『ミスター・ノーバディ』(Mr. Nobody)
監督 ジャコ・ヴァン・ドルマル


 高知では映画館で掛かることのなかった傑作トト・ザ・ヒーロー['91]や八日目['96]のジャコ・ヴァン・ドルマル作品をよもや劇場上映で観ることができるとは思わなかった。作中にも出てきたバタフライ・エフェクト”という言葉がそのまま題名となっていたアメリカ映画['04]が、あくまで書換え物語として展開されていたことに比し、本作は、パラレルな展開を交錯させつつ見せる点で、妄想色が強くなっていたように思う。そのことによって、人における記憶と認識の持つ意味について、より意味深長な触発力を備えた作品になっているように感じたが、1975年2月9日生まれの男が2092年の誕生日を過ぎ、118歳に向かうまで生き延びている姿を露にさせていたことで、『トト・ザ・ヒーロー』に宿っていた“人の生の沁み入るような深い哀しみ”が却って削がれているように感じられたのが少々残念だった。

 並立して実人生として過ごすことが適わない来し方を仮に記憶として宿していた場合、当人において、そのいずれが真実であるかは、虚実の如何によって決すべきことではなく、そのいずれもが真実であるように感じられるのは、人が“我思う、ゆえに我あり”の記憶と認識の存在なればこそ、むしろ自然なことかもしれないなどと思った。むろん昨日今日の話やせいぜい2~30年前の話だということになれば、主観的真実よりも客観的虚実のほうに引っ張られがちであろうが、120歳近くにもなれば、10代や30代の時分のことの何が実体験で、何が実際には思い描いたに過ぎないことだったのかの差などというものは、最早そう大きくはないのかもしれない。ニモ・ノーバディ(ジャレッド・レトー)の半分以下の年端もいかない僕でさえ、40年余り前の小学生時分の記憶のどこまでが事実体験なのかは実のところ心許ないと言うほかないのが、人の記憶の記憶たるゆえんだ。

 さすれば、それを30代半ばにタイプライターで紡ぎ出した物語として語っていたとしても、その思いの程において、自身にとっての切実度に揺るぎがなければ、実際のことなのかそうでないことなのかは、実はあまり重要な問題ではなく、そのような想念が湧いたことのほうが遥かに、“意味”としては重要なのかもしれない。人生とは、経験的事実の如何によって成立しているのではなく、その意味によって構成されるようだという感覚に親しみを覚える者にとっては、実に興味深く含蓄に富んだ作品として映ってくる映画だったような気がする。

 9歳のときの両親の別離に際し、両方への想いに囚われながら引き裂かれたことが全ての発端だったようだ。その後に続いた彼の人生が、父親の元に残ってずっと独身のまま老親介護に身をやつしている人生であれ、母親とともに新しい土地に向かい、継父の連れ子たる妹のアンナや近所に住まうジーンやエリースと過ごす“余儀なき別れと再会を繰り返す運命的な真実の愛”であれ、“裕福ながらも愛なき空しい結婚生活”であれ、“精神疾患に苦しむ妻を労わりつつ家族四人を背負って立つ結婚生活”であれ、いずれもあり得たニモの人生であったがゆえに、彼の記憶のなかに物語として宿っているということなのだろう。15歳のニモに訪れたスリルやときめき、失意についても、いずれも起こり得たことだったわけだ。

 重要なのは、何が実際に起こったことだったのかではなく、120年近くもの時を過ごした彼の人生において、“意味ある存在”として繰り返し姿を現す人物がわずかに5人しかいないことで、両親と3人の女性に尽きていた点が興味深かったように思う。エリースとの結婚であれ、ジーンとの結婚であれ、ともに3人ももうけていた彼の子供たちの影の薄さと極めて対照的な、3人の女性たちへの想いの強さが印象深かった。

 だが、ニモに限らず、ある種の男たちにとっての人生とは、とどのつまりはそういうものなのかもしれない。幸いにして僕には、9歳で両親のどちらかしか残らない分岐を余議なくされる人生は訪れなかったが、僕にとってのアンナ、ジーン、エリースというのは勿論いるわけだ。だが、湖であれ、プールであれ、バスタブであれ、浴びせかかるシャワーの湯であれ、溺れるほどに息詰まる苦しさに見舞われる水には、是非とも縁のないことを願うところだった。



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by ヤマ

'11.10.27. あたご劇場



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