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『裏声で歌へ君が代』を読んで | |||||
丸谷才一 著<新潮社> | |||||
昭和57年刊行の本著は、当時から気になっていた小説だったが、日本語の旧表記にこだわる著者の言動がどうも気に入らなくて、ずっと読むことを遠ざけていた作家のものということもあって読まずにいたのだが、国がどうのこうのといった論議が最近また声高になってきたことや君が代訴訟が最高裁で逆転するなどという驚くべきことが起こり、時代の流れが本当におかしな方向に行き始めたという気がして読んでみることにした。 思いのほか以上の面白さに驚いた。台湾独立運動にかこつけて国家を考える形にした着想、政治を性事に重ねて人と人の関係性として捉えた構成、該博な知識とユーモアに富んだ語り口、いずれを取っても本当に上手くて唸らされた。おまけに懸念していた相性の悪さどころか、思想的には同じ立ち位置にあるような気がして、共感しきりだったことにも驚かされた。 僕が自身を“良心的無政府主義者”だと標榜するようになったのは、十代のころ、高校の生徒会活動やら新聞部やらを経験した後の大学時分になってからだったように思うが、“良心的無政府主義者”などという小賢しいレトリックに彩られたような“主義者”などというのは、マトモに言葉として流通する代物ではないように感じていた。もちろんここでいう“良心”とは、日本国憲法第19条で保障されている「思想・良心の自由」に言うところの良心であって、英語ではconscienceと表記されるものを指しており、その内容自体の正誤善悪といった意味での価値評価を伴うものではない言葉としての“良心”なのだが、それでも今のこの歳になるまで“良心的無政府主義”という言葉など聞いたことがないので、これは自分の造語だと思っていた。 ところが、本書のなかで丸谷才一は、言葉こそ“良心的無政府主義”そのものは使っていないけれども、まさしく思想者としてはそう呼ぶほかない人物像を主人公に仮託して、自身の政治的立場を表明しているように感じられたので、大いに驚くとともに共感しきりだったわけだ。その思想的基盤は『唯一者とその所有』を著したマックス・シュティルナー[1806〜1856]に置いているようだったが、その著者も著作も僕は知らずに来ている。 先ず早々に登場する、本書のタイトルにもなっている国歌たる君が代にまつわる記述がなかなか痛烈だった。橋下大阪府知事が条例化するなどと言って物議を醸している公務員への義務付けが憲法第19条に抵触するかどうかはさておき、彼の立場は、国歌として定められたものについての公務員の取り扱いの論議だから、そもそも君が代が国歌として相応しいか否かは、その見解の外にあることなのだろうが、平成11年に法制化される以前において、君が代は国歌に相応しい歌なのか否かという論争があったことを、本書は何十年ぶりかで思い出させてくれた。 「明治のはじめ、軍楽隊の傭ってゐる外人が、日本は国歌を定めるほうがいいと提案した。軍楽隊にゐる薩摩出身の若者たちがそれを聞いて、国歌にはあの文句が恰好だと言ひ出したのは、彼らの郷里の村でお祭りのときに歌ふ『君が代は千代に八千代に』といふ唄であった。思ひついた理由は、一つには、鎮守の祭礼の唄だから儀式性があるといふことだつたらうし、もう一つは、この歌詞が、イギリスの国歌の『ゴッド・セイヴ・ザ・キング』(神が国王を守りたまはんことを)に対応してゐるといふ気持だつたにちがひない。明治の日本は何につけてもイギリスにあやからうとしてゐた。しかしこの対応は、実は、無学な薩摩藩士の誤解によつて生じたもので、『君が代』の『君』は天皇を指すものではなく、一般的な二人称である。『わが君は千代にましませ』と、はじめのほうだけ違ふ和歌が『古今集』にあるが、この場合の『わが君』も天皇といふ意味ではなかつた。 ところで、九州南端の村祭りの唄は、おそらく『隆達小歌集』の唄が流れて行つて、幕末まで残つてゐたものだらう。…収められてゐるのは恋の唄が圧倒的に多く、たとへば二首目は、『思ひきれとは身のままか、誰かは切らん、恋のみち』といふ情痴の嘆きである。そこから類推して、『君が代』も、恋人に長生きしてもらひたいと祈る恋ごころの唄と見ることもできないではない。恋慕の情のせいで長寿を祈るなんて妙な取合せのやうに見えるかもしれないし、年寄りが恋をするみたいで滑稽かもしれないが、あのころはむやみに若死する時代だつたのだ。…」(P64)、「…一体、和歌の集では、最初の一首やおしまひの一首が賀の歌であることは珍しくない。…かういふ習はし、ないしは心得を考慮に入れるならば、『君が代』は別に恋の唄ではなくて、賀の唄、つまりもつと漠然と、一般的に、不特定多数の相手の、長寿を祈るソングといふことになる。」(P69)、「…つまり、近代国家ぢやないのに大急ぎで国歌を作つたから、村の唄で間に合わせたわけでせう。だから、いい国歌が出来なかつた…」(P70)、「…日本はまだ近代国家になつてないもの。今でも肝心のところではまだ村ですからね。明治のはじめと変らないんぢやないかな。…さういふ人が大勢、束になつて集つたつて、近代国家といふものぢやない。だつて市民がゐないんだから。今でも近代国家でないとすれば、ほんとの国歌は出来るはずないと思ひますよ。