『未来を生きる君たちへ』(In A Better World)
監督 スサンネ・ビア


 三年前にアフター・ウェディングある愛の風景と立て続けに瞠目すべき作品と出会って、すっかり魅せられていたスサンネ・ビア監督ながら、二年前に『悲しみが乾くまで』を観て随分と凡庸になったように感じ、『アフター・ウェディング』の日誌でも言及していた原案・脚本を担っているアナス・トーマス・イェンセンの力を再認識していたのだが、本作を観て大いに感心させられて確認したら、やはり先のコンビを復活させた作品だった。

 ちょうどツリー・オブ・ライフを観たばかりで、日誌に父親像のなかでも、とりわけ男親としての力と強さの発揮という部分は、実に悩ましい難題だったという記憶は、既に余生の身などと嘯いている僕のなかでも、今なお風化せずに残っているなどと綴ったりしたところだったので、余計に沁みてきた。理不尽な暴力の前に脅えて怯んでいるという“誤った”認識を子供たちに残してはいけないからと二人の息子エリアス(マークス・リーゴード)とモーテンのみならず、「やられたらやり返せ」を信条としていると思しき息子の友達クリスチャン(ヴィリアム・ユンク・ニールセン)を連れて、粗暴な自動車修理工の元を訪ね、決して怯えてなどいない非暴力主義を見せ付けるためだけの談判に向かうアントン(ミカエル・パーシュブラント)の些か強がったヒロイックな勇敢さ以上に僕が打たれたのは、並外れた鋭敏な聡明さを備えながら、少々甘ったれた幼い虚弱さとのバランスが取れていないクリスチャンに対し、概ね温厚と言われる僕でさえ観ていて「ガツンと行かなきゃ」と思わされた状況でも決して手を出さず、しかも投げやらずに、父親として対峙し続けていたクラウス(ウルリッヒ・トムセン)の強さだった。

 オープニング場面で早過ぎる母親の死を見送る葬送の辞を立派に果たし、転校先ではイジメに遭っていたエリアスを“報復という手段”によって救っていたクリスチャンの気丈さが決して本物の強さではなく、うわべの強さほど実は自信のなさや引け目の表出だったりするのは、移民の医師アントンにスウェーデンに帰れと凄む自動車修理工のみならず、ナイフや爆薬に頼って力の行使を企てるクリスチャン、丸腰で難民キャンプの病院テントを追われることが直ちに死を意味するほどの暴虐の限りを誇示することで威圧してきたビッグマンにも通じていることで、本質的には同質のものだったような気がする。だが、遊び半分に妊婦の腹を切り裂き、死姦趣味の仲間に与えるような暴虐ほどに判りやすい“悪”と比べると、かなり見劣りする修理工の悪には、情けなさのほうが先立つし、クリスチャンに至っては、悪と言うには酷な部分もあるような気さえする。

 悪というよりは“誤り”なのだろう。だからこそ、クリスチャンは危うくエリアスを取り返しの付かない目に遭わせかけてしまう。だが、ひとたびは理性による“信条”としてビッグマンさえも致命傷になりかねないほどに悪化した負傷から救った医師の務めを放棄してまで、いわば未必の故意として“暴虐に対する報復としての死”を宣告したに等しいほどの怒りを露にしたアントンは、やはり誤っていたのだろうか。彼に信条を捨てさせたものが決して強さとしては映ってこない描かれ方だったような気がしたのは、余りと言えば余りのビッグマンの暴虐ゆえなればアントンの仕打ちが誤りとは言えないとなると、クリスチャンとどれだけの違いがあるというのだろうということを示しているように感じたからかもしれない。信条としてであろうとなかろうと、またたとえ標榜するまでには至らずとも、正しさを信じて行なわれることに付きまとう欺瞞というものが容赦なく炙り出されていたように思う。

 だが、そうなれば、理不尽としか言いようのない暴力の前に、人はいかなる態度で以って臨むべきなのか。クリスチャンの幼稚さやアントンの欺瞞を超えたところに、人として何が在り得るのだろうと些か途方に暮れていたところで訪れたのが、クリスチャンの“気づき”だったような気がしている。僕自身は当のクリスチャンに対しての場面だったわけだが、アントンの非暴力主義に対してであれ、クリスチャンの生意気に対してであれ、エリアスを苛めていたソフスに対してであれ、ビッグマンに対してであれ、作り手の仕掛けに乗せられどこかでつい「ガツンと行かなきゃ」などと思ってしまった者には、少々堪える“してやられた感”に見舞われてしまった。クリスチャンに気づきを直接的にもたらしたのは、確かにエリアスだったのかもしれないが、僕には、決して彼を追い詰めることのなかった父親クラウスの態度と息子エリアスから小耳に挟んでいた話によって彼の居場所に察しをつけることのできたアントンの行動だったように感じられた。

 そして、本作がそのように描かれているところに強い感銘を受けた。そこに“大人の果たすべき責任”というものがきちんと描かれているような気がしたからだ。それは『未来を生きる君たちへ』という邦題が導いてくれたものだったのかもしれないが、だとすれば、素晴しい邦題だと思う。

 息子が瀕死の状況に追い遣られて激した母親マリアン(トリーネ・ディアホルム)が、エリアスに会わせてくれと求めたクリスチャンに浴びせ掛けた、事実とは異なる罵倒の最後に添えられていた言葉は「甘やかされて育ったお前なんかの思い通りにはならないんだよ!」という意味の台詞だったと思うが、そのことがとても印象深く残っている。この世から理不尽な暴力をなくすことも、人を気づきに導くことも、正しさを信じた“方法”などによって思い通り狙って果たせることでは決してないのだと思う。保証のないなかで見当をつけながら模索し見つけ出そうとする行為を諦めないことと、激情に駆られることなく誠実に向き合う態度を投げ出さないことが、かろうじて時に小さな奇跡を生み出せるに過ぎないことだけれども、それこそが掛け替えのないことで大事な“真の強さ”なのだろう。

 前者の行為を発揮していたアントンは、自身の浮気による妻との関係の悪化を改善できぬままに仕事に紛れを求めているように感じられる部分もある生身の男だったし、後者の態度を発揮していたクラウスは、末期癌に苦しむ妻を前にして最後にはその死を願っていたことを息子に見透かされるままに白状してしまう生身の男だった。けれども、ともに真面目に生に立ち向かい、“大人の果たすべき責任”を誠実に務めていたような気がする。同じく真面目な男でありながら、己が人生の不全感と役割への囚われによって“大人の果たすべき責任”を全うできずにいたように思われる『ツリー・オブ・ライフ』の父親との対照を感じないではいられなかった。人のあるべき姿というものが、その善悪を超えた視点のなかで確かに捉えられ、納得感のある姿で描かれている作品だったような気がする。大したものだ。



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by ヤマ

'11. 9. 3. TOHOシネマズ日比谷シャンテ



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