『キツツキと雨』
監督 沖田修一


 11月も下旬に入ろうかとするなかでの野外観賞は、さすがに寒い。二年前に観た同監督の南極料理人なら、寒さが似合うのかもしれないが、今回は風も舞う吹きさらしに閉口して最後尾の壁面近くに退避した。すると今度は、四方を壁に囲まれている音の反響に科白が聴き取りにくく、また風に揺れるスクリーンに映る画像の不安定さにも悩まされた。それでも、野外上映の開放感と外気が効果的に作用する屋外シーンの多い作品で、役所広司がさすがの貫禄だったように思う。

 本作の新人監督田辺幸一(小栗旬)は、たぶん沖田監督同様に監督/脚本を担っているはずで、その自信のなさげな新人ぶりから、アマチュアの映画小僧とほとんど同列に思えてくる。そして、そのアマチュア映画小僧を描いたSUPER 8/スーパーエイト桐島、部活やめるってよ!で撮られていたのが、やはりゾンビ映画だったのは、偶然の一致とばかりも言えないような気がした。おそらく撮影場面を絵にしやすいということがあるのだろう。普通のドラマの撮影場面より断然、映画撮影の場面だということが打ち出しやすいのは間違いない。また、討たれても討たれても蘇ってくる不屈が一目瞭然であることやズタボロになっている有様など、映画制作に魅入られた者の戯画としても効果的だ。

 本作を観るに至って、初めてそんなふうな気づきが得られたのは、『SUPER 8/スーパーエイト』や『桐島、部活やめるってよ!』に宿っていたゾンビ映画への思い入れがほとんど感じられずに、他方で、映画制作現場ということに対する思いが豊かに宿っていたからだろう。

 そういう意味で、僕は、木に楔を入れるキツツキたる林業労務者の克彦(役所広司)の働きかけによる村人の協力で、想定人数の六倍もの竹槍婦人隊を組むことができ、俄かに盛り上がる現場を描いた体育館での撮影テストの場面が好きだ。新米監督以上に現場を仕切っているベテランのチーフ助監督(古舘寛治)が興奮し、これだけの人数なら隊にリーダーを置きましょうとアイデアを出して竹槍隊の掛け声がピタッと決まり始め、それを観た撮影監督(嶋田久作)が、レールを敷いて回り込む撮影をしようと言い出すようなスタッフの活気を生み出す元となったものが、名もなき人々による人海力だというところが、実に映画制作の現場というものを物語っているように感じられた。

 そして、それぞれの理由によって甘味断ちをしていたはずの二人のなかで、克彦が幸一に無理やりスプーンでプリンだか餡蜜だかを食べさせる場面が、なかなか良かった。台本の裏に「自分」と大きな字で書き込んでいた幸一が、うまく現場を制御できずに自分を見失いがちななかで自ら決めた験担ぎに囚われ、地元民の好意を無にする姿に対し、克彦が先ず自分のほうから禁を破って口にし、黙って幸一の口に押し込むわけだが、観ている僕の目には、幸一が既に好物の甘味断ちをするまでもなく撮影現場を上手く転がせだしたことへの了解があり、克彦がそのことを幸一に伝えようとしているように映ったからだ。

 沖田監督のステージトークによれば、本作は『南極料理人』を撮ったときのことが活かされている作品らしい。修一監督は幸一監督ほどではなかったにしても、現場の仕切りということでは、さぞかし苦労したのだろう。さすれば、僕が『南極料理人』の日誌に綴った“料理にまつわる嘘”の部分は、監督としても不本意だったことなのではないかと思った。

 また、湯に浸かりながら近づく二人の間合いや呼吸、あるいは差し出された手に対する二つの場面の対照、『南極料理人』でもそうだったように、ユーモアとともに情緒を宿らせる場面を映し出すのがなかなか巧みな監督だと思った。

 岩風呂の場面では、最初は、映画制作現場と幸一というものに興味を持ち始めた克彦が寄っていき幸一が少し引く。二度目は、克彦の助力で撮影が上手くいった幸一のほうが寄っていき映画制作に取り込まれて亡妻の三回忌の準備をも忘れていた忸怩を抱える克彦が少し引く。でも、どちらの場面でもしっかと二人の間の距離は詰まっていくことが絵として映し出されている。上映会後に催された深夜の懇親会の席で、その対照のことに触れたら、湯船に浸かったまま近寄るのは現場での役所広司のアイデアによるものだと沖田監督が教えてくれた。股間が写らないように湯を濁す嘘を施したくないとこだわった自分の意を汲んで、彼が写らない動き方をして見せてくれたことで出来上がった場面だそうだ。

 後者では、幸一が怖気づきながらも現場で何度もリテイクを求めた大物俳優(山崎努)が出番の終わった夜のスナックで寛ぐなかで幸一を呼び出し、あれでよくなったと激励の握手を求めて手を出したことに対して、幸一が嗚咽を漏らしながら両手で握り締めていた最初の場面と、雨に祟られた撮影現場を奇跡的に乗り切ることができた幸一に対してねぎらいの握手を求めて克彦が手を出してきたことに対して、ハイタッチ気味に軽く交わしていた二度目の場面との対照なのだが、二度目の場面で同じく握手を繰り返させないところがいいねと水を向けると、「あれは、おかげでもう助けなしでもやっていけるようになったっていうことなんです」とのことだった。



推薦テクスト: 「シネマの孤独」より
http://sudara1120.cocolog-nifty.com/blog/2012/03/post-5791.html
by ヤマ

'12.11.18. 県立美術館中庭



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