国歌といふのは近代市民国家のものなんだから。…」(P71)といった按配だ。 国旗に関しても、日の丸と韓国の国旗や中華民国の国旗が似ていることを引きながら、「東アジアの国旗がみなかういふことになつたのは、一つは日本がこの地域で最初に近代国家になつて国旗を作り、いはば原型を定めたせいである。しかしもうすこし深く考へると、第二に、西欧ふうの国旗のデザインは国家理念の説明といふ機能のものだつた。−たとへばフランス国旗が三つの色によつて自由、平等、博愛を表はすといふ具合に。ところが東アジアの、遅ればせに出来た近代国家の場合さういふ国家理念なんてものは別になくて、もしあるとすればそれは何とかして西欧ふうの近代国家の真似をしたいといふことだけだつた。しかしまさかそんなことを模様で表現するわけにはゆかないし、もし表現できたとしても見つともない。そこで可能な手段は、国家理念を高く掲げることを避けて、農耕民族の太陽崇拝といふ原始的な信仰に立ち返ることだつた。これは言ふまでもなく、近代国家を古代呪術によつて飾る異様な方法だが、明治のはじめの日本人にはそれしか思ひつかなかつた。そしてこれが最上の、巧妙きはまる解決策だつたからこそ、支那も(「あ、支那と言つちやいけないのか」)、朝鮮も、台湾も、それを踏襲したのではなからうか。…」(P79)などと身も蓋もないが、成程と考えさせられる。 映画公開にまつわる圧力と自主規制の問題で人々の関心を引いた記憶も新しいドキュメンタリー映画『靖国』で目を向けられていた日本刀のことにも触れていて、「一体どこの国に、人殺しの道具を詩と比較して論じる文化があるだらうと思つて。しかもさういふことをするのが第一流の批評家なんだから、日本文化といふのはをかしいよ。こんなこと、西洋人はもちろん、中国人だつてしなかつた。たぶん朝鮮人もしなかつたんぢやないかな。どうも、常軌を逸してゐる」(P168)などと明快だ。 軽妙な会話の遣り取りも楽しく「『しかし政治といふのはジョークによく使はれるものですな』『あれと、それからセックスね』『ええ、あの二つでせう。やはり誰にでも関係があるから、よくわかる』『誰でもこの二つにはひどい目に会つてゐるから、怨みがある。そこで小咄を作つて鬱憤を晴らす…それに、セックスといふのはひどく滑稽なものでせう、あのときの男女の姿勢でもわかるやうに。四十八手のどれだつて人間の威信をそこなふ恰好ですよ。そして政治といふのも本質的に……専制政治だらうとデモクラシーだらうと……』」(P185)となるわけだが、「性欲の問題とは別に、自分の心のなかをじつと見つめてみると、ああいふふうに圧迫され、支配され、束縛されてゐるのがちよつといい気持だといふ面もあるつてことなんですよ」(P145)と国家の圧制と女の圧制を並べて語っていたりもして、軟派ふうなのが嬉しかった。 画商を営む五十過ぎの梨田雄吉と三十代の若い寡婦である三村朝子の逢瀬を綴ったエロティックな描写には、いわゆる官能小説的ファンタジーとは無縁の現実感が宿り、多くの言葉を費やさないスマートさのなかに濃厚なエロティシズムが漂っていて唸らされた。 「…つまりかういふ関係をもうしばらくつづけたいといふ気持らしい。しかし女は本当に満足してゐるのだらうか、それとも最初だからこれくらゐで仕方ないと思つてゐるのだらうかと彼は考へ、ついさつきの情景をいくつか思ひ浮かべた。腿の内側はなめらかで柔かなのに、外側の、腰から膝へかけての肌が荒れてゐることを除けば、女の体にはいちおう不満はなかつたが、反応は充分に楽しんでゐるやうには受け取れなかつたのである。…小料理屋での夕食のとき…二人は渡り蟹の身をほじくつてゐた。朝子は上手に箸を使つたが、梨田の指には蟹の匂ひが濃くまつはりついた。しかしその匂ひは女の体のせいで、もうすつかり指さきから落ちてしまつてゐる。」(P161〜P165)、「…梨田が渋つてゐると、やうやく、男の家へゆくことを承知したのだ。…彼は二人の外套をハンガーにかけ、それから白葡萄酒を冷蔵庫に入れたり、チーズを食卓の上にのせたりしたあげく、朝子には画集を何冊か当てがつて、寝室へ行つた。せめてすこしは片付けて置かうと思つたのである。シーツの取替へが終わつたとき、ふと気がつくと横に女が立つて笑つてゐる。男としては風呂にはいつてから葡萄酒を抜いて、それからといふつもりだつたのに、順序が逆になつてしまつた。 湯あがりに二人は並んでベッドに腰かけ、葡萄酒を飲んだ。チーズはうまい具合に柔らかくなつてゐる。」(P248)、「ひと月ぶりなので二人ともすつかり興奮して一度目のことが終り、長いあひだ黙ってゐた末に、朝子がささやいた。『ねえ、ゆうべから嬉しくて仕方がなかったのよ。待ち遠しくて』『うん』『ここに来る前に拭いたくらゐなの』『うん』 梨田は短い返事を低くくりかへしながら腰から膝頭にかけて撫でさすり、以前はこのあたりがずいぶんざらざらしてゐたのに、今はそれが内股の柔さにかなり近くなつたと褒めた。」(P303)という巧みさだ。 行為の具体や形状などの描出にはいっさい及ばずに、匂い、順序、チーズの具合、拭いた、といった言葉や“触覚の変化”によって、その濃厚さを余さず描き出していて実に見事だった。 | |||||
by ヤマ '11. 8.16. 新潮社単行本 | |||||
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