『大統領の執事の涙』(The Butler)
監督 リー・ダニエルズ


 原案タイトルの『執事:歴史の目撃者』の示す歴史ものというよりも、親子もの夫婦ものとしてのニュアンス豊かな家族の物語として実に優れているからこそ、公民権運動の視点からのアメリカ現代史に血肉が通い、その時々の大統領の政策判断も含め、政治や人を単純な善悪では括れないことがよく伝わってきたのだろう。

 ちょうど山田洋次監督の小さいおうちとほぼ重なるスパンの現代史を扱い、名もなき人の生涯を通じて現代史を語りながら、スケール感に大きな違いがあったが、作品的な充実では拮抗しているように感じた。美術の充実も含め、よく練られた脚本ともども、このスケール感の大きさは流石アメリカ映画の底力だという気がする。そのうえで、真摯に誠実に当時を生きた人々に対する偶像化ではない敬意がしっかりと宿っている点が、日米両作の気持ちのいいところだと思った。

 2009年のオバマ大統領の就任式に招待され、翌年90歳で逝去した実在の黒人執事を題材にしているようだが、それなら本作の始まる1926年は6歳なのに、敢えて10歳くらいに見せていたのは何故だろう。セシルの父親の死にセシルの眼差しが関与しているように感じてならなかったのだが、そのためには6歳だと少々無理があるからだろうと思ったものの、それなら1930年にすればいいわけで、尚且つ1926年にこだわらなければならなかった理由は何だったのだろう。僕のアメリカ史に対する知見では思い当たるものがないのだが、アフリカン・アメリカンにとっては重要な年なのかもしれない。

 母親(マライヤ・キャリー)を納屋に連れ込もうとする白人の主人を睨んでいたセシルに対し「彼らには逆らうな」と顔を強張らせていた父親が、小屋から出てきたウェストフォール(アレックス・ペティファー)に立ちはだかって抗議の眼差しを向けて呆気なく殺害されるに至った顛末に、僕は納屋から聞こえてきた妻の悲鳴以上に、主人に抗しない父親に対して息子が向けてきた眼差しの厳しさが作用しているように感じた。少なくとも長じたセシル(フォレスト・ウィテカー)の記憶において、父親を死に追いやったのは自分であるような意識が内在されていたような気がする。この余りに理不尽な父親の死が図らずもセシルに執事への道を開いてくれたことになる人生の綾も含め、父親と息子の関係というのは是非を超えた因縁に彩られているのだとつくづく思う。

 国に抗って逮捕収監を繰り返した長男ルイス(デヴィッド・オイェロウォ)と国のために志願をしてベトナムで命を落とした次男チャーリー(イライジャ・ケリー)は、どちらもセシルが内在させながら発現させられなかった彼自身の両面であるように描かれていたような気がする。従順に白人に仕えるセシルに対する反動が形成したとも言えるルイスは、白人に抗えない父親に非難の眼差しを向けたセシルから発したものであるし、そのようなセシルから発したルイスに対する反動がチャーリーを形成していたとも言えるわけだが、それは、まさしくアメリカに生まれたアフリカン・アメリカンが、公民権運動に対して迫られたスタンスに通じるものがあるような気がした。そして、父親と息子そして兄弟というのは、黒人差別の問題を抱えていようがいまいが、基本的にそういう関係にあるようにも感じた。そのようにして観たとき、やはり偉大なのはセシルの妻グロリア(オブラ・ウィンフリー)なのだと改めて思う。

 長男に対する夫の向い方を解しながらも咎めつつ取りなし、ルイスに手を差しのべながらも、父親に対する暴言には夫に先んじて毅然と平手打ちを喰らわせる母としての想いと夫から与えられる庇護と放置に対する感謝と寂しさに揺れるグロリアを絶妙のニュアンスで演じていたオブラ・ウィンフリーが実に素晴らしかった。アメリカの公民権運動におけるルイス的存在とセシル的存在の間に立って繋げていたグロリア的存在があってこそ、新世紀になって遂に大統領を輩出するに至る歴史が刻まれたのだという歴史観を作り手が抱いているような気がした。そのうえでも、ルイスが非暴力的立場で活動したキング牧師の運動のみならず、マルコムXの率いた暴力も辞さない黒豹党の活動にも参画し、南アフリカ政府のアパルトヘイト政策に抗議してマンデラ解放を求める運動にも携わり、選挙にも打って出る姿を描いていたことや、公民権運動の初期から白人の運動家がいてシット・イン・アクションに参加している姿を描いていたことに大いに感心した。

 また、キング牧師に言わせていたルイスの父親の職業についての「威厳ある態度で謹厳実直に振る舞い仕えることで白人たちが普通に抱く黒人のイメージを変えた功績は計り知れない」との弁が心に残った。作り手からのメッセージなのだろう。物語では、キング牧師のこの言葉に対し、ルイスが思わぬ視点を与えられて意表を突かれたような顔をしつつも、この時点ではその意味を理解するに至らない姿を映し出していたように思う。思えば、ジャンゴ 繋がれざる者のスティーヴン(サミュエル・L・ジャクソン)も黒人執事だったわけだが、かの作では黒人でありながら白人にコミットして自分以外の黒人を見下す存在として描かれていたような気がする。大統領の執事ともなると確かに“ハウス・ニガー”など及びもつかない特別な存在であり、そういう意味では、セシルは無名のシドニー・ポワチエだったとも言えるわけで、本作において『夜の大捜査線』は言及を欠いてはならない映画なのだと大いに納得した。なかなか大した作品だったように思う。

 これに限らず、公民権運動にまつわる主だった事件、歴史上の人物を巧みに登場させていて、とても感心したのだが、とりわけ歴代大統領の個性と政治判断をコンパクトに活写していた部分は、実に見事だった。その各大統領の描出の巧みさと的確さは、十時間がかりで観たオリバー・ストーンが語る もうひとつのアメリカ史にも見劣りしないものだったように思う。基本的には民主党支持の窺える作り手だったが、レーガン(アラン・リックマン)を政策的にはともかく愛すべき人物として描いていたのが目を惹いた。アイゼンハワー(ロビン・ウィリアムズ)は食えない人物で、お坊ちゃんのケネディ(ジェームズ・マースデン)は良くも悪くも率直で軽快、ジョンソン(リーヴ・シュレイバー)は例によってケチくさく細かい小物として描かれ、ニクソン(ジョン・キューザック)は裏工作好きの二枚舌だったが、ナンシー・レーガン(ジェーン・フォンダ)が最も美味しいところを持って行っていたような気がする。

 それにしても、原題がbutlerなのだから、執事なのだろうが、servant(使用人)なり、waiter(給仕人)とならないのは何故なのだろうと、英国王給仕人に乾杯!などのことを思い出したりしながら、少々訝しく感じていた。

by ヤマ

'14. 3. 4. TOHOシネマズ8



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