『共喰い』
『ビザンチウム』(Byzantium)
監督 青山真治
監督 ニール・ジョーダン

ヤマのMixi日記 2013年10月05日01:29

 ちょうど映画の日と重なり、TOHOシネマズのフリーパス活用と合せて
 非常に経済効率のよい観賞ができてラッキーだった。

 期せずしてどちらも難儀な因果を抱えた母子物語だったが、
 邦画の母と息子の物語よりも、洋画の母と娘の物語のほうが
 観後感がよかったような気がする。

 親子関係にしても、男女関係にしても、第三者的に善悪是非を問うのは
 些か浅はかなことで、当事者においては是非もないことだというのは、
 人生の来し方にそれなりの深みを得てきていれば、自明のことなのだが、
 そうは言っても、抱えた難儀の重たさは、
 是非とは別に厳しいものがあるものだと改めて思ったりした。

 そういう点では、無自覚に息子遠馬(菅田将暉)に重い枷を負わせていた
 仁子(田中裕子)に比して、己が身を賤業に落としつつも
 懸命に娘エレノア(シアーシャ・ローナン)のイノセンスを守ろうとしていた
 クララ(ジェマ・アータートン)のほうが、格段に健気だったように思う。

 『共喰い』は、ちょっと中上健次的な、いささかアナクロな匂いのする
 血の物語なればこそ、脚本の荒井晴彦が敢えて“昭和”を印象付け、
 平成の時代には、もう似つかわしくないような物語だとして
 脚本化しているような気がした。
 だが、その昭和テイストを味わうならば、
 先ごろ観た荒井脚本の皆月['99]のほうが
 数段勝っているような気がする。

 青山真治の監督作品としては、サッド・ヴァケイション['07]とも
 どこか通じる女性像が窺えながらも、“母”の部分が決定的に違っていて
 仁子には、千代子(石田えり)のような大地を感じさせる逞しさがなかった。
 むしろ、琴子(篠原友希子)や千草(木下美咲)に見受けられるような
 明らかに諦観とは異なる得体の知れない許容のなかに、
 それに近いものがあったように思う。
 いかにも男性作家の手になる原作のような気がした。

 やはりこういう作品には、『皆月』や身も心も['97]のような
 生々しい息遣いを感じさせる性描写が必要だと思うのだが、
 吉行淳之介の文庫本を読みながらのマスターベーション場面だなんて、
 あまりにも澄ましすぎてやしないか?(笑)

 その点、『ビザンチウム』のクララの描出には、
 実際の肌の露出以上の猥雑さがあって大いに感心。
 それゆえにエレノアとの対照や矛盾が引き立つわけで、
 さすがはニール・ジョーダンだと思った。

 こういうヴァンパイアものというのは今まで観たことがないような気がする。
 けっこうフェミニズム映画的な立ち位置が示されているように感じたのは、
 近年とみに映画というものが女性仕様に傾いてきているように感じていることの
 僻み目のようなものなのかもしれないが、少なくとも同じ女性仕様傾向ではあっても
 『共喰い』における性描写のぬるさへの退行ではなく、
 きっちりと女性映画として仕立てあげるほうが遥に上等だと思った。
 それにしても、実年齢数百歳のクララ24歳を演じたジェマの貫録には感心。
 とても実年齢が26歳だとは思えなかった。


コメント

2013年10月05日 12:47
(北京波さん)
 ジェマは無駄にグラマラスですよね。『アンコール』はよかったですね。


2013年10月05日 21:24
ヤマ(管理人)
 ◎ようこそ、北京波さん、  無駄って、とても大事ですよね、殊に人間には(笑)。
 アンコール!!にも出てるんですか!
 これは、高知でも始まったんで、とても楽しみになりました(あは)。


2013年10月05日 23:56
(ケイケイさん)
 『共喰い』、B中とは、お勧めした責任を感じます(笑)。この作品、妙に女性には人気が高いんですよ。釈然としない部分は多々あるんですが、魅力的な登場人物が、それを超えました。

 >そういう点では、無自覚に息子遠馬(菅田将暉)に重い枷を負わせていた仁子(田中裕子)に比して

 私も最初は薄情な母親だなぁと思っていたけど、見るに従って、彼女なりの母としての愛情を感じました。突き放しながら見守っていたんじゃないですかね? 無自覚じゃなくて、それが無慈悲と知りながら、父親のようになって欲しくないと切に思っていたから、「あんたはあの男の子供や」と、言い続けたと思いました。不器用なんじゃなくて、確信犯かな?

