『野良犬』['49]
監督 黒澤明


 黒澤ファンの先輩から、未見を呆れられ宿題となっている黒澤作品群の一つである本作を観て、戦後わずか4年なのに、実に丁寧に撮られた映画であることに驚いた。

 ベテラン刑事の佐藤(志村喬)が村上刑事(三船敏郎)を自宅に連れて行き、配給のビールを振舞った際に“アプレゲール”という流行語が会話のなかに出て来た。今やこの言葉に触れる機会はもうほとんどなくなったが、まさに戦後のさなか、これからどう生きていくべきかを日本人が迫られていた時期の作品なのだ。復員列車のなかでリュックに入った所持品の一切を盗まれた二人の男が、治安を取り締まる側の警察官と無法に身を任せる犯罪者にと分かれた姿を、まさしく当時の時代状況そのものとして捉えていた志の高さと脚本の見事さに感服した。佐藤宅を村上が辞そうとした際に、これを見て行ってくれと三人の幼子の寝姿を見せる場面が効いていて、戦後の荒廃のなか、次世代のために大人がしなければならないことを作り手が問うている気がした。そして、昨今の公人の発言の無責任さが余りにひどいからだろうか、佐藤刑事の次世代を思う心や村上刑事の愚直なまでの律義さは、今の日本では本当に死滅しているのではないかという気がした。

 犯罪捜査における謎解きものとしては、最初こそ暑苦しい閉塞感に包まれていて難事件を窺わせていたが、拳銃密売屋の本多(山本礼三郎)の情婦(千石規子)を捕えて進展し始めるや、犯人に迫る証言者が次から次に現れ繋がっていった。その直線的な運びに少々飽き足りなさを覚えながらも、時代状況と人間を確かに捉えた含蓄の豊かさが文句を言わせない脚本になっているように感じた。

 同じ戦後の荒廃に晒されつつ、対照的な生業に身を投じた二人の男の対照もさることながら、闇市やバラックの佇まい、特飲街や売春窟の有様と対照的に、居室で優雅にピアノを奏でる生活が戦後4年にして既に並立している状況が痛烈に描き出されていた。レビューの踊り子の並木ハルミ(淡路恵子)が遊佐(木村功)から贈られたドレス着について「盗まずに手に入れようと思ったら、盗むよりも悪いことをしなけりゃ手に入らないようなものをショーウィンドウに飾ったりしているほうが悪い」などと言っていたことについて、当時とあまり変わらないリアリティを覚えさせるようになった現在の格差社会が追いやってしまった一億総中流時代というのは、戦後数十年の一時期に咲いた仇花で終わってしまうのだろうか、などとも思った。

 脚本の持つそういった時代性というものを際立たせていたのが、まさに戦後4年当時の闇市を生々しく捉え、当時の流行歌で繋いでいた、村上刑事の捜査場面の演出だったように思う。遊佐に刑事が来ていることを気づかせる運びもなかなか巧いと思った。

 それにしても、先ごろ亡くなったばかりの淡路恵子のデビュー作だとは奇遇だったが、16歳当時の彼女を観ても、なんだか晩年とは繋がらなくて驚いた。また、志村喬が実にいい味を出していたように思う。新米刑事の村上に薫陶を与えるベテラン刑事として、とても味わい深かった。さすがに名作の誉れ高い作品だと改めて思った。
by ヤマ

'14. 1.26. DVD観賞



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