『不撓不屈』
監督 森川時久


 自営業でも自由業でもなく、源泉徴収をされる給与所得者の僕は、脱税であれ、節税であれ、その余地がないからか“節税”などという胡散臭い言葉が妙に嫌いだ。なんとなく“援助交際”という言葉の持つ胡散臭さに通じるようなものを感じる。もっとも、言葉の流通としては援助交際よりも節税が先んじていて、むしろ'70年代にベストセラーになった野末陳平の『頭のいい税金の本』あたりが浸透させた“節税”なる言葉の、欺瞞性というものに対する麻痺感覚が、その後のメディアでの言葉遣いに大きな影響を及ぼしたような感覚すら僕のなかにはある。

 この映画は、それに先んじて'60年代に“節税”なる言葉を標榜していたらしい飯塚毅税理士(滝田栄)の物語だが、彼自身が「これは制度側が引き起こした問題とも言える。」というようなことを零していたように、彼が手本と考えていたドイツの税制に比べて不備が目立っていた日本の税制において、その基本通達からすれば違法にはならないからということで、利益を益金として計上せずに“別段賞与”という経費に変えて尚かつ賞与としての経費支出はしないという手法を考案し、単に違法ではないというだけで「脱税ではなく“節税”だ」と勧めることで顧客を増やしていたのでは、国税庁ならずとも制度趣旨に反していると考えて当然なのではないかという気がする。ましてや、税理士側が知り得ぬことだったにしろ、彼の顧客の幾人もが、隠し口座や二重帳簿といった形で“脱税”に精出していた以上、いくら税制が大企業寄りで中小企業に対して配慮がないゆえの防御策としての“別段賞与”だと主張していても、給与所得者からすれば、納得できないところが残る。

 つい先頃も子沢山を売りにしているタレント弁護士が、幼い子供たちにも領収書集めを手伝わせているなどとTVで公言しているのを見て、領収書さえ付いていれば、消費的経費としての生活費や子供の小遣いさえも事業経費として損金算入させてしまう現行税制の不備に憤りを禁じ得ないと共に、現行制度ではそれが違法だとは言えないからといって、高額所得者と思しき弁護士ともあろう者が臆面もなくTVで領収書集めを公言することが咎められもしない状況にある日本国民の税制に対する意識が嘆かわしい。

 税金については、かつては高額納税というものが社会的貢献であるがゆえのステイタスであったように思うのだが、“節税”なる言葉が普及し始めた頃から、税金を余計に納めるのは“徳”ではなく“愚”であるように人々の意識が変わってきたような気がする。そして、「より多くの所得をあげた者がより多く社会に貢献することを惜しむべきではない」とするノーブレス・オブリージュ的な納税意識というものが“節税”なる言葉の元に粉砕されてしまった気がしてならない。高額納税に及ばずとも、かつては「きちんと税金が払えるようになりたい」という感覚が一般的だったように思うのだけれども、今や税金というものは、払わずに済めばそれに越したことがないものとなり、なるだけ税金を払わずにやり繰りすることが賢いと賞賛されるようになっている。

 飯塚税理士は、そういう今の風潮を作り出した先駆けのように、僕の目には映ってきて仕方がなかった。しかし、制度の不備の隙間を突いてきた税理士に対して、国税庁が制度改正による整備で対抗するのではなく、権力乱用による嫌がらせで圧力を掛けて屈服させようとするのは下品極まりなく、姑息なる“節税”以上にもってのほかのことだ。しかもそれが関東信越国税局直税部長・竹内(三田村邦彦)の個人的逆恨みと部下の課長・今西(松澤一之)のお追従によるものだったりする卑小さでは、全く以て話にならない。おかげで、この映画は、まるで民衆の側に立って悪代官と戦う腕利きの素浪人といった類型的な勧善懲悪娯楽時代劇の構図に堕してしまっている。そして、中身が何であれ、権力に立ち向かうことを以て直ちに英雄視するセンスが際立っていたところが、全共闘時代の多くの学生さながらの幼稚さで、社会派映画とか経済ものとしては、いささか疑問が拭えないような気がした。

 とりわけ笑止だったのは、権力側の横暴によって窮地に追い込まれながらも起死回生の強力な反撃材料として使える“政治圧力による国税庁長官の不正行為”というネタを、単にネタ元の顧客に迷惑が及ぶかもしれないとのことで自らは封印し、他の多くの善良なる顧客が被っている厄災から救おうとはしなかった彼を肯定するかのような作り手の視線だ。親族の現職自治大臣を使って脱税のもみ消しを図った不正であっても、それが“顧客”のしたことである以上、その利益のために封印するのが税理士のモラルだと考えるようでは、彼はあくまで商業的な顧客主義者にすぎない。情としてそういう形ではつけ込めないと考えたようでもあったが、いずれにしても、卑近の域での判断でしかない。それが悪いとまでは思わないが、そのくせして、税理士として御大層に社会正義を標榜するのは、少なくともお門違いというものだ。しかも、結局その部分では自分が手を下すことなく、妻るな子(松坂慶子)の英断に委ねた形で国会質問の場にて問題化されるに至るのだし、そうなってもただ妻に感謝するのみで忸怩たる想いを抱いていたようには描かれない。

 しかし、今時はやりの昭和ものなり、家族ものとして観ると、ちょっとグッとくる作品だった。先頃、独り暮らしが二年目に入った娘から、父の日にちょっと嬉しい手紙を貰ったのだが、部下の職員の逮捕拘禁に動揺してホテルに身を隠した飯塚が息子からの手紙に涙する場面は、なかなかよかった。また、妻子の支えのおかげで卑屈にならずにすんだと飯塚が述懐し、妻に感謝する場面もちょっと素敵だった。禅寺の住職(北村和夫)が飯塚の長男に語ったように、こういうときに妻が“鷹揚に構えてくれる器の大きさ”に優る内助の功はない。しかも要所では機転を利かして機敏に立ち回るのだから立派なものだ。松坂慶子にとても存在感があって、すっかり見惚れていた。

 どうもALWAYS 三丁目の夕日のトモエ(薬師丸ひろ子)あたりから、目立ってきているような気がするのだが、明日の記憶の枝実子(樋口可南子)といい、『バルトの楽園』の松江所長夫人(高島礼子)といい、日本映画に良妻ものが続いているような印象がある。熟年離婚ブームと言われる現象が顕在化するなかで、そういうことにはならない夫婦の情愛にスクリーンで心洗われたいと願う観客が思いの外たくさんいるのか、興行的にも成功しているようだ。思うにこれらは、意外なまでの好評により延長が続いている「夫婦50割引」が生み出した客層に応えるようにして出てきている作品群なのかもしれない。




参照テクスト:富岡幸雄 著『税金を払わない巨大企業』読書感想文
参照テクスト:内橋克人 著『悪夢のサイクル』読書感想文

by ヤマ

'06. 7. 1. TOHOシネマズ5



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