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『フローズン・リバー』(Frozen River) | |||||
監督 コートニー・ハント | |||||
ヤマのMixi日記 2010年08月16日22:57 どんどんヤバい方向に向かって行ってる危うさにハラハラさせられる運びの巧さに感心した。ケン・ローチの『この自由な世界で』ほどに酷薄さが沁みてくるのではなく、極寒と貧困の厳しさのなかで良心の支える救いのあるところがいい。 それがレイ(メリッサ・レオ)とライラ(ミスティ・アッバム)の顛末だけでないのがいい。警察官たちの、職務を全うしながらも見せるささやかな心遣いの場面が効いていた。だから、パキスタン人の赤ん坊を蘇生させたことやレイとライラの間に芽生えたものが“創造主の意思”によるものだとは僕は思わないけれども、ライラがそのように感じることには強い好感を覚える。宗教や信仰は、そのためにこそあるべきものだという気がする。 ちょっと『テルマとルイーズ』に通じるテイストもあって、それとは終わり方は違うのだけれども、こんな厳しい物語なのに、後味がスッキリしていたのは大したものだ。 *コメント 2010年08月16日 23:24 (TAOさん) わ〜い、”大したものだ”が出ましたね! ヤマさんの感想、まるごと同感です。 2010年08月17日 00:07 ヤマ(管理人) パトカーのなかでレイに対して「リストに名前が載ってなければ、4ヶ月。たぶん大丈夫だ。」と言った警官にしても、「きちんとお婆さんに謝るんだ。二度とするんじゃないぞ。」とTJに仕舞いをつけさせた警官にしても、犯罪というものに対して、いかに臨むべきものかをわきまえているプロですよね。逮捕することや処罰することばかりが過度に求められる風潮にあって、何が大事なのかを見誤らないようにしたいものです。良心が問われるのは、犯罪者だけではありません。 “情状酌量”なんていう上から目線では望めないものが彼らにあるのは、極寒と貧困の厳しさのなかで暮すレイたちの実情を知っていればこそのものなんでしょうね。 ライラにとっても、レイの持つパーソナリティと出会えたことが幸いでしたが、作り手がレイに“海坂藩のサムライ”のような形での矜持を与えることによる美化を注意深く避けているところがなかなかのものでした。 TJが母親に向けて発していた批判がとても効いていたように思います。むろんTJの目に映ったものが正解という単純なものではなく、彼女が息子に抗弁したように、十二分の言い分がレイにはあったはずなんですが、彼女が夫をギャンブルに溺れさせる部分も少なからずあったのかも、という気にはさせてくれてましたね。なかなかこのようには描けないものだと思います。そして、それらを含めて丸ごとレイを体現していたメリッサ・レオが見事でした。 2010年08月17日 00:21 (ケイケイさん) >彼女が息子に抗弁したように、十二分の言い分がレイにはあったはずなんですが、彼女が夫をギャンブルに溺れさせる部分も少なからずあったのかも、という気にはさせてくれてましたね。 この部分、すごく感じました。 夫のした事は許されない事なんだけど、妻に追い詰められた部分は過分にあったと思います。でもレイ自身、そんな夫に何度も追い詰められたからこその自衛手段が、それだったと思うんですね。 この部分部分以外でも、国籍年代問わず、誰が観ても感じ入る部分が多い、普遍性の高い作品だと思いました。 2010年08月17日 18:35 (ミノさん) 見てないですが、ヤマさんの文章読んで、すごくいいな、と思いました(文章がね)。 2010年08月17日 21:36 ヤマ(管理人) ◎ケイケイさん サイトにアップしてある日記、拝読しました。「唸りたくなるほどこちらも秀逸」とお書きの脚本、僕も同感です。 夫にもレイにもそれなりに言い分があることが推察できるからこそ、上にも書いたように「むろんTJの目に映ったものが正解という単純なものではなく」なんですよねー。そのあたり、確かにケイケイさんならではの筆致で日記にたっぷり綴っておいででしたね。 母・妻には相変わらず手厳しいことで(笑)。「子供のため、その思いは何よりも尊いが故、歪んでしまった母性さえ、人は寛容しがちです。だから誰も教えてくれない。自分で変化しなければいけない」。お見事です。『母なる証明』のときには日記に「背徳感と同時に、母と息子は強い絆で結ばれているのだという、奇妙な幸福感が私の中で湧きあがります。あぁ怖い。母親って本当に罪深いわ。」とも綴っておいでましたが、どちらも真実なんですよね〜。 守るべきものを確信的に持ち得ているとき、人は強くなりますよね。その強さというものをどういう形で発揮するかに際して、良心や信仰というものは、とても大きな役割を果たす気がします。だからこそ、憲法によって国権を制してでも保障されなければならないものとされてるんでしょうね。 “守るべきもの”と“守り方”ということについて、非常に示唆に富んだ作品でもあったようにも思いました。 ◎ミノさん、 映画を御覧になると、もっと得心がいくと思います。拙文にしたためたことに対し、そのように言っていただき、とても嬉しかったですよ。ありがとう。 2010年08月18日 23:44 (ケイケイさん) あははは、厳しいですか?(笑)。 レイとライラも、賢母からは遠い人たちですよね。それでも彼女たちなりの「子供のために良い母でありたい、 子供を我が手で育てたい」という必死の心情が、痛いほど伝わってきました。この愚かさも含めて母親だなぁと、私は本当に感じ入りました。だから警官たちの温情が心に沁みたと思うんです。 でも最近の悲惨なネグレクトの状況を観て、私の母親としての価値観は崩れまくりですよ。『魂萌え!』の敏子じゃないけど、テレビの報道を観て何度泣いたかわかりません。 賢く立派なだけが、良い母じゃないと思うんですよ。やっぱりどれだけ自分を愛しているか、子供に実感させる人が良い母なんじゃないかと思います。愛されている実感がある子供は、曲がれないと思います。この作品が観る人の胸を打ったのは、彼女たちに自分の母との共通点も観たからじゃなでしょうか? 2010年08月19日 00:15 ヤマ(管理人) 厳しいですよ〜。要は「母:及第、妻:失格」じゃないですか(笑)。でもね、その視線は、そのまま“自戒”でもあるんでしょうね。だから決して“上から目線”にはなりませんし、厭味がありません。そこがケイケイさんの強みだろうと思いますよ。 子供を我が手で良く育てたいとの強い思いというのは、二人に共通するものとして、本当によく伝わってきましたね。母親が愚かであるとかないとかは子供にとって関係ありませんよ。“在り難い”存在であるところに値打ちがあるのであって、そういう意味での賢さ立派さは、知が働き理に明るい賢さとは別物ですもん。 「最近の悲惨なネグレクトの状況」には、僕も唖然としてます。なんか底が抜けちゃってるような恐さがありますね。彼女たちがレイやライラを観たら、何を思うんでしょうかねぇ(不解)。 親子関係に限らず、大事にされた人は、たとえダメにはなっても曲がりはしないと僕も思います。世の中が人を大事にしなくなっているから、とんでもない曲がり方をした出来事が起こるんでしょうね。犯罪の数自体は減ってきているようですが、タチは悪化してきている気がしますね。TJの存在は、本当に効いてたなー(改めて)。 | |||||
編集採録 by ヤマ '10. 8.16. あたご劇場 | |||||
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