『涙そうそう』
監督 土井裕泰


 名曲として歌い継がれそうな位置にある涙そうそう』という歌をモチーフにしただけあって、古いアルバム、ありがとうってつぶやいた、いつもいつも胸の中 励ましてくれる人、晴れ渡る日も雨の日も浮かぶあの笑顔、悲しみにも喜びにも思うあの笑顔、さみしくて恋しくて、会いたくて会いたくてといった歌詞が巧みに活かされていたように思う。お涙頂戴物だと言えば、それまでで、確かに紛れもなくそういう作品なのだが、洋太郎を演じた妻夫木聡の嵌り役ぶりが『春の雪』とは対照的に絶品で、すっかり翻弄されてしまった。
 彼は、実に人の気持ちをほぐし包み込むいい声の響きをしていると改めて思ったが、それも含めて、役者の個性が完璧に活かされると映画の力というのは全く恐ろしいものだとつくづく思う。洋太郎は、まるで花田少年史の壮太がそのまま大きくなったような、優しく健気な青年で、母さんとの約束を一生懸命守って生きていた。そして、母から教わった“涙を堪えるまじないの仕草”を義妹にも伝え、二人して「君への想い涙そうそう」していたとても美しい映画だった。義妹カオルを演じた長澤まさみや恋人恵子を演じた麻生久美子も、持ち味がとても活かされていたように思う。

 男二人兄弟の長男で育った僕には、ローティ−ンの時分に妹を作ってくれないかと両親に持ちかけた記憶がある。母親に言うと父親も歳だし父親に訊けと振られ、父親に言うと母親の歳を気遣う形でかわされたように思う。先頃、31年ぶりに開催され、4〜50代を中心に3万5千人集めたと報じられていた「つま恋ライブ」にも出演していたかぐや姫の歌っていた『妹』も好きだった。図らずもそんな事々を思い出したが、脚本を書いた吉田紀子は、兄妹を描きたかったというよりも、『涙そうそう』の歌詞を活かすうえでの工夫として、通常の遠い日の恋愛の記憶のなかでは醸し出せない親密感を凝らしたかったために、敢えて兄妹として長らく育った二人という仕掛けを施したのではないかという気がする。

 妹に異性を感じ狼狽しながらも愛おしむ兄というのは、義妹であろうが実妹であろうが、同じようにして起こりそうなことで、洋太郎にしてみれば、むしろ半端に血縁がないことのほうを問題がややこしくしくなる部分として、胸の内で煩わしく感じていたような気がするのだが、母親(小泉今日子)が互いに連れ子で再婚したときまだ幼かった五歳下のカオルが、義理の関係だとは知らずにいるとの洋太郎の思い込みには、その煩わしさに対する自分のなかでの防波堤のような役割を無意識のうちに負わせてるようなところがあったように思う。他方、血縁ではないことを当時から承知しながらも、兄のその想いを汲むようにして知らないふりを続けてきたカオルのなかでは、いつまでも肉親のふりを続けるのが苦しくもなってきていたのだろう。

 五歳下ではあっても、おませなのは小さい頃からいつだって妹のほうで、遠い日に「カオルね、大きくなったら兄ィニィのお嫁さんになる」と言ったのが幼い無邪気さばかりとは限らないことになど洋太郎は気づきもしないが、そこがまた洋太郎のよさなのだ。“純宝優洋信士”という戒名がまさにぴったりだと思える、この映画に綴られた洋太郎の姿というのは、『涙そうそう』の歌詞がそうであり、映画のスタイルがそうであるように、一に懸かってカオルの心象のなかにあって思い起こされる兄の姿なのだろう。そのことが当然のようにして伝わってくるから、洋太郎が現実離れしているようには映ってこなかったのだという気がする。

 そんな苦しい胸の内から洋太郎の元をカオルが離れる段では、既に洋太郎も二人の無理が続かない状況への自覚を得るに至っていたわけだが、女の直感で洋太郎本人よりも早い時点からそのことに気づいていた恵子の存在が効いていたように思う。いい高校に受かったことで妹が小島から出てきて一緒に暮らすことになったと洋太郎から聞いたとき、少々悪戯っぽく「じゃあ、ここにはもう泊まれなくなるね。」と笑った時点では思ってもいなかった“淋しさ”をカオルの出現で被ったと恵子が語る“洋太郎の無理”は、カオルと洋太郎の間の無理とはまるで異なる無理ながらも、恵子にとってそれが無理として映ってくるようになれば、もはや続けられるものではないし、逆に恵子のほうに対してかねてより感じていた“無理”のことを洋太郎はぶつけることになる。

 そんな洋太郎とカオルの間で、成人の歳をまもなく迎えるに至ったカオルが、図らずもしっかと洋太郎を胸に抱きかかえることができた場面は、運びのなかでは少々無理があったものの、束の間、こういう形でのみ抱き合えた切なさが沁みてきて印象深かったのだが、よもやそれが洋太郎の最期に繋がる展開になろうとは思っていなかった。しかし、『涙そうそう』の歌詞を活かす形の余韻を残す物語にするためには、やはり必要だったのだろう。加えて、長澤まさみが演じていたことで、世界の中心で、愛をさけぶでのサクの叫びを呼び起こされたりもした。

 最後におばあの言葉に従って、まじないの仕草を解いて「君への想い涙そうそう」するカオルは本当に美しかったが、この印象深い仕草の道具立てとしての扱い方一つとっても、とてもよく拵えられた作品だったと思う。



参照テクスト:ケイケイさんの掲示板での談義の採録

推薦 テクスト:「チネチッタ高知」より
http://cc-kochi.xii.jp/jouei01/0610_1.html
by ヤマ

'06. 9.30. TOHOシネマズ7



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