| |||||
『ジャンゴ 繋がれざる者』(Django Unchained) | |||||
監督 クエンティン・タランティーノ | |||||
予告編しかまだ観ていない『リンカーン』でスピルバーグが描こうとしているものをタランティーノが映画にすると、こうなるのだろう。両方を観ているわけではないながらも、たぶん僕は、こちらのほうが好きだ。 ジャンゴ(ジェイミー・フォックス)がDr.キング・シュルツ(クリストフ・ヴァルツ)と出会って、人としての誇りと自負を次第に形にして行き始めるときに、ジム・クロウチの歌う“I've Got A Name”が流れ出して、すっかり痺れた。先々月に観た『牙狼<GARO> ~蒼哭ノ魔竜~』の主題にもなっていたが、名前というのはアイデンティティの根っこだ。ジャンゴに憎悪に近いほどの嫉妬を抱いたと思しきスティーヴン(サミュエル・L・ジャクソン)の差し金で、ミス・ララから“死よりも過酷”という鉱山強制労働に売り渡される際に、名前などなくなるのだと宣告されていたこととの対照が効いていて、大いに感心させられた。そして、クリストフ・ヴァルツが、実にかっこよかった。 それにしても、残酷趣味を恣にするムッシュ・キャンディ(レオナルド・ディカプリオ)のこだわった握手はどうだ。そして、シュルツのこだわった握手。むろん二人とも、握手そのものにこだわったわけではない。どうして、力ある者は力にこだわり、人を従わせたがるのだろう。アメリカのWASPを観てると、いつも思うことだ。そして、アメリカナイズをグローバル化と称している昨今の日本の支配者層たちも、ある意味すっかり同化しているような気がする。まさにムッシュ・キャンディの家に三代に渡って仕えている執事スティーヴンのようだ。 そういう意味でのスティーヴンのイタさというのが実に印象深く残る作品だと思う。単純な悪役ではないとこが痛烈で、主のキャンディよりも目先が利き、シュルツたちの企みを見破る力があるという図式は、シュルツに教わった銃の腕前がシュルツを上回っているジャンゴと同じだ。そのことが痛いほど判るからスティーヴンは、ジャンゴに対して憎悪に近いほどの嫉妬を抱いたのだろう。彼らの企みを見逃したところで、スティーヴンの懐が傷むわけではないし、騙された主人の責任を執事の彼が問われるわけでもないのに、シュルツたちを見逃さないで注進に及ぶのは、キャンディへの忠誠心というよりも己が生き方を否定されたように感じられるジャンゴの存在への憎悪なのだろう。 どんなに足掻いたところで、最後には力のある白人たちのほうが勝つのだと、言い訳がましくジャンゴに弁明していたのは、シュルツによってジャンゴに拓かれた地平など想像だにしたことがないままに、老執事に至るまで過ごしてきた自身の生を肯定するための苦衷の表れだったような気がする。頭蓋骨の三つの窪みが服従領域にあるなどと言われ、亡父の喉を剃刀で切り裂く機会は何万回とあったのに、気が知れないなどとキャンディから言われるような侮りを生むのが、単に習慣として馴らされているからだとは容認しがたいところがスティーヴンにあったからだと思った。実際のところは、スティーヴンの目に映ったジャンゴがジャンゴそのままではなくて、シュルツから与えられた役割を演じることで過剰に増幅されていたのだが、目利きのスティーヴンでも流石にそこまでは見抜けないという形になっていることにより、説得力が倍加しており、実に見事だ。そのおかげでスティーヴンは、驚愕するとともに憎悪に近いほどの嫉妬を抱くわけだ。 かような彼の苦衷を察すれば、我が国のスティーヴンもどきは、本作のスティーヴンよりもずっと卑しい己が利得のために執事になっている気がする。得意げに振る舞っているところはスティーヴンと同じで、彼がそうだったように一部の同胞からは別格として一目置かれつつも、彼が忠誠を装っている当の相手からは侮られ、客観的には醜態至極の存在という点では、全く同じように見える。大した風刺力で、サミュエル・L・ジャクソンの絶妙の演技が光っていた。 タランティーノが、純正の西部劇ではなくマカロニウェスタンを引用する形で、本作の主人公を敢えて黒人とドイツ人のコンビにしてウェスタンテイストの作品を撮ったのは、故ない事ではない気がする。相変わらずの娯楽色満載の映画作りを全うしつつ、実に大したものだ。きっと映画の最後でジャンゴに向けて発せられていた“いたずら小僧”と呼んでほしいということなのだろう。あの時代をオタク的なまでに物凄く調べつつ、それを前面に出すのではなく、あくまで娯楽の背後に利かせる批判力こそを“いたずら小僧”と自認している台詞のような気がした。シュルツのロジックにしても、スティーヴンの思弁にしても、KKK団ギャグにしても、表層調査では脚本として書けないだけの深みがあって恐れ入った。 タランティーノが出演していた三池監督の『スキヤキ・ウエスタン ジャンゴ』['07]は、そう大した作品ではなかった気がするが、その出演が本作の生まれる端緒になっているのなら、大いに値打ちのあることだ。これまでに観たタランティーノ作品のなかで最高の出来栄えだったように思う。 参照テクスト:『続・荒野の用心棒』(Django)['66] 推薦テクスト:「チネチッタ高知」より http://cc-kochi.xii.jp/hotondo_ke/13043002/ 推薦テクスト:「お楽しみは映画 から」より http://takatonbinosu.cocolog-nifty.com/blog/2013/04/post-b300.html 推薦テクスト:「映画通信」より http://www.enpitu.ne.jp/usr1/bin/day?id=10442&pg=20130303 推薦テクスト:「TAOさんmixi」より http://mixi.jp/view_diary.pl?owner_id=3700229&id=1895970503 推薦テクスト:「田舎者の映画的生活」より http://blog.goo.ne.jp/rainbow2408/e/467ba74f523da7842a393fca0c23dc16 推薦テクスト:「大倉さんmixi」より http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1894937536&owner_id=1471688 推薦テクスト:「超兄貴ざんすさんmixi」より http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1896237638&owner_id=3722815 | |||||
by ヤマ '13. 4. 6. TOHOシネマズ2 | |||||
ご意見ご感想お待ちしています。 ― ヤマ ―
|