人びていたが、施設訪問やステージスタッフに対する処し方振る舞いがしっかりしていて大いに感心した。二十四歳で家庭を持った僕よりも一年早く結婚し、二年後には母親にもなっていたのも頷ける一挙手一投足だったような気がする。




参照サイト:「土 本 典 昭 文書データベース」
https://tutimoto.inaba.ws/top.php
by ヤマ

'17.12.10 県民文化ホール・グリーン



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