 >その点、『ビザンチウム』のクララの描出には、実際の肌の露出以上の猥雑さがあって大いに感心。それゆえにエレノアとの対照や矛盾が引き立つわけで、さすがはニール・ジョーダンだと思った。

 母親のエロビッチに対して、娘はあくまで清楚を失わず。決して娘には客を取らせなかった事に、母親としての矜持がありましたよね。

 >こういうヴァンパイアものというのは今まで観たことがないような気がする。

 私も新鮮でした。男だけの秘密結社なんて、なんて全近代的な!と憤慨しましたけど、前近代のお話ですもんね(笑)。伊達に200年生きてなかった訳ですし(笑)。ちゃんと時代の変遷を観ていたんですね。演じるサム・ライリーは、ジャクリーン・ビセットと長く付き合っていたマイケル・サラザンに似てたと思いません?


2013年10月06日 01:03
ヤマ(管理人)
 ◎ようこそ、ケイケイさん

 いえいえ、お勧めいただき、むしろ興味深く観ることができましたよ。どっちにしろ、機会さえあれば観逃さない作品ですし、お勧めがなければ、もっとうんざり感が増したような気がしますもん。

 僕は、仁子は薄情な母親だとは思ってないんですが、罪な母親だと見てます。勿論ここで言う「罪」=悪では、ありません。で、もし確信犯として、むしろ良かれと思って言ってたとするなら、罪に加えて、愚かが増すような気がしますが、息子に父親と同じことをするのかもという強迫を植え付けるとは思ってなかったんじゃないでしょうかね? だから不用意だったってことで。

 殴りたくないのに、殴りたくなるのではないかという不安というのは、仁子には、なかなか想像しにくいものではないかという気がします。また、ケイケイさんが日記に「セックス以外では、殴らなかった」とお書きのように円は怪しい生業に従事しているようではあったものの、粗暴極まりない風情はなく、事がセックスの場面においてのみの性癖ならば、仁子が言わなければ、遠馬が気づき自身への不安を掻き立てられるような事柄ではないですよね。そこんとこが遠馬には、とても酷なことのような気がしました。

 日記を読んで、おや?と思ったのは琴子も、お腹の子は浮気相手の子で、円の子ではないと言う。女のしたたかさを表現したかったのでしょうが、これも琴子のキャラを汚しています。とお書きの部分でした。

 僕は「弟か妹かを突き上げることになるんやな」と言って尻込みをした遠馬の及び腰を引き戻すためについた嘘というか方便だと思ってました。彼女は恐らく自身が強く欲していたうえに、優しい遠馬に「あんたは父親とは違うよ」ということを教え、解放してやりたかったのだろうと僕は受け留めていました。だからして、ますます作り手に窺える“女性への甘え”が気色悪かったのですけどね(笑)。バカ丸出しのセリフを言う琴子ですが、遠馬の誕生日の心尽くし等見ていると、女性として温かく行き届いた人だと書いておいでの琴子像に全面的に賛同します。

 ところで、作品鑑賞を掘り下げたいとのことですが、題名の『共喰い』について、ケイケイさんは、どのように受け留めておいでますか?

 あ、ひとつ忘れてた。マイケル・サラザン、知らないんで回答不能です(たは)。


2013年10月06日 12:23
(ケイケイさん)
 ヤマさん

 >息子に父親と同じことをするのかもという強迫を植え付けるとは思ってなかったんじゃないでしょうかね? だから不用意だったってことで。 殴りたくないのに、殴りたくなるのではないかという不安というのは、仁子には、なかなか想像しにくいものではないかという気がします。

 仁子にとっては、それ程セックスの時の暴力が、恐怖だったんじゃないかと。夫婦と家庭は一緒じゃないけど、かなりの部分でリンクするでしょう? そして夫婦とセックスは、密な関係ですよね。琴子と親しんでいる描写は、「息子をよろしく」の思いが込めれていると思いました。結婚を諦めていた片手のない仁子が、夫や息子を得たのに、その家庭から逃げ出してしまった事に対して、忸怩たる思いがあったはずです。息子には、自分が得られなかった幸せな家庭をと言う、母の切なる思いが、あの無慈悲な言葉だったんじゃないかと想像しました。

 >円は怪しい生業に従事しているようではあったものの、粗暴極まりない風情はなく、事がセックスの場面においてのみの性癖ならば、仁子が言わなければ、遠馬が気づき自身への不安を掻き立てられるような事柄ではないですよね。

