『魂萌え!』をめぐって | |
「映画通信」:(ケイケイさん) (TAOさん) (灰兎さん) 「とめの気ままなお部屋」:(とめさん) ヤマ(管理人) |
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No.7226から(2007/02/11)
(ケイケイさん) ヤマさん、お忙しいのにリクエストに応えていただき、ありがとうございました。早速に日誌拝読しましたが、長年勤勉に夫稼業を務められたヤマさんならではですね、隆之に対しての視点は(^^)。 ヤマ(管理人) いや~、単に男に甘いだけっていう話もありますが(苦笑)。 (ケイケイさん) 「むしろ、僕の目には彼女の動揺よりも気丈さのほうが印象づけられていた。」 そうなんですよ、これはあっぱれでした。しおれてしまったり涙にくれて、自分の身の不幸を嘆いている暇なく、怒りに燃えてプチ家出した姿は、すっごく爽快でした。 ヤマ(管理人) 夫は死後にとんでもない遺産(笑)を残していくし、子供たちは、あれですからねー。情けなくも怒りますよね~。 (ケイケイさん) この年代の人は、夫婦喧嘩しても、すぐに実家には帰らなかったと思いますよ。家を飛び出して実家に戻る時は、離婚するときだけだと親から言われていたと思うんです。 ヤマ(管理人) ふむふむ、なるほどね。 まぁ、辛抱強さは、むろん先の世代には到底及ばないにしても、後の世代よりは確実に高かったように思いますね。このへんは、加速度的に弱くなって来てますよね、現代ニッポン(とほ)。 (ケイケイさん) 私なんか毎日お年寄りとお話するでしょう? 皆さんすごくお嘆きです(^^;)。 でもご自分たちも昔のお年寄りとは違うのは、ご存知無いというか、わかっていても無視されているご様子(笑)。いやもうね、日々勉強してます(笑)。 ヤマ(管理人) いやホンマ、他人事じゃないですよ~(笑)。鏡でもない限り、自分では見えないのが我が身、我が顔ですからねー。 (ケイケイさん) この年代の妻は、そんなだから、普通はプチ家出しようにも、子供が引っかかってきて、結局悶々としても、家に縛り付けられていたと思います。夫婦喧嘩でカッと来て家を出て行ける夫に、すごく悔しい思いを抱いていたと思うなぁ。私もそうでしたし(笑)。 ヤマ(管理人) うちは、出て行くほうも出て行かれるほうもプチ家出経験ないんですが、敏子の子供たちにしても、まるで親を省みてないわけではないんだけど、… (ケイケイさん) そうそう。腹は立つけど、あれくらいは普通ですよね。 子供も親の前ではいつまでも子供に返ってしまうのですよね。むしろあの様子は、そこそこ家庭円満だったからこその子供たちの“我”であって、苦労して育ったら、もっと親思いだったと思います。 ヤマ(管理人) 確かにな~。親が仲悪いと、子供、悩みますもんね~。 (ケイケイさん) 子供たちのあの様子は、隆之と敏子の築いた家庭が幸せだったからだと取れませんか? ヤマ(管理人) 思い掛けない御指摘でしたが、思い返すとそれも言えることのように思います。 (ケイケイさん) うちの息子たち、私に優しいですけど、私が苦労していたように見えるんでしょうか?(笑) ヤマ(管理人) いやぁ、それは、苦労だけが優しさを育むポイントだとも言えませんから、そうではないでしょう(笑)。やはり上にも書いたような“鏡”の獲得が大事なんじゃないでしょうかね。うまくそれを与えてあげることができたんでしょう。よかったね~。でも、普通は、身勝手さが先に立つ子供の領分を越えられるのは、やはり亡くしてからとしたもんですよね(たは)。僕もそうでしたし(笑)。 (ケイケイさん) そう、孝行したい時に親はなしってね。私は親で苦労しているので、実感は薄いんですが(笑)。 敏子は、夫婦喧嘩でカッと来ても家を出て行けるわけではなくて、子供のために我慢して飛び出さなかったのに、その子があんなこと言うなんてとなったら、そりゃ家出しますよ。私はすっごく理解できました。 ヤマ(管理人) ええ、僕もそのへんは同感です。 ですが、かの子供たちを特段に悪様に描いてはなくて、ある種、子供というもののありがちな限界という描き方だったところが、誰をも裁いていない視線として感心させられたところです。 (ケイケイさん) それで言えば、子供の甘えを見せといて、ちゃんと挽回もさせてましたよね(^^)。息子は母の面倒を父から頼まれた、娘は母が家庭から解放されたと喜ぶ場面の対比で、息子→責任、娘→理解と、子供の性別の違いで、親孝行に対しても想いが違う点をさりげなく描いていて、その辺も好感触でした。 ヤマ(管理人) そうなんです。僕が、亡夫・愛人のみならず“誰をも裁いていない”と感じたのも、まさしくそこんとこなんですよ(喜)。 (ケイケイさん) 「それと同時に、愛人からの痛烈な返し刀のような言葉の数々にも自負と矜持の籠もった敵愾心が見事に宿っていて圧倒された。」 うんうん、私も「取り替えるのが面倒くさい古い家具」と言われた時、「だったら取り替えたら良かったのに」の堂々たる敏子の妻の貫禄には、嬉し涙が出ました(笑)。 ヤマ(管理人) この対決は、ケイケイさんが映画日記にお書きのように『阿修羅の如く』の大竹しのぶVS桃井かおりに匹敵する迫力と可笑しさでしたね。 (ケイケイさん) でもドラマ版『阿修羅の如く』は、加藤治子の長女に三条美紀の本妻さんで、取り合うのは菅原健二だったと思いますが、あんなに面白くはなかったと記憶しています。 -------昭子は、本当に隆之の病を知っていたのか------- (ケイケイさん) 「ずっと愛人に甘んじるしかなかった境遇に対する苦渋が滲んでいたように思われて」という箇所については、昭子が言えば言うほど、愛人という立場の人の惨めさが感じられましたよね。 ヤマ(管理人) ケイケイさんが映画日記に「本来なら敏子といっしょに罵倒したいはずの昭子なんですが、何故か同情したくなるのです。」とお書きなのも、その惨めさが気の毒だったからなんでしょうねー。 (ケイケイさん) 二度目の対決の時、昭子はあんなこと言うつもりはなかったと思います。お焼香も我慢していた人ですもん。自分の分はわかっていたのに、妻と会うと思わず罵ってしまうところが「素人の愛人」で、決して「プロのお妾さん」じゃないなぁと、私は好印象でした。でも上手いですよね、私みたいな古女房に、愛人に同情をさせる演出なんて。 ヤマ(管理人) わはは、素人とプロですか(笑)。ピンポイントでの凄腕は、ぞんがい素人のほうが発揮するのは、どの道においても言えることなのでしょうかねー(笑)。 (ケイケイさん) 確かに(笑)。昭子からは、心から隆之が好きだった、という情感が溢れてましたから。 ヤマ(管理人) そうでしたねー。 (ケイケイさん) あの二度目のペディキュアのない足の爪を見た時、敏子も一瞬同情したと思いますよ。 でも、昭子の言う、私は心臓が悪かったのはずっと知ってて心配していた、奥さんは鈍くて腹が立った云々は、仮に本当だったとしても、自分が病院に連れて行けば済むことですよね? それをしないところが、私は愛人根性だと思います。 ヤマ(管理人) 愛人根性と言えば、そうなのかもしれませんが、現に倒れてしまっての緊急事態ならいざ知らず、そこまででしゃばり表に出て行くことは、愛人としてはできないことなんじゃないですかねぇ。 (ケイケイさん) さきほど「素人の愛人」と書いたでしょう?(笑) それなら管理じゃなくて、病院に連れていくくらいは、でしゃばりじゃないと思います。