『不思議なクニの憲法』
監督 松井久子

 たとえ細々という形であれ、今どき選挙期間の最中に大学で本作が一般公開され得る高知であることを、何だか嬉しく思った。また、エンドロールに本県四万十町の(株)無手無冠がクレジットされていたことにもニンマリした。

 問題自体は、情報部門のトップである国際情報局長も務めた上級外務官僚OB孫崎亨が本作の冒頭で語っていたように、国民の無自覚無責任にあるわけだが、誰がそう仕向けてきたかという点でも、国民的態度としての逃げ腰というものが、最も大きいような気がしている。

 前に読んだ戦後史の正体 1945-2012にも綴られていた孫崎の戦後史観に負うところの大きい作品のように感じたが、改憲問題に対する作り手のスタンスは、基本的に戦時を知る瀬戸内寂聴(94歳)の言う「どこも変えてはいけません。変えたら、そこから切り崩しに掛かってきますから」だというような気がした。だが、「先ずは大災害を想定した緊急事態条項の新設から」と話していた船田元自民党憲法改正推進本部長代理の弁を再三紹介しつつ、安倍首相が会長を務める創生「日本」の四年前の研修会で元閣僚たちが演説していたようなマッカーサーの押し付けた国民主権、基本的人権、平和主義、これをなくさなければ本当の自主憲法ではないんですよなどという無知なる暴論とは全く異なる、それなりに筋の通った一つの考えとして映る編集にしたフェアな構成を採っていた。また、護憲派による9条改正を訴える伊勢崎賢治東京外大教授・紛争解決請負人の意見と、それは改憲派を利することにしかならない意見だと否定する長谷部恭男早大教授・憲法学者をともに紹介していたことにも、好もしいものを感じた。

 映画の冒頭で孫崎が指摘していた点に関して言えば、まさにチラシに題されていた「声をあげる 私たち」として、装われたものではない各界各層の一般人の活動者ほかの肉声が数々拾い上げられていて、その地に足のついた言葉に、政治の言葉やメディアの言葉にはない確かさを感じ、希望のようなものを感じることができて嬉しかった。とりわけ竪十萌子(明日の自由を守る若手弁護士の会・弁護士)の言葉の切実さと、安積宇宙(学生)の語った「希望」に心打たれた。

 僕が憲法第25条を最初に教わったのは父親からで小学生のときだったので、第1項の生存権は、もう五十年近く諳んじている。最も重要な条項は第13条の幸福追求権だと教えてくれたのは、中学校の公民の先生だったように記憶している。松井久子監督作品らしい女性目線が随所に窺える造りの映画だったことが妙に現実的力を持ち得るような気にさせてくれるところがあって感心した。

 今回の参院選でどのような結果が出るのか心許ないところが多分にあるが、現政権の支持がなかなか低下しないところに、民進党の前身である民主党がいかに強い失望感を与えたかということを思わずにいられない。今やほとんどアレルギーのように感じている人々が少なからずいるような気がする。だから、政権側は、そのムードに乗り続けるには具体的な争点をなるだけ示さないイメージ戦が好ましいと狙っているわけだが、いかにも姑息ながらもそれは当然というか、投票日だけは周知しておいて、なるだけ選挙戦すら盛り上げないという作戦が効果的だと考えているフシがあるように思う。天空の蜂』の映画日誌に引用した伊丹万作の言葉を思い出さずにはいられなかった。

 情けないのは、特にTVメディアを中心にマスコミ界がこぞってその政権側の思惑に同調しているように映ることだ。メディアが囃し立てた小泉郵政選挙のときなどとは比較にならない大問題を抱えた選挙になろうとしているのに、気持ちが悪いほどのメディアの関心の低さが遣り切れない。どこもが矢鱈と熱を入れているのが挙って不倫報道だったりするのが無念でならない。びびっているのだろう。政治は、今やマスコミにおいても行政においても、ほとんど“タブー化”してきつつあるように感じる。だからこそ、このタイミングで本作の上映会を学内で行った県立大学に称賛を贈りたい気になったのだった。

 今上天皇が二年半前の天皇誕生日を迎えるにあたって敢えて戦後、連合国軍の占領下にあった日本は、平和と民主主義を、守るべき大切なものとして、日本国憲法を作り、様々な改革を行って、今日の日本を築きました。戦争で荒廃した国土を立て直し、かつ、改善していくために当時の我が国の人々の払った努力に対し、深い感謝の気持ちを抱いています。また、当時の知日派の米国人の協力も忘れてはならないことと思いますとの言葉を発しなければならないような状況になったのは、敗戦後七十年近くにして初めての出来事のような気がする。今のこの事態というのは、安倍首相を総裁にいだく自民党が、もはや名前だけ自民党であって、僕が生まれ育つなかで見知っている自民党では既になくなっていることの証左のようだ。かつて小泉氏が「自民党をぶっ壊す」などと言っていた意味は、必ずしもこういうことではなかったのだろうが、本当に壊れてしまったように思える。リバティもデモクラシーも、名称だけ残して、消沈してしまいそうだ。

 僕は、小泉内閣での官房副長官時代から現首相が大嫌いで、メディアがプリンスと持て囃し、女性からの支持が高かったことに虫唾が走っていたのだが、その頃、まさかここまでとは思っていなかった。だから、二年前に記した太陽の季節』の映画日誌のなかでもトップスリーの三番目にしていたのだが、今やトップに位置している。
by ヤマ

'16. 7. 3. 県立大学永国寺キャンパス教育研究棟



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