『オデッセイ』(The Martian)
監督 リドリー・スコット


 素晴らしい! 僕が'70年代に十代を過ごしているということもあるかもしれないが、植物学者の宇宙飛行士マーク(マット・デイモン)がルイス船長(ジェシカ・チャステイン)に「船長の音楽の趣味は最低ですね」と言う、彼女の残した音楽♪ホット・スタッフ♪から♪恋のウォータールー♪に至る曲の数々が流れるたびに、その作業のアナログ感のもたらしてくる感興にジンときてしまった。このアナログ的手ざわりが本作の鍵だからこそ、まだデジタル技術が普及してはいなかった'70年代を偲ばせるディスコミュージックが選ばれていたのだろう。

 十五年前に観たキャスト・アウェイでの“ウィルソンと名付けられたボール”への語り掛けを思い出させるような、デジタル日誌のカメラに向かった語り掛けによって、孤独で地味でキツいサヴァイヴァルを耐えていたマークが、生き延びるために必要な時間を稼ぎだすアイデアを思いつくたびに、手作業でトライアルするときの応援歌としてのディスコ・ミュージックによる鼓舞に、観る側の僕もすっかり同調させられ、昂揚していた。インテリのマーク・ワトニーが、恐らくはそれまで決して好んでなかったと思しき古いディスコ・ミュージックのパワフルな乗りの良さにどれだけ助けられたかを思うと、胸に迫ってくるものがあった。実に素晴らしい選曲だった。♪ホット・スタッフ♪での、熱く力強い命の鼓動への希求、♪恋のウォータールー♪での、かのナポレオンを打ち破った戦いの勝利にも等しい凱旋を目前にしつつある躍動感が謳い上げられ、大いに感銘を受けた。そして、曲名そのものに「サヴァイヴァル」の入っている♪恋のサヴァイヴァル(I Will Survive)♪は、エンドロールまで取っておいて、しかも高らかに延々と歌い続けるのではなく、確かワンコーラスくらいに抑えて退いていったのが、また渋かった。

 いつまで経っても戦争や殺戮、搾取による悲劇を繰り返し、歴史に学ぶところのない人類の因業というものについて、悲観的な思いを刺激されることの実に多い昨今なので、マークのサヴァイヴァルが、今に至る人類の獲得した叡智によってこそ成し遂げられつつある姿を観るのは、非常に感動的だった。しかも、彼自身の台詞にあったように「世界中の頭脳が結集して考え出してくれた最善がこれなんだ」と、金属板への小さな穿孔を連ねて自分の体重で加圧して繰り抜くという実に素朴な作業だったりするのがいい。そして、それを信号だけで指示するのではなく、マーク側の状況を的確に把握するために地球側でも同じモデルのローバーに同じ作業を加えてシミュレートしているシンクロ感が素晴らしかった。最もヒロイックだったのがマークなのは無論ながらも、彼の発するメッセージを解し汲み取る様々な人々が現れ、知恵が集まっていくダイナミズムにワクワクさせられたように思う。

 そして、全編がユーモア感覚に貫かれていて、どんな状況になっても、そのユーモアと余裕を決して失わないことこそが“真の強さ”だと訴える作品になっていたところに痺れた。幼い時分から僕が好きだったアメリカ映画で表現され続けている“アメリカン・スピリッツの最も良き部分”が、見事に結実している作品だと思う。しかも、勝ち負けや競争が見事に排除された世界だったのが、なんとも素敵だ。

 それにしても、時代を映す鏡として見ると、本作で描かれていた“中国のアメリカにとっての位置”を思わないではいられない。嫌中嫌韓を騒ぎ立てて日米軍事同盟の強化を叫んでいる連中には、アメリカの状況が見えていないのだろう。'80年代は、チャイニーズアメリカンが日本人や日系人を演じる形までとってハリウッド映画に日本が頻出していたが、最近はすっかり事情が違ってきている気がする。二年前に観たゼロ・グラビティでも確か中国が活躍する場面が設えられていたように思う。これが今のアメリカの大衆文化の状況なのだろう。

 そういった部分も含め、本当に脚本がよく練られ、演出も演技者も撮影も美術も素晴らしい作品だったように思う。科学的知識のほうは全く疎い素人目にもその素晴らしさを生き生きと伝えつつ、マークがサヴァイヴしてきた環境の過酷さについては、誰にでも判る肉体の変化で細やかに映し出していた。火星に取り残されたばかりの頃のムキムキの筋肉体が、最後にシャトルに乗り込む前には、実に細い腕と栄養失調による皮膚の黒ずみで痛々しい体になっていた。火星にあれだけ長く住み着いたのだから、植物栽培に成功することが植民地とする権利の獲得要件だという海事法の植民地規定が本当かどうかはともかく、原題の意味する“火星人”の称号を彼に与えるユーモアを僕は大いに是としたいと思った。

 そして、政治家やメディアの論評者が登場しないと、奇跡の生還劇がこれだけ清々しくなるというところに、改めて気づきの触発が込められていたように思う。ライト・スタッフのように、きっちり対照して皮肉るのもいいけれど、本作にはスマートさを感じた。アメリカ映画の底力を観たような気がする。大したものだ。




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推薦テクスト:「チネチッタ高知」より
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by ヤマ

'16. 2.14. TOHOシネマズ5



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