『ジャニス:リトル・ガール・ブルー』(Janis:Little Girl Blue)
『イングリッド・バーグマン~愛に生きた女優~』(Jag Ar Ingrid)
監督 エイミー・J・バーグ
監督 スティーグ・ビョークマン

 ジャニス・ジョプリンとイングリッド・バーグマン。音楽と映画とジャンルは異なれど、前世紀の斯界の代表的な女性カリスマを家族が偲んだドキュメンタリーを続けて観たことで、二人の間に相通じるものと対照的なものが際立って非常に興味深かった。

 27歳で亡くなったジャニスと67歳で亡くなったイングリッドは、共に身罷る直前までそれぞれスタジオ録音と映画撮影に精出していた生涯現役の求道者である一方、交遊関係は派手でスキャンダラスでもありながら、それらを超越する飛び抜けた魅力を開花させていたし、自分の求めるところに向かって濃密な生を駆け抜けていった女性である点でも通じていたように思う。

 20代で死んだジャニスに子供はいなかったようだが、イングリッドには4人もの子供がいて、こうして亡母の生誕100年にプライヴェート資料を提供して偲んでくれているのだから、大きな違いだ。イザベラ以外の子供が大人になってからの声と姿に僕が接したのは初めてのように思うが、おそらく今の歳になってようやく乗り越えた恩讐のようなものがあったに違いない。ジャニスの弟妹も姉に対して少なからぬ葛藤を抱えていたろうとは思うけれども、母子ほどには大きくない気がする。『秋のソナタ』['78]こそは、まさしくバーグマン自身の抱えていたものを炙り出した痛烈なベルイマン作品だったのだと改めて思ったりした。

 先に観たのは『ジャニス:リトル・ガール・ブルーだ。1970年に亡くなった彼女の歌声を僕が初めて聴いたのは高校生のときだから40年余り前になるのだが、そのとき既にこの世の人ではなかった。独特の声と歌唱に圧倒され、魅了され、カセットテープに録音した23曲を繰り返し繰り返し聴いていた覚えがある。

 幼い時分から問題児とされ、いじめにあって過ごした高校生活とか、ドラッグや深酒、若死にといったところから幸薄い面が印象づけられている気がするけれども、本作を観る限りでは、むしろ自分の求めるところに向かって実に率直に生きた女性であるような気がした。

 確かに「私をエスコートしようなんていう勇気のある男の子なんかいなかったわ」と、プロムにも出席しなかったことをインタビューで答えていた彼女の出席した卒後十年の高校同窓会の様子は、どこかしら寒々としたもののようだった。だが、あの年頃の同窓生にとっては「あのジャニス・リンが?」との戸惑いのほうが強くて腰が引けるのは、むしろ当然のような気がしないでもなかった。葛藤で言えば、友人関係よりも家族、特に親子関係における問題のほうが大きかったのではないかという気がした。その部分は垣間見せるだけであまり踏み込んではいなかった点が、節操のようにも物足りなさのようにも感じられた。

 ジャニスの存在を僕が知った時点で既に亡くなっていたせいか、あるいは余りにもレジェンドとしての存在感が強いせいか、半ば歴史上の人物のような気がしていて、まだ元気な実の妹や弟が出てきたことに大いに驚いた。そして、彼女の歌唱のなかでもとりわけお気に入りだった♪Me & Bobby McGee♪が最大のヒット曲だったということを知って驚いた。てっきり♪サマータイム♪とか♪ムーヴ・オーヴァジャニスの祈り)♪、あるいは♪クライ・ベイビー♪や♪トライジャスト・ア・リトル・ビット・ハーダ)♪、♪アイ・ニード・ア・マン・トゥ・ラヴ♪あたりの、いかにもジャニス・ジョプリンのような曲かと思っていた。

 そのジャニスよりも28年早く生まれ、40年長生きしたイングリッド・バーグマンは、鈍臭いブス呼ばわりされて育ち、ジャンキーだと非難されたジャニスとは対照的に、圧倒的な美貌と知性を讃えられ理想化された女性だった。ジグソーパズルの好きな僕の部屋には、映画に関するものが2枚だけあって、1枚がマリリン・モンロー、そしてもう1枚が『カサブランカ』のイルザとリックとサムが映っているシーンのパネルだ。

 マリリン・モンローを僕が初めて観た映画は確か『帰らざる河』['54]で、バーグマンは『誰が為に鐘は鳴る』['43]だ。ともに特に惹かれるわけでもなく、両者の絶世と謳われる世評がピンとこなかったのだが、マリリンについては七年目の浮気['55]バス停留所['56]、イングリッドについては『別離』['39]カサブランカ['42]で目を開かれたように記憶している。

 生誕100年を記念したドキュメンタリー『イングリッド・バーグマン~愛に生きた女優~で最も強く印象に残ったのは、4人の子どもたちの語る母親像であり、「私はイングリッド」という原題そのままの強い自己主張で生きた母親を受容し讃え慕い愛しんでいる姿だった。とりわけ長女のピアと本作の企画発案者だったらしいイザベラが印象深かった。イザベラはブルー・ベルベット['86]を観て強く印象に残っている女優だが、4人の子どもたちのなかで最も母親に似ている娘だ。それゆえに、イングリッドが類稀なる個性としての気品をいかに高く備えていたかを際立たせる存在でもあるように感じている。母親に対する葛藤がより大きかったのもこの二人だろうという気がしてならない。

 それにしても、膨大に残っているらしいプライヴェートフィルムとしての家族映画や子どもたちの記憶として語られるイングリッドの母性の強さ大きさに驚かされた。彼女が、女性としても母親としても女優としても破格のエネルギーを備えていたことに圧倒される。そのいずれの領域においても、その体躯のごとき大きさだったのだなと改めて感心した。
 
by ヤマ

'17. 1.19. 美術館ホール
'17. 1.20. 美術館ホール



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