『お盆の弟』
監督 大崎 章

 最終日にぎりぎり潜り込んだ。観逃さずに済んでよかった。何か物悲しいくらいに冴えない男たちの生態をユーモラスに綴りながら、どこか爽やかな善良さの漂っているさまが、ちょうど映画の終りの墓参りの場面での空のごとく、きっと抜けるような青空であるに違いないものが白黒画面で映し出されていた塩梅のようだった。

 1本だけ監督作を撮った後はチャンスが得られないまま五年が経ち、もう映画監督と名乗ることに引け目を覚えつつある四十前の渡邊孝を演じていた渋川清彦が、彼の不甲斐なさと善良さを見事に体現していて、なかなかよかった。

 映画を撮るチャンスを再び得るために企画を持ち込んでは失敗を繰り返しているうちに、既に映画を撮ろうとしていること自体が本気のものではなく口実化していることを、妻(渡辺真起子)からも学生時分からの友人で脚本家志望だった藤村(岡田浩暉)からも見透かされつつ、その善良さゆえに猶予されてきていたであろう引導を図らずも両者から渡されることでようやく再生のとば口に立つことができていた顛末に、しみじみとした思いが湧いてきた。

 大腸がんを患い、術後の経過は良好ながらも人工肛門となって、それまでの縁遠さ以上に一層遠のいたことを悲観していた兄のマサル(光石研)にしても、彼女いない歴、まもなく四十年と零していた藤村にしても、思わぬ地平が開けることでくすみから脱し、忽ち人生に輝きが宿っていたように、人の生に何が訪れるかは、いくつになっても予期せぬことの連続ながら、願掛け頼みだけではダメなんだと孝が思いを新たにしていた。

 勘違いから孝に思いを寄せ始めていた涼子(河井青葉)が編集に携わっている広報誌の“群馬の面白い人”特集に適う風変わり人のように言われていた涼子の部活友(後藤ユウミ)が、三年前の涼子の失意からの再生を導き、藤村にも転機をもたらしたミューズとして設えられていたところにも、気の利いたものを感じた。

 声高に傑作だと持ち上げるような作品ではないと思うけれども、何とも味の好い素敵な作品だったような気がする。小説家と映画監督とに違っているだけで同じような設定として、一発当てていて無才ではないだけに引き摺り、くすんでいる冴えない男の情けなさと再生のとば口を描いていたように思われる海よりもまだ深くのほうが高評価を得るのは間違いない気が僕もするのだが、愛すべきという点で本作のほうが親しみやすくて僕は好きだ。ユーモアの質も含めて、是枝作品には何となく高級感が漂っていて、それが美点でもあり仇にもなっていることを図らずもよく教えてくれる作品になっていたように思う。
by ヤマ

'16. 7. 1. あたご劇場



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