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『花のあと』 | |||||
監督 中西健二
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当世の映画とは異なる余りにゆっくりとした運びに、最初少々戸惑ったが、次第に馴染んでくると、それなりの味わいが楽しめ、地味な映画ながら感銘深かった『青い鳥』を撮った中西監督らしい作風だと思った。近頃流行の藤沢周平作品の映画化なのだが、『たそがれ清兵衛('02)』『隠し剣 鬼の爪('04)』『武士の一分('06)』の山田監督や『蝉しぐれ('05)』の黒土監督、『山桜('08)』の篠原監督らの作品とは異なった鈍臭い野暮ったさが、作中に登場した男たちのキャラクター造形に見合っていたような気がする。 前掲映画化作品の多くが今は亡き人物を語り偲ぶ形式になっていたように『花のあと』も、まさしく対照的な男のかっこよさを備えている二人の侍から愛された以登(声:藤村志保)の懐古譚だった。 背筋の伸びた姿勢が印象深かった孫四郎(宮尾俊太郎)のかっこよさは、自らが咲き散る“花(桜)の美しさ”だから、命短く早晩散り行かざるを得ない宿命にあるものとして描かれ、だからこそ、桜花と同じく、長らくこよなく人の心を捉えるものだとされていた。他方、才助(甲本雅裕)のかっこよさは、自身が見映えを訴える性質のものではなく、言わば、花の美しさを引き立て支え育むような“枝振りという器としての大きさ”だったように思う。 どちらのかっこよさを好むかは人それぞれだろうが、若き以登(北川景子)がそうだったように、女性の心を強く捉えるのは、やはり才助より孫四郎のかっこよさのほうなのだろう。だが、自身が剣士として名を馳せ、娘にも剣術を指南し有数の使い手に育て上げた父親 寺井甚左衛門(國村隼)が婿として見込んだのは、同じ下級武士出身の有望の徒であっても、剣術に長けた孫四郎ではなく、一見風采が上がらないながらも東北の海坂藩から江戸の昌平黌にまで留学に遣ってもらえた才助だったわけだが、甚左衛門が単に才助の学才のみを買っているのではなく、人物としての面白さを気に入っていて、彼と話をするのを楽しみにしていたということになっていたところが、巧く効いていたような気がする。 花の盛りのあとも桜の命を繋ぎ、再び花のときを迎える土台になっているのは、揺るぎなく大地に根を張って水を吸い上げ、手広く枝を広げて日を浴びる桜木のほうなのだけれども、不躾な「おいど撫で」も「大喰らい」も気に食わなかった若き以登に、そのような考えは求めるべくもないことではあろう。だが、彼女が才助との間に七人もの子を設け、かような懐古譚を残したのは、単に彼が組頭に過ぎなかった寺井家の入り婿から出世して家老にまでなったからではなく、まさしく“昼行灯と呼ばれるような家老”という器の大きさを保ち続けたからなのだろうという気がした。 許婚であった若いときに、重臣 藤井勘解由(市川亀治郎)の邪恋による謀略に嵌まった孫四郎の憤死の顛末の背景に一大疑獄が存在することを突き止めて、持ち前のコネクションを活かして迅速に対処し勘解由を追い詰めた戦略の確かさと才覚をその後も維持し続けたことよりも、以登の孫四郎への想いや胸中を察しながら、何らの屈託も見せず、上級家への入り婿ということに対する卑屈も有頂天も表れなかった彼の器の大きさが、職の席次を上げて行っても決して一杯一杯になることがなかったからこそ、以登は“花のあと”を支える桜木のほうの値打ちというものを懐古譚として残せるに至ったような気がする。美しく潔く咲いて散った孫四郎のかっこよさを決して浅薄なものとして語っていないところがいい。才助との暮らしを重ねた歳月での薫陶によって、以登もまた器の大きさを獲得してきたことがそこのところに偲ばれて、なかなか素敵だった。 | |||||
by ヤマ '10. 3.17. TOHOシネマズ3 | |||||
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