『シング・ストリート 未来へのうた』(Sing Street)
監督 ジョン・カーニー

 若い女性の濃い化粧を全く好まない僕なのに、夢破れた失意で人生に諦観を抱き、看板の化粧っ気をすっかり失くしていたラフィーナ(ルーシー・ボーイントン)がコナー(フェルディア・ウォルシュ=ピーロ)の届けた♪きみを探して♪のテープを聴いて、思いっきり盛った化粧をしてギグを訪れた姿に「そうだ、きみはそのいで立ちでなくっちゃいけない!」と観惚れた。

 それだけの曲を作ることができるまでにコナーとエイモン(マーク・マッケンナ)のポテンシャルを引き上げたのは、ミューズとしてのラフィーナの存在だけでは決してなかったけれども、やはりコナーのモチベーションは彼女の存在抜きには湧き得なかったものであることが、とても観心地のいい感じで伝わってきて、何とも言えない気持ちになった。音楽映画は、やっぱりいいなぁ。とりわけ青春ものとの相性が抜群だ。

 思えば、僕が詩作や文芸に携わるようになったことには、今も自室に飾ってある「我々に自由を得させるものが真理なのだ 椎名麟三」という色紙を贈ってくれたA.K.の存在が欠かせないし、音楽をライブで楽しむことに開眼させてくれたのはC.I.で、映画を観て反芻し自分の言葉で捉え直す力をつけてくれたのはN.C.に他ならない。彼女たちとの関わりがなければ、映画日誌やライブ備忘録を綴る今の僕のライフスタイルの根幹が変わってしまうと言っても過言ではないということを思うと、若い時分のそういう出会いと関わりの掛け替えのなさに改めて感じ入ってしまう。そのような部分を大いに刺激されてしまった。コナーにとってのラフィーナがそうであったように、彼女たちも揃って1~7歳年上の女性だった。

 コナーがラフィーナから触発されたモチーフを携えてはエイモンを訪ね、二人で曲作りを繰り返しているシーンがとりわけ素敵だった。ラフィーナが“素敵な兄貴”と呼んだコナーの兄ブレンダン(ジャック・レイナー)がまたよかった。自分の切り開いた密林を弟が邁進していく姿にまさに“悲しみの喜び”を見い出し、葛藤とともに最大の支援を送り、己が夢を託す姿にも痺れた。いい映画だ。

 敢えて三十年前を舞台にしていることが、今の時代を照射するうえで、とても利いていたように思う。同じく閉塞感に社会が喘いでいるなら、思い出せ、三十年前だって、という作り手のメッセージを感じた。排他的で不寛容さに閉じていくこととは反対方向でのブレイクスルーを求める若々しい勇気を確かに称揚していた。「暴力は何も生み出さない」との言葉で咎めた相手をもローディーとしてギグに誘い込む器量で臨めば、心許ないボートで荒海にうって出ていくことさえもきっと乗り切れると言わんばかりだったような気がする。




推薦テクスト:「TAOさんmixi」より
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1954129868&owner_id=3700229
推薦テクスト:「ケイケイの映画通信」より
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1954176745&owner_id=1095496
 
by ヤマ

'17. 1.25. あたご劇場



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