『南極料理人』
監督 沖田修一

 南極観測隊員の日々の仕事は、どこかゆったりした感じが漂ってはいても、言わば、収監懲役に等しい状況に置かれるわけだから、やはりとんでもなく過酷な勤務だと改めて思った。雪氷学者の本さん(生瀬勝久)のように、自ら求めて赴くのでなければ、とても耐え難いとしたもので、四百四十数日のちょうど半分あたりで、学者連中以外の一般職種の三人である車両担当の主任(古舘寛治)、通信担当の盆(黒田大輔)、補助員の兄やん(高良健吾)らが精神的な変調をきたしていたのが、さもありなんと思えた。それでも、彼らがからくも持ちこたえていけたのは、やはり料理人西村(堺雅人)が提供し続けた食の支えに負うところが大きかろうことがよく伝わってきたように思う。

 冒頭、缶詰か冷凍食品か乾物といった保存食しか食材にできず、蒟蒻などは冷凍すると壊れてしまうので持ち込めないといったことがナレーションで語られるが、映画でのなかで食卓に並んでいた料理の数々は、そういった制約を露とも感じさせない豊かさで、プロの仕事の凄さを感じた。面白かったのは、日本だと高級食材となるカニがいつでも食べられる状態にありながら、隊員達の舌に馴染んだラーメンの消費速度が激しくて忽ち在庫がなくなってしまい、カニよりもラーメンのほうが貴重食になってしまう逆転現象だった。日常的に重ねる食事において真に必要なものは、いわゆるグルメ料理ではないことがよく表れていたように思う。

 可笑しかったのは、伊勢海老のエビフライだ。あれは本当にあったことなのだろうか。少々不思議だったのは、缶詰か冷凍食品か乾物しかないはずなのに、どうも卵が使われていたような気がしてならなかったことだ。卵の保存方法があるのだろうか。もしも、実際のエピソードでありながら、南極では卵を使わずに作ったフライを、映画では画面の見栄えのために無造作に卵を使ったのだとしたら、娯楽作品とはいえ、この映画の根本のところに関わってくる由々しき問題だと思う。クローズアップで映し出されていた見事な料理の数々が、冒頭のナレーションにあった制約のなかで、“南極料理人”たる西村の作り出した料理の数々の再現だと思えばこそ受けた感銘というものが、一気に色褪せてくる気がしたからだ。それは、実話の映画化でありながら、モデルとなった実在の人物とは似ても似つかぬ美男美女でキャスティングすることとは、わけが違うように思う。標高3,810m、平均気温-54℃、昭和基地から1,000kmも内陸へ入った、富士山よりも標高の高い基地。そこはペンギンもアザラシも、ウィルスさえ存在しない白銀の世界。という桁外れの異環境なればこそ、全て持ち込みの保存食で四百四十数日を生き延びなければならないわけだから、体験者以外には想像もつかないような面白不思議な事々が起こるのであり、それは料理においても例外ではないわけで、そういう状況について「食」に焦点を当てて描きながら、西村氏を原作者としてのみ置いただけで監修者ないしスーパーバイザーにも入れず、フードスタイリストとして二人の女性を起用している製作態勢に一抹の危惧が拭えない気がした。当の西村氏は、画面に映し出された料理の数々を観て、どのように思ったのか訊いてみたいものだ。見事に再現されての「おいしいごはん、できました。」だったのならば、文句なしなのだが、そうではない気がしてならない。
by ヤマ

'09.11.14. TOHOシネマズ3



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