なので、心配と言いながらも、どこかそういうことは妻の仕事だと割り切っていたかと思いました。何故なら敏子は、夫が突然亡くなって、元から心臓が悪かったのかと、知らなかった自分を責めていたでしょう? 昭子は知っていながら、敏子を責めますよね? 本当は床に伏せるくらいショックを受けていたのですから、昭子も自分を責めたと思うんです。 ヤマ(管理人) この昭子の自責というのは、隆之を病院に連れて行かなかったこと? それとも、敏子の指摘どおりの事情が、隆之が夜、突然死した日にあって、そのことにショックを受けて寝込み、自責の念にかられてたってこと? (ケイケイさん) うん、こっちの病院に連れて行かなかったことのほう。愛しい人が亡くなったショックもあるでしょうけど、あの時私が病院に連れていけば…みたいな悔恨があったかなぁと思います。 ヤマ(管理人) なるほどな。心から好きだったんだしね。このへんは、僕はあまり突っ込んで想像してなかったんですが、そーか、昭子が床に伏せっていた理由か~、気になりますねぇ(笑)。 (ケイケイさん) でもそれを隠して敏子を罵ったのも含めて、微妙な愛人の複雑さと哀しさがあったと思うんですネェ…。あぁ隆之って悪い人(笑)。 ヤマ(管理人) 昭子にすれば、愛人としての自分の存在のほうはともかく、隆之の持病までも妻の敏子が知らないでいたとは、思い掛けなかったでしょうね。 (ケイケイさん) 隆之の心臓が悪いのを敏子が知らないことを、昭子はわかっていたんじゃないですか? 「私はずっとタカさんが心臓が悪いの知っていたのに、奥さん知らなかったでしょう? 何て鈍い奥さんだって、私が腹が立ったもの。」と、昭子は言ってましたから。 ヤマ(管理人) まぁね~、でも、昭子のこの言葉を巡って話しているうちに、ふと、実はこれ、どっちの答えも相手に許さない意地悪な喧嘩言葉だったんじゃないかという気がしてきましたよ、僕(笑)。 女性は、わりと得意というか、反射的によくやりがちなんですが(笑)、ほら、知らなかったと答えれば、相手の言うとおり鈍い奥さんってことになるし、知ってたと答えれば、じゃあなぜ家の風呂場で死なせちゃったの?ってことになるしってなことで、相手の口を封じて、やり込めるレトリックなんですよ、きっと。だから、実のところで、敏子が知ってたか知らなかったかには関係なく使えるんですよね。そして、同時に、私は知ってたと表明することで、隆之が死んだのは、その日、昭子と会ってセックスをしてたからじゃないか、などという不躾な非難の仕方をした敏子に対して、私が死なせたんじゃないっていう反論もしてるんだと思いますよ。むしろ本当のところは、隆之の心臓疾患のことを昭子も知らなかったんじゃないのかなぁ。 (ケイケイさん) 昭子のこの言い草を聞いた時は、さすがに私も、なんちゅーこと本妻の前で言うねん、それやったらあんたが病院に連れていったらええやろが? と、怒ったわけ。だからヤマさん説の「出すぎた真似は控えた」には、懐疑的だったわけです。 ヤマ(管理人) なるほどね。本当に持病として重ければ、まぁ、そういうことになりますよね。まぁ、そこまでは重くない状態として、もし昭子が知っていたとしても、それは、やっぱ愛人の立場として、そこまで出しゃばれるものではなかろうというのが僕の見解なのですが、やっぱり僕的には、昭子も敏子も実際は知らずにいて、隆之の突然死には驚いたというのが真相だったのじゃないかという気がしてきているところです。 人は、思いがけなさと出くわすと動転しがちで、思わぬ態度を取るものです。そこのところに「微妙な愛人の複雑さと哀しさがあったと思う」というのは、同感ですねー。 (ケイケイさん) 蛇足ですけど、敏子が昭子とのセックスで隆之が心臓に負担がかかったんだと食ってかかってましたでしょう? ヤマ(管理人) これ、ちょいとコミカルでしたよねー。普通、そう思っても、口には出さないことでしょうからねー。やっぱ、セックスって重いんだ~って妙に感心してました(苦笑)。死因にまで引き寄せて、それ、思うんだ、妻はってなもんで(笑)。これは、原作にもあった台詞なのかな?? (ケイケイさん) 私はこれね、全然笑えなかったです。妻は、突然夫が亡くなったら、そういえばあの時のあの様子、なぜ私は気づかなかったんだろう?と、敏子でなくても、自分を責めますよ。例え全く自分に非がなくても、それが妻の情というもんだと思います。 ヤマ(管理人) まぁね、情でもあり、面目でもあるんでしょうね。 でも、そんな妻が全く気づかなかったっていうことは、やっぱりそれほど顕著な兆候はなかったんじゃないでしょうか。先ほど昭子の言葉について、事実の如何とは異なる喧嘩言葉なのかもと言いましたが、隆之の心臓の持病というのも、実際は、生前から顕著に出てきているものではなかったんじゃないかと思います。少なくともセックスが死に繋がるような重さが、兆候としてあったようには思えないんですよ。だから、敏子が先に、昭子とのセックスで隆之が心臓に負担がかかったんだと食ってかかってたことにしても、事実としてそうだという思いで言った言葉というよりも、愛人に対する責め言葉としてのレトリック的なニュアンスのほうが強かったように思います。 女同士の口喧嘩の壮絶さを炙り出してたような気がするんですよ(笑)。だから、「これ、ちょいとコミカルでしたよねー。」ってなレスが浮かんだんでしょうね、僕(たは)。 -------健康管理は妻、セックスは愛人、の仕事?------- (ケイケイさん) 敏子が原因はセックスだったと感じたのは、それなりにショックだったろうけど、重要なのは、敏子が自分の「鈍さ」を責めていたということじゃないかなぁ。そして、私は、妻と同じ情を昭子にも感じて、彼女が好きになりました。 ヤマ(管理人) 愛人への責め言葉としてでなく、隆之の死因が昭子とのセックスにあると本気で敏子が感じたのだとすれば、そこにはやはり妻からの愛人幻想というか“通常の興奮状態ではない”激しいセックスっていう思いがあるんでしょうね。まぁ、若いときの愛人なら、それもあるんでしょうが、それなりの歳を経てきてからとなると、もっと趣味的になりそうな気が…(あは)。 (ケイケイさん) 関係ないんですけど、オゾンの『まぼろし』、突然夫が失踪or亡くなったかも知らないのに、ランプリングの演じた妻は、一切自分を責めないんですね。あの時、私がビーチで眠らなかったら夫を見失わなかったのに、とか全然ない。普通は長年愛した人がそうなったら、まずは自分を責めると思います。この作品の妻は、自分の喪失感(これも私には違和感があり)で手一杯で、なんと幼稚な妻かと、期待して観たのに、失望したんですよ。 ヤマ(管理人) 残念。オゾンの『まぼろし』は未見作品ですよ。高知でも上映されたんですが、一日上映で折り悪く観に行けませんでした(とほ)。でも、いかにもオゾン作品っぽいじゃありませんか(笑)。 (ケイケイさん) ずっと以前に何かで読んだんですが、男性の腹上死は絶対愛人なんですって。つまり通常の興奮状態ではならないので、妻の上で亡くなったら、男の恥なんだとか(笑)。 ヤマ(管理人) 恥ですか、何じゃいな、それ(笑)。まぁでも、妻か愛人かはともかく、女性の腹下死ってのは聞かないですねー。男は、命掛けて臨んでるんだから、大したモンでしょ(笑)。 (ケイケイさん) 宍戸錠も『花と蛇2』でそうでしたね(笑)。 ヤマ(管理人) もはや彼自身が格別激しいのを求めていたわけではありませんでした。若く美しい妻の乱れるさまを観たがってたんですよね。