 「あの男がああいう目をするときは、気をつけんといけん」というセリフは、普段でも得体の知れない粗暴なところがあったと想像できるでしょう? そこをすっぽりスルーしたのは、大いに不満です。光石研のお芝居でも、あんまり落差は感じませんでした。

 >僕は「弟か妹かを突き上げることになるんやな」と言って尻込みをした遠馬の及び腰を引き戻すためについた嘘というか方便だと思ってました。

 いや~、たとえ方便だとしても、個人的には全然ダメな方便ですね(笑)。何というか、ホントに尻軽で頭も軽いバカな女に感じるんです、この台詞。教育はないけど、人としての教養のある彼女に言わせたのは、許せません。なので、気色悪いには同意です(笑)。

 共喰いの本来の意味は、同種の者同士で食い合うという事ですよね。どっちか片方が喰われて、片方が残る。 なので、同種=同じ性癖を持つ父と息子。喰うのは女性ではなくて、息子が父を喰う=乗り越えるという意味かと取りました。

 マイケルは、これがハンサムかな? ジャッキーのページですけど、スクロールすると、ツーショットの画像が出ます。
 http://www.geocities.jp/yurikoariki/jacquelinebisset.html


2013年10月07日 00:27
ヤマ(管理人)
 ◎ケイケイさん

 >仁子にとっては、それ程セックスの時の暴力が、恐怖だったんじゃないかと。夫婦と家庭は一緒じゃないけど、かなりの部分でリンクするでしょう? そして夫婦とセックスは、密な関係ですよね。

 子供が生まれると、より余裕がなくなるとしたものですから、心底耐え難くなって家を出たんでしょうね。でもって、息子を奪われた形になっているから、嫌悪を込めての“あの男”呼ばわりであり、つい息子にもぼやいてしまう、というふうに僕は観ていました。
 でも、そういうパターンって、ケイケイさんが最も憤慨しそうなパターンに思えて、息子のことを考えたら、そこは呑み込めとか仰いそうに感じていたので、映画日記を拝読して大いに驚いたんですよ。逆に“仁子が無慈悲に「あの男の子や」と言い続けた本心”とありましたもの。いやぁ、なかなか読まれへんなぁって(笑)。僕も前に何かで言われましたが(あは)。

 >琴子と親しんでいる描写には、「息子をよろしく」の思いが込められていると思いました。結婚を諦めていた片手のない仁子が、夫や息子を得たのに、その家庭から逃げ出してしまった事に対して、忸怩たる思いがあったはず

 と仰ることについては、大いに理解できます。まぁ「よろしく」というよりも、自分のできない世話を代行してもらっていることへの感謝というか労いのようなものがあった気がしますよね。

 >息子には、自分が得られなかった幸せな家庭をと言う、母の切なる思いが、あの無慈悲な言葉だったんじゃないかと想像しました。

 そうなのかもしれませんが、とんでもない勘違いですよね、それって。息子を追い込んでるだけですもん(笑)。

 >「あの男がああいう目をするときは、気をつけんといけん」と言うセリフは、普段でも得体の知れない粗暴なところがあったと想像できるでしょう?

 そうなんでしょうか? むしろケイケイさんが日記にもお書きのように彼なりに父親としての強い愛情を持っており、遠馬を手放さなかったのでしょう。仁子の後述で、息子は父親に殴られた事はないとわかります。だから仁子は籍は抜かず、少し離れたところから、息子を見守るために、あそこに暮らしていたというふうに受け取っておいでることに近いものを僕も感じていました。北九州なのか山口なのか判然としないながら、九州男児的な荒っぽさはあっても、ほとんど普段は粗暴なところを見せない男だったのではないかと思ってます。

 >そこをすっぽりスルーしたのは、大いに不満です。光石研のお芝居でも、あんまり落差は感じませんでした。

 だとしたら、やっぱ本作は失敗作なのかも。

 >共喰いの本来の意味は、同種の者同士で食い合うという事ですよね。どっちか片方が喰われて、片方が残る。なので、同種=同じ性癖を持つ父と息子。喰うのは女性ではなくて、息子が父を喰う=乗り越えると言う意味かと取りました。

 なるほどねー(感心)。僕は実は全くピンと来なかったのですが、息子の獲ってきたウナギを女にも子供にも食わさずに一人貪る円の姿に、汚い川で残り物や汚物を食って育ったとのウナギを被せての“共喰い”かとチラリと思ったのですが、原作では男女のつもりなのかなと思ったりしてました。父子は全くの想定外だったので、驚きです。訊ねてみてよかった~。

 >マイケルは、これがハンサムかな?

