チェルノブイリ事故当時の反原発ドキュメンタリー映画2本立て

『24000年の方舟』['86] 監督 高橋一郎
『あしたが消える どうして原発?』['89] 構成演出:千葉茂樹、中嶋裕、
    田淵英夫、金高堅謙二

 ナレーションに出てきたように原発がまだ30基しかなかった当時に、それ以前の原発事故や被爆労働現場を果敢に撮影して癌に倒れた故人の遺した映像などを使いながら、処理のしようのない核廃棄物の問題と、七年前に観た劇映画東京原発['02]で僕が知った杜撰な陸送の問題を的確に炙り出していたように思う『24000年の方舟』が33分。

 数々の原発建設に関わり、炉心近くで定期点検に携わる断熱関係の原発技術者だった52歳の父親を突然の骨癌で亡くした娘さんが、それまで疑ってもみなかった原発の安全性に対して疑問を抱き、いろいろなことを知るようになっていく姿を、原発設計の元技術者による老朽化に伴う事故リスクの訴えとともに、既にして数多くの被爆被害者が出ていることを捉えていた『あしたが消える どうして原発?』が55分。
 去年観た劇映画生きてるうちが花なのよ死んだらそれまでよ党宣言['85]で取り上げられていたような原発労働者たちの生の声も収録されていた。

 四半世紀近く前のあの当時に、これだけの事々が露になっていながら、少なくとも僕は、こうしたドキュメンタリー映画や報道に接する機会を得ることができていなかった。あの頃、TVはバブルに浮かれたお馬鹿バラエティか、ちまちました殺人事件の詳細報道に明け暮れ、少年法改正や精神障害に係る免罪への異議を煽る風潮を作ろうとしていたような記憶がある。原発に関する危険性を報じる場面においても、煽られていたのは専らソ連の管理体制の杜撰さであり、日本の原発問題に言及する場面があっても、常に言葉と音声でしかなく、映像とともに訴えられる場面には遭遇した覚えがない。

 だが、報道というものが本当に報じなければならないのは、芸能人の結婚披露宴の盛り立てやメディアスクラムによる個人犯罪の騒ぎ立てによる模倣者や羨望者の誘発ではなく、こういったことのはずなのだが、商業メディアには望むべくもない気がする。視聴者とメディアの関係というのは、鶏が先か卵が先かのように語られることが多いけれども、政党が操る選挙報道を先ごろ読んだときにも思ったように、この弁は、むしろ免罪を求めるための言い訳として使われているような気がしてならない。他方において、これだけの気骨でもって臨んでいるジャーナリスティックな作品が残されているだけに、余計にそう思う。



推薦テクスト:「眺めのいい部屋」より
http://blog.goo.ne.jp/muma_may/e/bbf3a65e57136b868976cdd6fb2be1b5
by ヤマ

'11.12.10. 民権ホール



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