求めていたのは、淫らに乱れる妻の肢体と表情ってことだったのですが、なまじ目にしたがために、最後は己が男根でそれを掴みたいと命を懸けてバイアグラに手を出してましたね~。 でも、普通はまぁ、気張るということでは、日常性の側にいる妻よりも非日常の側に寄っている愛人に対してそうなるのが常でしょうから、確かにちょっと無理をしちゃってっていうことであって、受ける刺激としての興奮状態の差異みたいなことでは、愛人といえども年月を経たステディな関係なれば、そんなには違わないんじゃないですかね? まぁ、愛人との間では、妻とは随分違った趣向で臨んでいるってな事情があれば、『花と蛇2』のように“通常の興奮状態ではない”こともあるのかもしれませんが(笑)、そうでもなければ、愛人だからということで自ずと燃え盛るというものでもないんじゃないでしょうかねぇ。ましてや同い年の隆之&昭子なれば、婚外交渉であったにしても、普通にスロウ・セックスだったような気がするんだけどな(笑)。 (ケイケイさん) うん(笑)。敏子が邪推したように、倒れる前日セックスがあったかどうかも、怪しいですよね(笑)。 ヤマ(管理人) ええ、そうですね。 (ケイケイさん) でも、そんなことも含めて、病気の管理は妻の仕事で、自分は女として実のあるほうだけを取るみたいな、割り切った潜在意識があったんじゃないでしょうか? ヤマ(管理人) 割り切っていると言えば、割り切っているわけですけれど、愛情関係にあるときの「女としての実」という点では、そこの部分に立ち入れないで引かざるを得ないことは、女性にとっては、むしろ寂しい割り切りなんだろうと思ったりする僕は、かなり甘いのかもしれませんね(たは)。 (ケイケイさん) この部分は女性によりけりじゃないですかねぇ。妻=母親の部分を男性が求めやすいし、またその求めに幸せを感じる女性が多いのも事実ですし。私は自分で管理してくれたら、嬉しいですが(笑)。 素人愛人のこのへん、三田佳子はすごく上手かったです。彼女、加藤治子の後継者になれますよ(笑)。 ヤマ(管理人) ほんとにねー。哀れなまでに自負と矜持の籠もった敵愾心が見事でしたよ。 (ケイケイさん) 「関口家での最初の対峙における、敏子のどぎつい口紅と昭子の真っ赤なペディキュアの対照の際立ち以上に強烈だった。」 年齢が行くとね、似合う口紅の色が変わっていくし、少なくなっていくんですよ。敏子なんか、多分惰性でつけていたと思います(笑)。愛人との対峙で慌てて昔の口紅をつけたのに、そこへマニュキュアならぬ、ペデュキュアですよね? 女としての気配りは、当然愛人に軍配です。これには忸怩たる思いがあったはずですよ。私は女心を細かく描写していて、秀逸だと思いましたよ(^^)。 ヤマ(管理人) シーンとしては鮮やかだし、効果的でしたね。敏子が慌てて紅を引く対抗意識には可笑しみもあって、狙いはズバリ的中していたように思います。僕は、少々天邪鬼なので、あまりにズバっと決まっていると、ちょっとひねくれちゃう根性の悪さがあるんですよ(たは)。 -------老いへの意識の持ちよう------- (ケイケイさん) 「まだまだ男として枯れるような歳ではないものの、特に不満もなさそうな家庭を危うくするようなリスクを負ってまで、敢えて火遊びに耽りたいほどに精力を持て余している歳でもない。」 これは今の53歳の感覚なんじゃないですかねぇ。10年前の53歳は、もっと思考が老けていたように思います。 ヤマ(管理人) もう現役ではないとの思いが強かったってことですか? さてねぇ、どうなんでしょう。 (ケイケイさん) 確かに、これも人によりけりですよね。 ヤマ(管理人) ケイケイさんは、御自身の掲示板に「確かにもっと若い頃は、60才頃になったら、もう卒業しているだろうと思っていましたが、今では不明です(笑)。敏子も隆之が死ぬまでは、卒業したと思ってたんでしょうね。」とお書きでしたが、「今では不明」なのは、ケイケイさんが今の方だからなのか、一回りくらい上の世代でもやっぱりそのへんは同じなのか、で言えば、必ずしも今の53歳の人たちの感覚とばかりも言えないように思います。ただあけすけに語ったり当然視してたりするかどうかは、ちょっと別ですが。 (ケイケイさん) 私は、服装や思考も、若い頃は今の年になったら、もっと落ち着いて賢くなっていると思ってました(^^;)。でも、それは、そうですねー。確かに今の私のような想いを、一回り上の人たちも感じていたかもですね。 ヤマ(管理人) でしょ~(笑)。これは場所や時代を違えても、全ての人が繰り返している感慨なんじゃないでしょうかね~(笑)。僕の十歳上の人も、そのまた十歳上の人も、やっぱり僕らと同じように、そんなふうに思ってたんじゃないかという気がして仕方ないです。 (ケイケイさん) この前も70歳の患者さんが亡くなったお姑さんの話をされてね、「50過ぎたらお化粧も止めはってんよ。50になったらお婆さんで、女は引退みたいに言うてはったの。私は70になっても口紅引いて、ケイケイさんが着てもおかしくないような服着てるのに。お姑さん、気の毒やったなぁと、今思うねん」と仰ったんですよ。 ヤマ(管理人) ってことは、百歳近いわけだから、僕らより五十歳くらい上になるわけですね。まぁ、それくらい離れると単純に年齢の並びだけでは比較できなくなるかもしれませんが、それでも、その時代において、若い時に想定していた年嵩に自分が至ったときの未熟感というか、及ばなさというのは、普遍的に味わったことのように思いますよ。 (ケイケイさん) 隆之の上の世代は、この年代はこうだと、心情的には別としても表面は従っていたけど、その下の世代は少しずつ、心も表面も開放されつつあったのでしょうね。 ヤマ(管理人) この問題って、実年齢のほうから考えるよりも、余命からの相対性がもたらしているものと考えるほうが判りやすい気がしてくる感じがありますよねー。前に江戸川乱歩の大正時代の小説を読んでいて“もう六十に近い老婆”というフレーズに唖然としたんだけど(笑)、当時の余命からすれば、そんなものだったのかもしれませんよね~。 (ケイケイさん) そういう時代的な違いとは別に、女性は生理があがった年齢になると、寂しさとともに、女として鬱積していたものから開放される喜びもあると思うんですよ。家族に尽くすこととか、人と自分の容姿を比較することとかね。男性は焦燥感とか寂しさだけが残るような気がするんですよ。その辺いかがでしょうか?(笑)。 ヤマ(管理人) 男には閉経とかありませんし、僕などは子供たちの引越しで家事が楽になるとか、ありませんねぇ。容姿をどうこうと気にするなんてのは、遠の昔にドロップアウトしてるし、今さらのものではありません(苦笑)。 (ケイケイさん) うちの夫は気にしてますよ、特にハゲを(笑)。私なんかいつまでゆーてんねん、ええ年して(怒)と内心は思っていますが、「まだまだ男前やから、大丈夫やよ~」と答えてます。そういうと黙るから(笑)。 ヤマ(管理人) そら、黙るしかないやないですか(笑)。言うな!ゆうとるに近いやん(笑)。 まぁでも僕の場合は、ですから、女性たちに比べると、歳経ることで得るものは、少ないと言えるのかもしれませんね(苦笑)。それでも、枯れるには至らない状態での執着心の減退自体は、そう悪くもないって感じですよ。 (ケイケイさん) 枯れずに執着心がなくなるって、理想じゃないですかー(^^)。 ヤマ(管理人) なんかこう、どっちにでも振れられる余裕というか、焦燥感とはむしろ逆ですね。