『預言者』(Un Prophete)
監督 ジャック・オーディアール


 ジャック・オーディアール脚本・監督の君と歩く世界を昨年観たときに、そのシビアな人間観とハードタッチの描出力に感心させられた覚えがあるが、ハードタッチという点では、本作はそれ以上だったかもしれない。

 もう二十五年も前に観たペレ』の映画日誌「石の農園」を出た後のペレの人生に思いを馳せた時、おかしな話かもしれないが、マフィアのことを思った。移民であるために背負わされる厳しい貧困と差別そして根拠地を持てない不安、それら凄じいハンディキャップのなかで、なまじそれらに負けない強烈なガッツを持っていれば、どこかでよほど幸福な出会いがない限り、暗黒街で生きるしかないのかもしれない。と綴ったことを思い出した。

 極寒の北海の流氷のうえをひょいひょいと渡っていけることに必要なメンタリティにしても、口のなかに抜き身の剃刀の刃を仕込んで瞬時に舌先に乗せて咥え直し、標的の頸動脈を切り裂く訓練に要するメンタリティのいずれにしても、僕の過ごしてきた微温湯の境遇からは想像も及ばない世界だ。

 本作で描かれたのは、孤児として読み書きも充分でない育ちをして刑務所に入ったアラブ青年マリク(タハール・ラヒム)が刑務所暮らしのなかで、外にいてはなかなか出来ないような経験によって悪の世知に長けていき、入所したときとは見違える自信と余裕を漂わせて出所していく姿だったように思う。

 これからマリクは、亡きリヤド(アデル・バンシェリフ)の妻子を養いつつ、かつて刑務所を牛耳っていたセザール(ニエル・アレストリュプ)をも凌ぐ暗黒街の顔役になっていくのだろうと思った。微温湯の世界しか知らない者の思う常識的な善悪など到底及ばない世界があることを痛烈に描きながらも、出所の出迎えに訪れた亡きリヤドの妻ジャミラ(レイラ・ベクティ)とその息子の肩を抱き、数台の高級車で迎えに来た己が組織のメンバーを尻目に敢えてバスに乗って帰ろうとするマリクの姿に、むかしの東映ヤクザ映画のエンディングやゴッド・ファーザーを観るような思いを抱きつつ、今の日本やアメリカから失われた“節操”というものの宿っている作品だったのだなという想いが湧いた。

 預言者というのは、実に意味深長なタイトルだと思う。コルシカ人のセザールの命令で殺した自分と同じアラブ人レイェブ(ヒシャーム・ヤクビ)の幻影と対話し預言を得ながら力を蓄えていったマリクを描くことによって作り手が“預言”しているものは何だろうと思いを馳せてみると、今日におけるアラブ移民の問題に向かわざるを得なくなるような気がした。高知では上映されないままきていた本作を、日本での劇場公開から三年も遅れて今あえて上映することにした劇場支配人の意図は、どこにあったのだろう。

by ヤマ

'15.12.13. あたご劇場



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