『不倫期限』(Tuesday, After Christmas)
監督 ラドゥー・ムンテアン


 知人から貰ったDVDのなかの劇場未公開の1作。現代のルーマニア映画であることと、ラベルに映っていた居室のベッドに横たわる全裸女性のバックヌードの尾てい骨の辺りに「夜」の文字のタトゥーが施されている図柄に惹かれて珍しくも家で観た。冒頭、日中の明るい陽の光のなかでの事後と思しき二人が全裸のままベッドに横たわって交わす“ピロートークと戯れのなかに窺えた親密さのリアリティ”が絶妙で、そこに掬い取られていた距離感の微妙さの描出に並みの作品ではないと直ちに思った。そのトップシーンの後は、ただの1カットも女性ヌードの出てこない本作が描いていたのは、浮気ではなく“ステディとしての関係性を維持しようとする不倫”のもたらすストレスと、その及ぼすものの意味だったような気がする。

 パウル(ミミ・ブラネスク)とアドリアナ(ミレーラ・オプリショル)の夫婦は、それなりの地位にある銀行員と法曹職というステイタスを有している感じで、小学四年生の一人娘マーラとともに基本的に円満な家庭を築いているようだった。そのパウルと不倫関係を結んで五ヶ月になるラルーカ(マリア・ポピスタス)は、間もなく28歳になる独身の歯科医で、年上と思しき男性の助手も雇っているようだった。つまり、三人とも経済的には自立できる境遇にあるという設定だったからこそ、余計に関係性のみに焦点が当たる形になっていたわけで、おそらくそれは、作り手の意図したところなのだろう。そうしたなかで浮かび上がっていた男女三人の不倫問題における心模様については、現代日本と余りにも近しいものがあり、少々違和感が生じるとすれば、始まって五ヶ月くらいの不倫関係のなかで、ラルーカの母親とパウルの間に面識があるばかりか、娘との関係がオープンになっていて、訪問さえしていたことぐらいだったような気がする。

 娘マーラの診療に当たっているラルーカとの関係のなかで、わずか五ヶ月ばかりで妻に「つらい」などと零してしまうパウルの言葉のいい気さ加減を指摘するのは簡単なのだが、むしろそのくらいの経過時期こそが最もしんどい頃なのかもしれないと、去年観た夜明けの街でを想起しつつ思ったりした。『夜明けの街で』の渡部和也は翻弄されるままに、選択などする暇もなく妻に気取られていたが、パウルは、その苦しさに耐えかねて家庭のほうを壊す選択をし、自ら妻に明かしていたわけだが、そんなパウルと、突然死に見舞われるまで秘匿し続けた魂萌え!の隆之との対照を思わないではいられなかった。フランスほどに個人主義が徹底しているわけではなく、日本でいう“子供はかすがい”のような言葉がラルーカの母親から発せられたりもしていたが、日本よりも少しフランス的な感じを受けた。

 邦題の『不倫期限』というのは、原題と同義らしい英題の「火曜日、クリスマス後」のことを指しているのだろう。その日は、ラルーカが帰省から戻ってくる日で、パウルがその日までに結論を出そうとしたことから来ているのだろうが、人生を台無しにされたと憤慨しつつも、自分に男を見る目がなかったからだとパウルに言い放つ気丈さを備えたアドリアナとは公証人役場へ行く手はずまで確認していたから修復はないのだろうが、それでも孫とクリスマスを祝う祖父母宅でマーラに気付かれぬよう娘へのプレゼントの受け渡しを後ろ手で交わす二人の阿吽の呼吸を捉えていたショットが印象深かった。

 そうなってしまった以上、是非を言っても詮無い問題なのだが、イラン映画別離で捉えられていた離婚がそうであったように、婚外恋愛に原因があろうがなかろうが、親の離婚が子供に与えるダメージが大きいのは同じで、ルーマニアのマーラであれ、イランのテルメーであれ、フランス人とアメリカ人のハーフであるサラの鍵のゾイであれ、降って湧いた災難であるのは間違いない。
by ヤマ

'12. 8.25. DVD鑑賞



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