『キャスト・アウェイ』(Cast Away)


   映画の最初と最後に登場するタクシーの運転手が言った、「良い子になるんじゃないよ」だったか、「いいなりになっちゃいけないよ」だったか、の台詞が意味深長だった『17歳のカルテ』(ジェームズ・マンゴールド監督)で6〜70年代の精神病院の非人間性が描出されていたとしても、フレデリック・ワイズマン監督のドキュメンタリー映画『チチカット・フォーリーズを観たことがあれば、そういう点では、比較にならないものでしかないことが判る。では、前者は後者に比べて大した作品ではないのかというと、元々同じ土俵に乗せるべき筋合いのものではないというしかない。長短は両者ともにあり、後者がいくら力のある作品だったとしても、前者に比べ、おのずと観客を選んでしまう作品であることは言を待たない。より多くの人の関心を触発するという観点からは、前者のほうが優れているという観方だってあるのだ。

 そういうニュアンスでのデコレイションにおいて、たとえば『ホワット・ライズ・ビニース』で、水底に長らく沈んでいた死体が浮上する際に、生前の姿をかぶせるようにデコレイトしないではいられないゼメキス監督が、無人島に徒手空拳で漂着したチャック(トム・ハンクス)のサバイバルの極限状況を描出すると、トムがいかに熱演しようと、その苛酷さは伝わってきても、生々しさは伝わってこない。しかし、それをもって批判するのは、どちらかと言えば、元々土俵の異なる映画観によって立つものだから、しっくりこない気がする。生々しさはなくとも、火のありがたみや人が生き延びていくためには話相手となる同伴者や生きる目的となり得るものが必要なことなど、実に丁寧に描かれていた。

 しかし、過剰の時代における現在の映画の定めなのか、昔の作品だったら、あれだけの密度で無人島でのサバイバル生活を描けば、その奇跡の生還のところで話が終わるとしたものだが、遭難から四年の歳月を経て、戻ってきてから後の状況への適応こそがさらなる見せ場として準備されている。そのあたりのことが、昔からの感覚から言えば、全体的なバランスの悪さを少し感じさせながらも、奇妙に新鮮で面白かったりする。その顛末としては、いかにもハリウッドの娯楽作品にふさわしく、つらく苦い現実にあってなおある種の気持ちの良さと救いをもたらしてくれる。チャックとケリー(ヘレン・ハント)のような形で、思いも掛けなかった現実に向き合い、相互確認することは、実際は、なかなかできないとしたものだが、ハリウッド映画は、やはりこうでなければいけないと妙に納得させてくれたような気がする。えらく都合良く、チャックが新たに出会った女性の家地の門構えが、オープニングシーンでは二人の名前だったのに、四年後は一人になっていて、さも独身になっていることを偲ばせていたりするところも、いかにもハリウッド映画の王道を継承しているように思えた。

by ヤマ

01. 3. 4. 東宝1



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