これが実際に出来なくなりつつあるとまた違ってくるのでしょうが、そうでなければ、がっつかなくなったからといって、焦燥感や寂しさを覚えるものではありません、僕の場合(笑)。 (ケイケイさん) ヤマさんには男の更年期は無縁ですね(笑)。 ヤマ(管理人) いや、でも、ほら『明日の記憶』みたいなこととおんなじで、実際に出来ないのが通常みたいな事態に直面すると、これまでの身に覚えのないことで“余裕”だなんて言えないわけで、焦燥感や寂しさと向き合わなくてはならなくなるのかもしれませんよ。今の状態は、制御しやすくなって楽になったってのに過ぎないんですから(たは)。 (ケイケイさん) 私もお茶屋さんちで、図らずも私も物事に執着がなくなってきている事実を確認できましたが、ここは『明日の記憶』のことはちょっと忘れて、二人とも良い年の取り方をしていると、自画自賛しておきましょう(笑)。 ヤマ(管理人) 例えば、昔なら考えられなかったこととして、ロマポなんかを久しぶりに時々劇場で見たりしててセックスシーンに眠気を感じてたりする自分に出くわして驚いたりっていうのは確かにあるんですけど、それって、十数年前に平成『ゴジラ』を観てて眠気を覚えてうろたえた驚きとさして変わらないようにも感じていますからねー(あは)。 (ケイケイさん) わはははは、セックスシーンに眠気って、それはあきませんやん(笑)。 ヤマ(管理人) やっぱ、あかんのかなぁ(たはは)。ナマやとまたちゃうんやろけど(笑)、なんかそう見映えもしないのが、さして変哲もないことしてるのをダラダラ撮ってるようにしか見えないと、ダレて来ちゃうようにはなってますなぁ(たは)。 (ケイケイさん) でも、私もそういうシーンは、前は生理的に気分悪くて苦手だったですけど、今は「愛ルケ」観て大したことないとか感じて、自分でも驚いてますけど(笑)。 ヤマ(管理人) いやいや、なにせ『花と蛇2/パリ 静子』が“辛くもクリア”のケイケイさんですもの(笑)。そういうシーンくらいじゃあ、もはや苦手はないでしょうね。 -------昭子と隆之の始まりは何だったのか------- (ケイケイさん) ヤマさんが映画日誌に「昭子は、ちょうど敏子が隆之を亡くしたのと同じように突然に夫を失い、未成年の子供を抱えて呆然としていたのではなかろうか。」とお書きのところですが、隆之と昭子の間柄が、片方が独身だったから、というのは私も同じです。でも理由はちょっと違いますね。普通女性が53歳くらいから愛人という立場になるのは、よっぽどの事情があると思うんですよ。 ヤマ(管理人) 同感です。だから、始まりは愛人関係ではないと思ったんですよ、僕。 (ケイケイさん) 昭子の息子は30前後かなと思いました。愛人関係は10年前からですから、もう息子は成人していたかと。それに夫が亡くなってすぐ他の人に思いを寄せるような、そんな尻軽女ではないと思ったんです。 ヤマ(管理人) 僕も、だから、始まりはそんな惚れたはれたじゃあないって思ったんですよねー。 (ケイケイさん) 息子が小さい時は、彼の気持ちを考えて、母親だけでいようと思った人なんじゃないかと。 ヤマ(管理人) ほぅ。 (ケイケイさん) だから女として崖っぷちで出会った恋に、彼女も夢中になったのかと想像しました。 ヤマ(管理人) なるほどねー。 “崖っぷち”ってのがキーワードなんですねー、やっぱ(面白)。 (ケイケイさん) そして、それまでの母親の自分への献身を理解している息子なので、隆之のことも素直に受け入れられたのだろうと思いました。 ヤマ(管理人) 母親への理解が、母親の男への受け入れに繋がるわけですか(ふーむ)。まぁ、そういう場合ももちろんあるんでしょうが、僕的には、もっと単純に、当の男の実直さへの信用が受け入れに繋がったと想像しましたね。 (ケイケイさん) それはあると思いますよ。他の蕎麦屋のメンバーだったら、どうだったか怪しいもんですから。隆之ってほとんど台詞がなかったでしょう? すぐ死んでしまうし。本当に寺尾聡の存在感は立派ですね。これだけ想像さすんですから。 ヤマ(管理人) いや、これは、寺尾聡が想像させるんではなくて、遺された敏子と昭子の佇まいが、隆之の人となりを想像させるんだと思いますよ。 (ケイケイさん) あの映画、私は、若い頃に昭子が旦那さんと別れてると思ってたんですよね。彼女は定年まで勤めた職業婦人でしょう? きっとこの年代の女性の多くの感覚よりも、環境から育まれて男性的な思考が強くなったと思いました。だから同年代の男性のように、より強く“女としての喪失”に焦る気持ちがあったんじゃないかと。だから窮地というより、誘惑されたんじゃないかと。また、隆之にしても、同じ歳なら落せるかもと思ったとか(笑)。 ヤマ(管理人) なるほどねー。 双方ともに、ケイケイさんが思うところのいわゆる男性的な志向である“性的に現役であることへの喪失に対する焦り”というものがあって、それが二人に火をつけて「イロに走らせた」というわけですね。いやぁ、狩りとしてのイロっていうものに、男はとことん縛られてると思ってらっしゃるんですねぇ(苦笑)。まぁねぇ、確かにそういう面もありますけどねぇ(たはは)。 (ケイケイさん) でも、林老人以外でも、なぎら健一なんかも敏子に虎視眈々だったじゃないですかー(笑)。 ヤマ(管理人) 林老人にしても、なぎらにしても、最初から“狩ろう”って思いで虎視眈々だったとは、僕は思えませんでしたよ~。 (ケイケイさん) 確かに。では「下心」に訂正します(笑)。 ヤマ(管理人) あ、それなら、彼らに限らず、ありますよね~。棚からボタモチが落ちてこようものなら、ウハウハでしょ(笑)。でも、だからといって、そのために落ちてくるとも知れぬボタモチを虎視眈々と狙ってあんぐりと口を開け天を仰いでいるものでもなかろうと思います。それはアホでしょ(笑)。 亡き友人の未亡人が思いのほか魅力的で、思わず惹かれたってとこであって、だからといって、虎視眈々、落としにかかってたわけでもないってことです。林老人にしても、ひょっとしてって思いで水を向けたら、思いのほか敏子が乗ってきて、僥倖の恩恵に浴したまでであって、ケイケイさんも御指摘のように、決して手練れの狩人なんかではなかったわけで、だから、思わぬ幸運にすっかり有頂天になっちゃって大魚を逃し、「バカ…」と自嘲するんですよ(笑)。 (ケイケイさん) そうそう、『愛の流刑地』の「あなたは、本当に人を死にたいほど愛したことがありますか!」と、殺した女の亭主の前で叫ぶトヨエツより、数段可愛げがありましたね、林老人(笑)。 ヤマ(管理人) 何じゃそれ?(呆) 言葉にして言うこと?(笑) 先にケイケイさんが教えてくれた「妻の上で亡くなったら、男の恥」ってな台詞とどっこいどっこいやな、渡辺淳一(笑)。けど、原作にもあるんかいなぁ。 (ケイケイさん) 性的に現役であることへの執着という点でのこの映画というものは、同年代の友人の今陽子はおっかけに夢中なのに対して、男性はやっぱり生臭さを演出してませんでした? ヤマ(管理人) 僕は、栄子(今陽子)の存在は、やはり敏子との対照として置かれていて、林老人たちとの対照とは受け止めていませんでしたが、男女での対照の意味合いもあったんでしょうかね。男たちの蕎麦打ち仲間と女たちの同窓生仲間っていうのは。 (ケイケイさん) 私はちょっと感じました。女のほうがちょっぴり絆が深く描かれていませんでした? ヤマ(管理人) 女っていうことよりも、重ねた年月の醸し出す値打ちかな。 -------昭子が自制的であった理由------- (ケイケイさん) 「昭子は昭子で、そういう隆之だったからこそ深い仲になっても自制を利かせ、敏子から奪い取ろうなどとは決してしなかったのだろう。それはそれで彼女にとっては辛い日々だったに違いない。」 これは隆之の実直さへの配慮ではなく、奪い取ろうとした時には、この男は自分から離れるとわかっていたからでは? ヤマ(管理人) こいつは手厳しいなぁ(笑)、それは確かにあったかも。 でも、そっちが先にたつような男なら、昭子は隆之との関係を望まなかったのではないかなって思います、僕は(あは)。 (ケイケイさん) それは甘いと思います(わははははは)。 ヤマ(管理人) そうですか。“女としての崖っぷち”というのは、かくも強迫するものなんですかねぇ(笑)。僕が甘いのは、男に対してではなく、実は女に対してなんですね(たは)。でも、昭子は、相手にしてくれる男なら誰だっていいってな心境で向かった関係ではなかったように思いますもの。 (ケイケイさん) それは違うと思いますよ。あくまで昭子も隆之だったからだと思います。 ヤマ(管理人) だけど、隆之のどこにってことでは、実直とか頼りにできるとかってことではないんでしょ? (ケイケイさん) うーん、そこまではわかりませんねー。でも、若い女じゃなくて、愛人に自分を選んだという時点で、彼女には実直と感じたと納得できますよね。 ヤマ(管理人) 僕は、昭子にしても“性的にリタイアを迫られることへの焦り”からっていうことではないと受け止めてますからね~。 (ケイケイさん) 私は、自分の感想で「昭子は夢」と書きましたが、夢が現実を追い掛け回したら、男はいやになりますよね? ほら、幾つになっても男性は『マッチ・ポイント』の主人公と同じじゃないですか? ヤマ(管理人) そういう場合は、もちろんあります。若い時のそういうのって余計にね。でも、隆之の歳で同い年の旧知の女性との関係を始めた場合、そういうことにはならないように思います。 (ケイケイさん) それはね、昭子=「三田佳子」ですから(笑)。そのへんはキャスティングの妙で感じました。 ヤマ(管理人) 僕は、そもそもが格別の「夢」として始めたことではないような気がしてますもの。まぁ、隆之の歳でスカーレット・ヨハンソンとなら、そりゃやっぱ“夢”として始まるのでしょうけどね(笑)。 (ケイケイさん) いや、若い子に行くほど、隆之も元気がなかったんじゃないですかね。気を使わなくても良い年齢の、美貌の女性のほうが、むしろ良かったんじゃないかと。 ヤマ(管理人) このへんのキャスティングの妙で言うならば、女性として観たときに、僕的には、どう考えても風吹ジュンのほうが三田佳子より数段いいもんだから、隆之が昭子のほうに色恋で向かったようには思えなかったんですよね(たは)。 (ケイケイさん) うちの旦那も多分風吹ジュンのほうが好きです(笑)。 ヤマ(管理人) 杉本彩とやったら、どないでっしゃろ?(笑) で、色恋とはちょっと違うところで始まった関係のなかでの馴れ合いで進展したものっていうような印象を残してくれたんだろうと思います。それこそ、僕にとってのキャスティングの妙でしたねー(笑)。 (ケイケイさん) なるほど。 隆之は妻に満足していなかったわけじゃないですよね? ヤマ(管理人) ええ、そう思います。でなければ、酔夢から醒めてやおら台所に向かい、食器洗いの泡にまみれた妻の手を握って「ありがとう」などと言ったりしませんよ。酔夢から醒めてやおらってとこがミソなんです。無意識に近い真情からであって、思惑のさせたことではないわけですからね。 (ケイケイさん) 私は、二人の関係は、同期の昭子とちょっと偶発的にアヴァンチュールがあって、彼女が意外なほど魅力を感じさせてくれたので、長続きしたのかと感じたんです。 ヤマ(管理人) まぁ、それもなしとは思いませんよ(笑)。 (ケイケイさん) どっちにしろ、昭子にのめり込んでいたとも感じませんでした。楽しんでいた、くらいかな? ヤマ(管理人) 僕ものめり込んでいたというようには感じませんでしたね。馴れ合ってはいたでしょうけど(笑)。 -------昭子は、愛人だったのか------- (ケイケイさん) 昭子には辛さもあったでしょうが、妻には与えられない甘美な喜びは自分が独占しているっていう自負もあったと思います。 ヤマ(管理人) そういうタイプの愛人のようには僕には見えませんでしたが、愛人というのは、すべからくそういうものなんでしょうかね? (ケイケイさん) 最初は違ったと思います。でも60過ぎの主婦はペディキュアはしないと思いますね。それも真っ赤の。 ヤマ(管理人) 昭子にしても、普段はしないと思うんですよ。あれは、自分よりも若い本妻が待ち構えているところへ乗り込む戦闘服のようなもので、あっちのほうが特別なんですよ。だから、後に登場したときには爪塗ってないわけで。 (ケイケイさん) その戦闘服姿が、普通は思い浮かばんわけで(笑)。やっぱり段々愛人になっていったんじゃないですか? ヤマ(管理人) うん、それはそうだったろうと僕も思ってます。でも、正確には、それでもなお“愛人”というのとは、ちょっと違ってて“妻以外での特別な女性”って感じですね~。 (ケイケイさん) お蕎麦屋の開店資金500万とゴルフの会員券もあげるつもりだったんでしょう? 立派に愛人です。このへんは私も古女房ですからね、厳しいですよ(笑)。 ヤマ(管理人) 確かに、手厳しい(笑)。でもね、人生、ときにままならぬ宿命に翻弄されたりもするわけで、そのなかで、隆之は最善を尽くして十年を過ごしたとも言えませんかね? 生半可な器量じゃあないと思うんですよ。拙日誌にも「生前、妻には露ほどにも悟られず、愛人にはそれだけの自制を自ずと促し、見事十年も隠し通せた隆之の器量」と綴ったように(あは)。 (ケイケイさん) 妻のいる男性と特別な関係になるだけでも、充分不道徳なんですから、愛人と呼ばれたくなければ、お金は隆之から言い出しても、一切もらっちゃいけないと思います。 ヤマ(管理人) 敏子の言い分も、きっとそうなんでしょうね。だから、ゴルフの会員権は回収していきますよね。当然と言えば、当然です。昭子もそれには抗いませんでしたね。 (ケイケイさん) だって夫の稼いだお金かも知れませんが、妻が家庭を守っているから、男は外で存分で働けるわけですよね? ヤマ(管理人) ええ、ごもっとも。 (ケイケイさん) 敏子はきちんと家庭は守っている人だったと思うし、普通のサラリーマンにしたら大金ですよ。それは昭子もわかっていると思います。 ヤマ(管理人) だから、ゴルフの会員権を返したんでしょうね。 (ケイケイさん) それを内緒で受け取るんですから、やっぱり愛人です(きっぱり)。 ヤマ(管理人) 昭子がそれほどに強ければ、そもそも隆之との関係が始まってなかったんでしょうねー。 (ケイケイさん) でも、二度目のペディキュアなしの足元が、愛人になる以前の昭子に戻ったと表していたように思います。 ヤマ(管理人) “以前の”でもなく、こっちが“普段の”昭子だったろうと思いますよ。 (ケイケイさん) でも、それまでは隆之に死なれて、自分が独占している甘美な喜びという支えが木っ端微塵になったんじゃないでしょうか? 彼女も隆之が夢だったと思うわけです。 ヤマ(管理人) 僕はそもそも、敏子が現実で昭子が夢、換言すれば「妻は現実で愛人は夢」という感じを隆之が持っていたようには受け止めていないですね~。このへんが僕とケイケイさんの一番大きなとこでの違いです。 (ケイケイさん) 夢というか刺激。