『おくりびと』
監督 滝田洋二郎


 四十年近く前の十代の時分には、レコードやエアチェックなどで音楽を楽しむことに少なからぬ時間を割いていた僕が、今やステレオもほとんど鳴らすことなく、CDも買わず、音楽を楽しむのは専らライブというコンサート・ゴウアーになってしまったのは、大学時分に生演奏に触れる機会が増えた際に、トータルとしての音楽というものは身体表現に他ならないことを実感するとともに、就職後は、学生時分のような時間長者ではあれなくなったからだと思っている。映画を楽しむうえでは、作品選びよりも環境選びということで、スクリーン鑑賞以外は余程のことがない限り、手を出さないようにしていることと一脈通じている部分があるとも思っている。無論それが愛好者としてのあるべき鑑賞姿勢だと思っているわけではなく、あくまで自分の個人的な趣味・嗜好に過ぎないのだが、そんなこともあって、僕は、音楽演奏家の所作や表情、身のこなしを観るのが好きで、なかんずく手と腕の動きを観るのが好きなのだが、実力のある人のそれは決まって美しく、ある種の型と様式を偲ばせながらも二つとして同じものはないと思わせる個性をも感じさせてくれるとしたものだ。

 だから、納棺に先立つ湯灌や化粧に際して、死者の組んだ手を包み込んでほぐしたり、死後硬直した顔の造りをほぐし整えたりする手の動きや、死に装束への着替えを厳粛なる空気を生み出す作用とともに施す所作に見惚れさせてくれるばかりか、チェロの演奏に係るものや食のための手づかみ、妻の腹部に当てる手、石文を握り渡す手など、さまざまな手を印象深く映し出すことで、人間の手っていいなぁとしみじみ感じ入らせてくれる、何とも美しい映画だったところに一番の値打ちがあったような気がする。動きや姿の美しさを表現するのは、文字や音ではなかなか叶わないことで、映画ならではの味わいに満ちている作品だった。

 物語的なところを振り返っても、佐々木社長(山崎努)の直感で看破した天職たる「納棺師」に大悟(本木雅弘)が巡り会わなければ、三十余年前のあの石文と出会うこともなかったわけだし、途中、大悟が「僕は何を試されているのだろう」と天命を問うような独白をしていたことが、まさに彼にとって“天命に叶う天職としての納棺師”との出会いであることに納得感をもたらしてくれていた気がする。天命ということで言えば、どうやら豊かな才に恵まれているとは言えなかった様子のチェロ奏者として過ごした期間さえも、彼が納棺師の才を開花させるに必要な修行の一つとして天の与えていたことかもしれないとすら思わせる風情が漂っていたような気がする。そして、佐々木社長が口にした「天職」と呼応して、この物語がまさしく、大悟が納棺師となることで人生のみならず恐らくは音楽に対しても大きな悟りを得ていることを偲ばせていたところに、深い味わいがあった。

 また、夫というものが、肝心なことほど妻に口にできないものであることを、そして、いちばん参っているときに縋りつき頼るのは、やはり妻であることを実感の籠もった場面演出で巧みに描き出していたところにも惹かれた。幾度となく登場するチェロの演奏場面が効果的で、口数の少ない大悟が心の内から湧き出てくるものを言葉に出来ずにチェロに向かっていることが、節度の利いた場面演出の元に繰り返されていた。そのなかでも、山形の自然のなかで水田と連山を背景に小高い土手で演奏している姿と、いちばん参ったときに美香(広末涼子)に縋りついて交わり、包み込まれるような癒しを得た後に、そっと布団を抜け出て、幼き頃に練習を重ねた跡の残る定位置に子供用のチェロを立てて演奏を始めた場面が、僕はとりわけ気に入っている。

 死に“穢れ”を付与して殊更に忌避する感覚については、今やかつてほどには強くなくなっているような気がするのだが、よく言えば綺麗好き、少し意地悪な観方をすれば、メディア操作に乗せられて、過剰というよりもいびつな形での健康志向や抗菌・無菌強迫に馴染まされているように見える近頃の女性の感覚からすれば、妻として、死体の処理をしてきた手で肌を触れられ、抱かれるのは耐え難い気持の悪さが美香にあったとしても、有り得なくはないのかもしれない。しかも、それを秘密裏に重ねられていたことが輪をかけて腹に据えかねたようだったが、都会でウェブデザイナーのようなニュービジネスの分野での職に就きながら夫の失業とともに山形の田舎に移り住むことや、1800万円もの高額の楽器を密かに購入していたことに対して、あれだけ寛容だった賢夫人において尚と思わせる激昂ぶりには、職業差別的なものの影が差していたのかもしれない。

 しかし、それはあくまで彼女が、名実ともの美しさと威儀に満ちた夫の現場での仕事ぶりを知らなかったからで、おそらくはチェロを弾く大悟の所作と奏でる音の美しさに魅せられて、生活面では甚だ心もとない仕事と言える無名の演奏家という職にある大悟と結婚した美香なれば、チェロを弾いているとき以上の美しさと威儀に満ちた彼の姿に強い感銘を受けたはずで、彼女があれだけ忌避していた納棺の仕事を受け入れるに至る顛末として、巧みに不自然になく運んでいたように思う。それに先立って、大悟が佐々木社長に退社を申し出る運びについても、夫にとっては最も重く有効な妻の申し立ての仕方であることに納得感があり、そのうえで、納棺師を続ける夫に対し実家に戻ることを選択した妻が再び夫の元に戻ってくる顛末に与えられていた素朴な明快さにも納得感があった。

 加えて、納棺師という職の受け入れを大悟父子の縁にも繋がる石文にて“夫婦にとっての碑”とするエピソードを配してあったことが、終盤の「夫は納棺師なんです」という台詞を美香が発する場面で利いてくるという鮮やかな運びを施していたことに感心させられた。納棺師という言葉は、この場面でしか発せられないだけに、彼女が夫の“一生の職”として受け入れたことが強く印象付けられるわけで、そこのところも巧いと感じた。とても丁寧に作られていることが効果的に働いている秀作だったように思う。



参照テクスト:第63回毎日映画コンクール特別観賞会in香川

推薦テクスト:「帳場の山下さん、映画観てたら首が曲っちゃいました。」より
http://yamasita-tyouba.sakura.ne.jp/cinemaindex/2008ocinemaindex.html#anchor001790
推薦テクスト:「ツッティーさんmixi」より
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1036300273&owner_id=1797462
by ヤマ

'08. 9.28. TOHOシネマズ3



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