 なんか間が抜けてますやん!(笑) ま、ハンサムっちゃハンサムなんでしょうが。
 ところで、こちらのサイト、僕が時々クラシック作品を推薦テクストに拝借してる『映画ありき』さんですねー。


2013年10月07日 20:28
(ケイケイさん)
 ヤマさん

 >映画日記を拝読して大いに驚いたんですよ。

 ほほほ、タマには私も意外性の女にならないと(笑)。確かに最初は理解出来なかったんですよ。だって夫婦の閨の話なんか、子供にしませんもん。でも観ているうちに、映画が描ききれていない得体の知れない円の本質を、仁子を通して感じたんですね。これは、田中裕子の好演からです。そして口とは裏腹の、息子への慈愛も感じました。決定的だったのは、父を殺そうとした息子を制して、自分が行った事です。

 >というふうに受け取っておいでることに近いものを僕も感じていました。

 息子に対してはね。だから仁子も、置いてきても大丈夫だと踏んだんでしょうね。ただ妻に対しては、愛情は持っていないですね。円に取って、女性はあくまで性の対象でしかない。それは不幸な事なんだと、仁子はわかっていたと思います。性に翻弄されるのは、やっぱり不幸な事ですよ。お酒に呑まれて、依存症になるのと同じですね。

 >ほとんど普段は粗暴なところを見せない男だったのではないかと思ってます。

 粗暴な所はないけど、得体の知れない恐ろしさは感じさせないといけない役だったんじゃないですかね? それも普段から。そこは失敗していると思います。失敗作と言うほどでもないですが。

 >なんか間が抜けてますやん!(笑)

 そうですか?ハンサムですよ! 確かにジャクリーン・ビゼットが選んだ相手と思えば、彼には荷が重いかもですか(笑)。お友達のサイトだったんですね。偶然にしては、素敵ですね(笑)。早速また訪ねてみます。


2013年10月07日 23:07
ヤマ(管理人)
 ◎ケイケイさん

 無駄と意外性は、人間にとってとても大事なものですもんね(笑)。でも、ケイケイさんが仁子のそれを易々と許容していることには驚きましたよ。さっき『アンコール!!』を観てきて、mixiに記したし、日誌まではとも思ったのでケイケイさんの映画日記を拝読したら、「多分ね、悪気はないんですよ。でも子供がどれほど傷つくか想像できないわけです。」とあって、まさしく仁子が息子に言っていたことについての僕の受け止めと重なっていて、非常に興味深く感じました。

 息子を制して自分が向かったことについては、僕は慈愛よりもむしろ贖罪のようなものを感じていたのですが、いずれにしても“母”ですよね。

 円に普段から得体の知れない恐ろしさを付与するのは、キャラ造形的にはありがち過ぎて、そうでないほうが好みなのですが、光石研が適役だったとはあまり思ってません(たは)。

 それはともかく、ケイケイさんが映画日記に親の業や血の汚さに苛まれる子供はたくさんいます。大人になっても、その葛藤に縛られる人もいるはず。それはちっぽけな事なんだと、嘘くさく語るのではないです。だってちっぽけでは絶対ないから。もがき苦しみながら乗り越える姿を描いた事に、私は感銘を受けました。とお書きになっている点については、とても納得感を覚えました。うん、そう感じたなれば、そりゃ好きになるだろうなぁって思いましたよ。

 >『映画ありき』

 お友達のサイトと言うまでの交流はしていませんが、クラシック作品を観たら訪ねて行ったりしていますね。確か前に、ケイケイさんとこの掲示板にも書き込みをしておいでた気がしますよ。




*『共喰い』
参照テクスト:原作小説の読書感想
推薦テクスト:「映画通信」より
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1912229341&owner_id=1095496

*『ビザンチウム』
推薦テクスト:「映画通信」より
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1912785789&owner_id=1095496
推薦テクスト: 「TAOさんmixi」より
http://mixi.jp/view_diary.pl?owner_id=3700229&id=1913677491
推薦テクスト: 「なんきんさんmixi」より
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1922328860&owner_id=4991935
編集採録 by ヤマ

'13.10. 1. ヒューマントラストシネマ有楽町
'13.10. 2.     TOHOシネマズ・シャンテ



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