『東京家族』
監督 山田洋次


 小津監督の『東京物語』['53]を観たのは、三十年近く前の26歳のときだが、もっと哀感のほうが強かったような気がして、当時の日記を覗いてみると淋しさとか不満とかを口にせず、むしろ逆に幸福なんだと自分に言い聞かせながら、恨み言や愚痴を決して漏らさない姿が強さとしてではなく、哀感として観る者の胸を打つ。 まことに辛抱強い、つつましやかな生き方で、ここにもまた今は失われつつある日本的なものを見る思いである。と記してあった。

 血縁に甘えた薄情さというか優先順位における二の次感は、本作の長男夫婦(西村雅彦・夏川結衣)や長女夫婦(中嶋朋子・林家正蔵)にも確かに窺えたが、ドライな感じは六十年前の『東京物語』のほうが強く、家族物語としての厳しさが痛烈だったような気がする。だからこそ、戦死した次男の嫁である紀子(原節子)の美徳が際立つようになっていた覚えがある。そういう意味では、ダイレクトに“家族”をタイトルに冠した本作のほうが、家族間の淋しさや哀切よりもむしろ程々の幸福感や慰めというものを言葉どおりに享受している老境や末期を描いていた気がする。

 それには、昌次(妻夫木聡)の婚約者である紀子(蒼井優)に会うことで、とみこ(吉行和子)や周吉(橋爪功)の得られたものが、『東京物語』にあった“非血縁者からの代償”といった感じの伴わない、掛け値なしの幸福感だったように感じられる部分が大きいような気がする。次男昌次の心許ない行く末に対し、とみこが思いがけなくも初めて会った紀子から得られた安堵を描いていた場面は、とりわけ印象深く、それぞれ別々の一夜を過ごした老夫婦が長男宅に翌日戻ってきたときの対照の程による強調が、なかなか効いていたように思う。

 また『東京物語』で原節子が演じていた紀子は、かなり美化されていたような記憶があるのだが、本作で蒼井優が演じた紀子には現実感のある理想化が施されていて、キャスティングにとても見合っていたような気がした。形見分けに時計を贈られるエピソードとしても、僕は本作のほうが好きだ。

 忙しく薄情を促さずには置かない都会というものを描きつつも、都会と田舎の対照以上に、現代化という時間の経過が損なってきたもののほうを強く訴えているような気がした。『東京物語』にはなかった形で、田舎の小島での近所の親身の濃い暮らしぶりを描いて、都会と田舎の対照を強調していたにもかかわらず、僕がそのように感じたのは、小料理屋で沼田(小林稔侍)から強引に勧められて痛飲した際に周吉が管巻いていた「この国はおかしくなってしまった。間違っている。」という言葉が強く響いていたからなのかもしれない。紀子が勤め先の本屋で客に求められて棚から取り出していたバージニア・リー・バートンの『ちいさいおうち』は、我が家にもある僕のお気に入りの絵本だが、都会と田舎の対照を都会化という時間軸をも見事に取り込んで描いた名作で、まさしく本作にぴったりの小道具だと思った。

 今の時代、周吉とみこ夫妻は、やはり沼田の言葉どおり、幸せな老後なのだろうと思う。子供が親元にいないなどというのは、もはや田舎では当たり前のことになっている気がする。非常に山田洋次色の濃い東京物語だったわけだが、ただ単になぞるリメイクではなく、現代の物語として充分通じる工夫を施し、しっかり携帯電話も登場させたうえで、自作の作風というか個性をも強く打ち出しながら、元作へのリスペクトが随所に窺える出来栄えは、流石と言うほかない。橋爪功の周吉の語り口が、時に非常に笠智衆を彷彿させる感じがあったこともなかなか効いていたように思う。




推薦テクスト:「田舎者の映画的生活」より
http://blog.goo.ne.jp/rainbow2408/e/c18c434fc8d87ce9afac8071727233ff
推薦 テクスト:「チネチッタ高知」より
http://cc-kochi.xii.jp/hotondo_ke/13020302/
by ヤマ

'13. 2. 5. TOHOシネマズ1



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