やっぱり最後の夢かな? ヤマ(管理人) やっぱ“愛人”色が強いんですよねぇ(ふふ)。このへんのニュアンスが大きな差だったんだな~。 (ケイケイさん) そうですね(笑)。けど、隆之という夢の喪失への落胆の表れというのが、最後に敏子に投げつけた歯ブラシだったんじゃないかなぁ。結局歯ブラシしか二人の思い出は残らなかった。敏子にはたくさんありますよね。だから、蕎麦屋の暖簾をかけて微笑む昭子に対しては、これからは隆之の代わりに、お店を頑張るのだろうなぁと理解しました。 ヤマ(管理人) 思い出ということでも、あの蕎麦屋のお店自体が昭子にとっては、隆之との間に残った思い出だろうと僕は思ってます。 (ケイケイさん) 確かにそうなんですけど、蕎麦屋には息子夫婦も絡んでいるでしょう? 微妙に二人だけの思い出とは違うかなと思いました。 ヤマ(管理人) なるほどね。そう言えばそうですね。でも、あの子どもたち、確かに一緒に店をやってたわけですが、自分たちの店っていう感じではなく、母の店、もっと言えば、母と関口さんの店っていう態度を覗かせていたように感じました。だから、敏子に店を取り上げるようなことはしないでっていうようなお伺いを立てたりするわけでしょうから。 敏子に歯ブラシを投げつけたのは、彼女が妻であるということだけで余りに無検証に一方的に、隆之と自分の関係を悪としていることへの悔しさからであって、愛人を亡くしたことへの喪失感からではないように僕には映りましたねー。 (ケイケイさん) それもあったと思います。でもそれは妻に言ったところで、通りませんよね。 ヤマ(管理人) もちろん、そうです。拙日誌にも綴ったように「そんなことには露ほども想像が及ばないのが当然」です。かといって、そういう態度に出る昭子を裁きもせず、昭子のその心情を理解できない敏子を裁きもしてない作品でした。そして、かような修羅場をもたらした隆之をも裁いていませんでしたね。そこのところが人の生と人そのものを知悉した見識だと感じました。 -------この作品の一番の持ち味------- (ケイケイさん) 敏子の鈍さや昭子のしたたかさ、隆之の不実さも描きながら、完璧な人はいないよと感じさせる、大らかな暖かさが、この作品の一番の持ち味かもしれませんね。 ヤマ(管理人) やっぱ不実な人なんだ、隆之(苦笑)。 まぁでも、大らかな暖かさってありましたよねー、この作品。僕は、それはとりわけ敏子のキャラが醸し出していたように思うんですよ。鈍さとおっしゃる方々はたくさんいますが、僕は彼女を鈍いとは感じませんでした。むしろ、まさにケイケイさんがお書きの“大らかな暖かさ”なんですよね。宮里さん(加藤治子)に二万円差し出すのもそうでしょうし、病院で付き添うのもそうでしょう。そして、野田(豊川悦司)に「あなたには嘘はつけない」と言わせるのも、彼女のその“大らかな暖かさ”なんですよね。 それでいて、愛人に対しては毅然と立ち向かうし、拙日誌にも綴ったように、己が人生の全てを否定されたような憤りと落胆をもたらすであろうことに直面しても、僕の目には動揺よりも気丈さのほうが印象づけられるような女性でした。もちろん、ケイケイさんがお書きのように、完璧な人はいないよと感じさせる部分もちゃんと備えているわけですから、なおさら魅力的だったんですよね。 四季さんが「ナニよりもスキだったのわ 敏子の気持ちの優しさや我慢強さやまっとうでチャンとしたトコロを そーゆー女性だからコソ魅力があるのだってゆー芯が1本通ってる映画だったコト」と書いておいでますが、同感でした。で、その大きな暖かさとか気持ちの優しさや我慢強さ、まっとうでチャンとしたトコロっていうのは、常日頃、僕がケイケイさんに感じているところでもあります。 だから、きっとケイケイさんも「ありがとう」って手を握られることだと思いますよ~。 (ケイケイさん) 全部わかっているのにしなければならないところに、昭子の哀れは感じました。 ヤマ(管理人) そうですねー。このあたり三田佳子は、流石の演技でしたね。『阿修羅のごとく』の大竹しのぶに、その哀れは露ほどもなかったもんなー(笑)。 もうひとつの家庭なんですよ、あっちも。なんせ、この映画に出てくるのは『ひまわり』なんですから。いわゆる愛人との非日常を楽しんでいたわけでもないと思います。始まりが、昭子の夫の突然死による窮地ということではないにしても、やむなき行き掛かりがあっての関係だったということが偲ばれましたねぇ。 -------“夢”のあるエンディングへの共感------- (ケイケイさん) 「しかし、侮れないのが人生だ。塞翁が馬の如く、敏子は亡夫に愛人がいたことに向き合うことで、他の数々の新たな出会いを引き寄せ、還暦前にして見事に脱皮をしていく。亡夫からも子供からも独り立ちした自分の新たな人生の歩みへの踏み出しを白い軍手とともに遂げる。」 そう、私もここが一番好き! ヤマ(管理人) 映画好きにはなおさらの、それこそ“夢”でしたねー(笑)。 (ケイケイさん) 今回の顛末で朽ち果ててる女性もいますよ。逆境を乗り越え、自分の新たな人生を掴んだ敏子には、憧れも共感も抱きました。 ヤマ(管理人) それを与えてくれたのは、やはり愛人昭子を遺して逝った隆之とも言えますねー。 (ケイケイさん) 風吹ジュン、素敵でしたよねー。同性の私から見ても可愛かったし、お風呂場のシーンはどきどきしちゃった。由美かおるの入浴シーンより色っぽかったと思います(笑)。 ヤマ(管理人) いや、あれはあれでまたなかなかよいのです!(笑)。 お年寄りのための御長寿番組には欠いてはいけないんですよ!(笑) (ケイケイさん) まぁ由美かおる、お好きだったんですか!(笑)。 私、一度見かけたことがあるんですが、すんごい綺麗な人でしたよ。 ヤマ(管理人) え? まさか入浴じゃありませんよね(笑)。 信じがたいことに、彼女は、風吹ジュンよりも年上なんですよねー、確か。『同棲時代-今日子と次郎-』を同時代に観逃しているのが悔やまれます(笑)。 --------『ゆれる』談義のように再燃か?------- (TAOさん) ヤマさん、ケイケイさん、こんにちは! ヤマ(管理人) ようこそ、TAOさん。 (TAOさん) 連休を挟んですっかり遅れをとってしまいましたが、ようやく『魂萌え!』拝読。いいですねえ、ヤマさん。やっぱりリクエストしてよかった! ヤマ(管理人) そうですか(にこにこ)。 リクエストしてくださったお二人に喜んでもらえ、僕も綴って良かったナー。 (TAOさん) あんまりいいもんですから、昭子とのなれそめについても、そーかそーかそうだったのね、と100%納得しかけてましたけど、ここでのケイケイさんの指摘を読んだら、やっぱちがうわ~、と思い直しました(笑)。 ヤマ(管理人) ゆれてますねー(笑)、『ゆれる』談義、再現しますか?(あは) (灰兎さん) ヤマさん、ケイケイさん、TAOさん、こんばんは。 ヤマ(管理人) ようこそ、灰兎さん。 いや、ホント『ゆれる』談義の再現みたいな趣になってきましたね(うひょひょ)。 その節は、どうもありがとうございました。初の編集再録へのご登場をいただきながら、事前確認がきちんと取れないままのサイトアップになってしまい、申し訳なかったです。 (灰兎さん) 私も『魂萌え!』観ました。 ヤマ(管理人) これは心強い(笑)。 (灰兎さん) 多分私くらいでしょうか? 親の財産目当てのしょーもなさげな長男を田中哲司が目当てって(笑)。 ヤマ(管理人) そーですねー、そりゃあ、確かに少数派でしょうね~(笑)。でも、なんか、あの口調のもたらす距離感、絶妙でしたね。 (灰兎さん) 観てみると、良い意味で、田中哲司にも裏切られましたし、この作品はそれほどドロドロしてもなく。では意外に良い印象を受けた訳は? と聞かれると、情けないんですけど言葉が見当たらず(とほ)。でも、ヤマさんの「誰も裁いていない」、まさにそれがこの作品の観た甲斐だったと思いました! ヤマ(管理人) ありがとうございます。 拙日誌が何らかの気付きの契機になったようであれば、書き手冥利で、とても嬉しいです。 (灰兎さん) 「人の誤りを赦す寛恕は、やはり誤りに至る事情への理解と己が誤りへの気づきからという判りやすさがきちんと折り込まれていたところがミソだったように思う。そのうえで、誤っていたか否かの過去を追うのではなく、これから何が必要かに思いを致すことが寛恕を生み出すものであることがうまく表されていたように思う作品ではあったが、『魂萌え!』の“脱皮”と『椿山課長の七日間』の“赦し”では、断然、前者のほうが味わい深く心に沁みた。」 私は『椿山課長の七日間』を未見なのですが、何故かしみじ~み拝読。ヤマさんって時々とっても沁みます(笑)。 ヤマ(管理人) 恐れ入ります(笑)。 『魂萌え!』と『椿山課長の七日間』ってのは、意外と、あまり対照に持ち出されたりしない組合せのようにも思いますが、僕の観た時期が比較的近かったせいか、なんとなく繋がったんですよね。とっても沁みるなどと言っていただくと、有頂天になっちゃいますよ(あは)。 --------正妻・愛人対決のなかに描かれていたこと------- (TAOさん) ケイケイさんの指摘で思ったんですが、愛人っていうと、若くてピチピチしたのを想像するのに、正妻より年上、白髪だって隠してない、でも、あの艶めかしさ! あの正妻・愛人対決における正妻側のショックは、二重だったでしょうね。 ヤマ(管理人) ふーむ、そういうものなんですねー。 (TAOさん) 口紅 VS ペディキュア対決にしても、あの口紅、20年前の色なんですよ。少なくともここ10年、どんな場末のスーパーにもあんな色売ってません。 (灰兎さん) TAOさん、私も同じ事を感じていたんですよ。大昔のちふれって感じ(笑)。 (TAOさん) たぶんそのくらい敏子は化粧品を買ってない。 ヤマ(管理人) ほぅ、こりゃまた僕にはとても気がつかない御指摘です(礼)。灰兎さんのちふれとかにしても、やはり女性ならではの知見で、僕には、とっても無理な気付きですよ(笑)。 ですが、そうなれば、拙日誌に綴った「自分のための買い物など、ろくにしたことがなかったであろう敏子」というのが補強されますねー(笑)。 (TAOさん) 美容院にも半年以上行ってないでしょう。いい妻、いい母かもしれないけど、夫に女を感じさせる存在だったとは思えません。 ヤマ(管理人) あらまぁ、そうなんですか。 (灰兎さん) 敏子もね、ケイケイさんちの髪染め掲示板観たら、きっと目からウロコだったはず! 女である事と同時に人間としての魅力、たとえば会話の豊さとか、アンテナというか輝きが感じられませんでしたよね。 ヤマ(管理人) これについては、ケイケイさんへのレスにも書いたように、僕は正反対で、敏子の“大らかな暖かさ”が、この作品の基調を醸し出しているように感じています。それも、よく出来た立派すぎる女性じゃないとこが更に魅力的でね、風呂場でのお尻ってことだけじゃなく、魅了されてたんですよ(たは)。 (TAOさん) まあ、日本の男性は妻にあまり女を求めないし、10人いれば9人までは、きっと風吹ジュンを選ぶと思うんですが、隆之のように内向的な男性は、意外にディープな趣味の持ち主だったんじゃないかと(笑)。 私は、昭子の都会的で洗練された外見と訛りのギャップにクラッと来たので、隆之もそうではないかと思いました。 ヤマ(管理人) TAOさん、ディープ趣味男に理解深いですよね~(笑)。でも、ギャップというか落差の威力って蠱惑的としたもんですよね。別に淑女と娼婦とかって使い古されたフレーズを持ち出すつもりもありませんが(笑)。 (TAOさん) たぶん会社の連中と一緒に飲むことがあって、そこで昭子のあの訛りを聞いてクラクラっと(笑)。お酒も強そうだから、この後、もう一軒行きませんかと、さしつさされつしっぽり飲んでるうちに、いい雰囲気になっちゃったんじゃないかなあ。 ヤマ(管理人) TAOさんもそっち派ですか。 僕は、ケイケイさんのレスでも触れたように、やっぱ『ひまわり』なんだから、それなりにのっぴきならない事情があって、ままならぬ人生のもたらした綾だと受け止めてるんですけどね~。 (TAOさん) ヤマさんのいう「相談」でもいいんですけど、しっかり女の部分に反応してた気がします。 ヤマ(管理人) まぁね、その後は、やっぱ男と女ですからねー。 『ひまわり』のアントニオ(マストロヤンニ)も、ロシアの地で死にかけたなか救ってもらったマーシャに頼られてああなったのであって、ジョヴァンナ(ソフィア・ローレン)を軽んじた浮気心などではなかったわけですし。 (TAOさん) 風吹ジュンは日向の香りがするけれど、三田佳子って日陰の魅力があるじゃありませんか。やっぱり愛人ですよ~。それも通ごのみの(笑)。 ヤマ(管理人) まぁ、若く逞しい腕で真っ白なシーツを干していたマーシャに比べると、そりゃあ、確かに日蔭の魅力ではありますし、通好みっちゃ、通好みでしょうが(笑)、やっぱり僕は、そげな魔性的ニュアンスは覚えませんでしたよ。ちょっと凄みと怖さはありましたけどね(笑)。 (灰兎さん) 隆之が何故昭子にクラッと来たかですが、きっかけはヤマさんの「相談」的な感じがするのですが、 ヤマ(管理人) おお、同志!(笑) (灰兎さん) 敏子よりも昭子のほうが職場にも社会の厳しさにも詳しいわけで、やっぱり、内向的な隆之の心の隙間をディープに埋めちゃったかと。何しろ三田佳子は声が色っぽいし、携帯とかで話してたら、私もクラッ来ちゃうかも(笑)。 ヤマ(管理人) 魅力は、やっぱ、そっち系へ行きますか、灰兎さんも(笑)。 (灰兎さん) そして、愛人と長続きしてますが、ひょっとすると長男が8年外国に行っていた事も関係あったかもと。昭子のセガレは、結構隆之とも上手く行ってたみたいでしたし、そういったオヤジ心が満たされて嬉しいとか。 ヤマ(管理人) これは考えてもみませんでした。外国に出奔した息子の代替を昭子の息子に投じて父性を満たしていたって話ですか(意表)。 (灰兎さん) 母親は妊娠中に一心同体であるわけで、子供の成長は半分はホットするというのも本音かもしれませんが、意外に男性のほうが寂しかったりして(参考:うちの旦那)。 ヤマ(管理人) へぇ~、そうなんですか~。 (灰兎さん) まぁ、長男がアレでしたから余計に(笑)。 ヤマ(管理人) 退職の日に電話したりしてるんだから、けっこう親密だったんでしょうかね。 でも、あのエピソードは、例の「ありがとう」と共に、隆之の敏子への思いの現れと僕は受け取ってますね、父から息子ってのより。僕も亡父が病床に付いているときに、言われた覚えがあります。長男の役どころですよね(苦笑)。 -------敏之が昭子から味わっていた辛さ------- (とめさん) ヤマさ~ん。『魂萌え!』ちょっくら参戦させていただきます(笑)。 ヤマ(管理人) ようこそ、とめさん。どうぞどうぞ、いらっしゃいませ。 (とめさん) とりあえず私が感じたことを… まず、隆之が昭子とくっついたきっかけはヤマさんのおっしゃるパターンだと私も思います。 ヤマ(管理人) おお、ここにも同志が(礼)。 (とめさん) そして最初はついつい…で、その後昭子の子供が絡んできたんじゃないかな? ヤマ(管理人) おー、とめさんも昭子の子供の存在に重きを置いてるんですね~。 (とめさん) 私はここで向田邦子さんの『冬の運動会』を思い出したんですよ。 ヤマ(管理人) 残念ながら、僕の知らないドラマです(とほ)。 (とめさん) 祖父、父、息子の三代の男たちが自分の本当の家ではないところで心休ませ、擬似家族を楽しんでいた。っていうの。隆之が居ついた昭子の家ってこれじゃなかったのかな。 ヤマ(管理人) そうですかー、なるほどねー。 まぁでも、確かに隆之にとってのもうひとつの家庭って感じでしたよね。 (とめさん) 昭子が焼香に来たときに、敏子が隆之が死んだ原因に、その日の昭子とのSEXが絡んでるみたいなこと言ってましたけど、だから、多分それはなかったと思います。 ヤマ(管理人) 僕もそんな感じに受け止めてますね。 敏子のこの発言については、ケイケイさんのレスにも書いたように、愛人に対する責め言葉としてのレトリック的なニュアンスのほうが強かったように思います。そして、責め言葉においても真っ先にSEXが出てくるところには、“いかにも正妻らしい愛人幻想”が投影されているように感じますね~。 (とめさん) 付き合って10年で、しかも63にもなってて、会う度SEXってのもないでしょう(笑)。 ヤマ(管理人) 昼間、あの蕎麦屋でしてきたとは思いにくいですよね、やっぱ(笑)。 (とめさん) 隆之は敏子に対して、罪悪感はほとんど持ってなかったように思います。 ヤマ(管理人) それはどうかなぁ(笑)。まぁ、なるだけ持たずに済むような努力はしてたと思いますけどね。 (とめさん) いや、そら後ろめたさというのはあるかもしれないですけどね。 ヤマ(管理人) そりゃあ、そういうもんでしょうよ(笑)。 (とめさん) 罪悪感を感じていたとすれば、昭子のほうに感じてたんじゃないかな? ヤマ(管理人) あ、でも、これは本当に、きっとそうだったろうと思いますね。同感です。 (とめさん) 自分を心底好いていてくれて、優しい家庭の雰囲気を味あわせてくれて、「それじゃあ、また」と家に帰る自分の背中に何も言わず送り出してくれる。これって案外辛いもんだと思いますよ。 ヤマ(管理人) おっしゃるとおりだと思います。拙日誌にも綴った、見事十年間も隠し通せるだけの自制を愛人に自ずと促していることへのある種“不合理な申し訳なさ”っていうのは、常にあったろうと思いますね。 (とめさん) 昭子がそれこそ「奥さんと別れて!」なんて隆之を困らせることを言っていたら、その時点で二人の関係は終わってたでしょうね。 ヤマ(管理人) 十年間続いていたということは、つまりは、それだけの自制が働いていたということですもんね。 (とめさん) だからそんな昭子への贖罪が500万とゴルフ会員券だと思います。そして、その隆之の気持ちをわかっていたから、昭子は黙ってそれを受け取ったんでしょうね。 ヤマ(管理人) まさしくそのとおりだと思いますねぇ、全く同感です。 (とめさん) 敏子と昭子が対峙するシーンで隆之が敏子のことを「古い家具」だって言ったというんですが、このセリフ、敏子に対して敵愾心を抱いた昭子が作ったものだって思ってるんですよ。 ヤマ(管理人) そうそう(笑)。喧嘩言葉ですよねー。 (とめさん) そんなこという隆之だったら、昭子は「奥さんと別れて!」って言ってたはずです。 ヤマ(管理人) いかにも! 納得です。 (とめさん) 「心臓が悪いのも私は知っていた」って言うのも、本当は「あなたは妻で私よりもずっと長い時間あの人と一緒にいたのに、なんで気付かなかったのよ! あなたさえ気付いていたら、あの人はもっと長生き出来たかもしれないのに!」って言いたかったかも…なんて、私は勝手にドラマ作ってます(笑)。 ヤマ(管理人) これについては、ケイケイさんのレスにも書いたように、僕は、心臓が悪いことを知っていたということすら、昭子の作りだった気がしていますよ(苦笑)。 -------男って本当に「バカ」------- (とめさん) そうそう、林老人となぎらさんですが、まさしく虎視眈々でしたよ(笑)。あれを虎視眈々と言わずになんて言うんですか!?(笑) ヤマ(管理人) ありゃ? そーですか。仲良くなりたいが、みんなSEX狙いとは限りませんよ(笑)。SEXは別、みたいにして敢えて取り除いているわけでもないのですが、虎視眈々とそこんとこに焦点を定めて狙っているってなもんでもないように思います。林老人ですら、最初からではなかったと思ってるんですが、僕(あは)。 (とめさん) なぎらさんなんて、自分は独身だ!っていうの自己紹介でアピールしてたじゃないですか。 ヤマ(管理人) 若いときですら、とりあえず親しくなろうとする時点での独身という自己紹介が、直ちに相手とのSEXを狙ったものだというわけではないでしょうに(笑)。 (とめさん) 林老人にしたって、普通はあのまままっすぐ送っていくでしょう? ヤマ(管理人) 上手く転がればのSEXを避けてたりは絶対にしてないでしょうが、かといって最初の立ち寄りの誘いがSEXを前提にした狙いとまでは思えませんよ。途中段階での感触や波長のなかでSEXを射程に入れてきたのでしょうが、だからと言って、最初からそれが目的というものではないと思いますね。 (とめさん) で、現役を退いてかなり経つけど、過去には「手練れの狩人」だったと思いますよ、林老人。だからあの洒落たホテルですよ。 ヤマ(管理人) それはそうかもしれませんね。でも、手練れであればこそ、最初から狙ってたりもしないんじゃないか、と(笑)。 (とめさん) ところがですね、ヤマさん、あのホテルでいたしたはいいけど、うまくいかなかったんですよ。 ヤマ(管理人) おー、拙日誌に「夜景の見える高層ホテルのベッドで見せたハッとした面持ち」と綴った場面に、それを読み取りましたか~(苦笑)。こいつは想定外(笑)。 (とめさん) で、いかにもなところだと気分は高まり大丈夫だろうと自分本位でラブホを選び、とにかくまずはSEX。決めるとこは決めとかないと…とそればかりに焦ったのがまずかった。ゴルフがどうこうとかって敏子が話してることにも適当に話合わしてるって感じでしたもん。 ヤマ(管理人) いやぁ、でも、敏子ってカプセルホテルの風呂場で見せてたお尻の艶っぽさからして、とても歳を感じさせない色香があるんだけど、当人そのものは、還暦前の自分の年齢に対して、女としての自信が若いときのままではありえませんから、もし、あの高層ホテルで林老人がベッドに誘いながら出来ずに終わったならば、かなり傷ついてしまって、あの夜を境に浮き立つ敏子という展開はなく、そもそも再会自体があり得なかったように思いますよ。 (とめさん) ま、何にしても、立つか立たないかにムキになる男って本当に「バカ」ですよね(笑)。 ヤマ(管理人) これは、確かに言えますな(笑)。 男は「バカ」です、林老人も自嘲してました(あは)。ま、自分を相手にした際に立ったか立たなかったかで傷ついたり、自責に駆られる女性を、同様に「バカ」呼ばわりするのはちょっと気の毒で憚られますが(笑)、男のほうはホントにバカですねー。 |
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by ヤマ(編集採録) | |
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