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『メルキアデス・エストラーダの3度の埋葬』(The Three Burials Of Melquiades Estrada) | |||||
監督 トミー・リー・ジョーンズ | |||||
ヤマのMixi日記 2006年05月03日23:28 『21グラム』のときと同様に、無駄に時系列をいじくったギジェルモ・アリアガの脚本が、カンヌで最優秀脚本賞を受賞しているのが腑に落ちないけれど、役者はよかったぞ。 過ちで済ますには何とも不用意でお粗末な殺人に対して、制裁ではなく、償いをきちんとさせるとはどういうことなのかってなことを思ったりした。ピート自身には、そういう意図は必ずしもなかったように見えるところがいいんだけどね。 日誌は綴る間がないと思うが…。 2006年05月07日09:05 (ケイケイさん) ヤマさんには、ピート自身には、そういう意図は必ずしもなかったように見えたんですね〜。 私は、過酷な国境越えを体験させることで、どういう思いでメキシコ人がアメリカに渡るか、マイクに教えたかったかな? と思い、観ていました。でも、ヤマさんの感想を読んで、それは結果的にだったのかと思ったり。 トミー・リーの“男としての格の違い”を見せ付けられました。この人、後20年経っても、若い男なんか蹴散らせますよ。バリー・ペッパーも貧相な悪党面が、段々子供のように可愛く見えてきて好演でしたよね。頑張ったらウィレム・デフォーになれるかも。似てません? ヤマ(管理人) ピートには、教えるなんていうおこがましさはなかったんじゃないかな〜。やっぱ、懲らしめと責任をとらせるという思いのほうが強かったんじゃないかという気がするなぁ、僕は。 ただ、結果的にマイクは、懲らしめられたということ以上に、教わったろうとは思うけどね。で、そのことが図らずもマイクの償いに繋がっていた気がするんだな〜。 (ケイケイさん) そうですね。仙人っぽい感じの人でもなかったし>ピート。 俗っぽい感じの男らしい人でしたから。結果のほうが印象強くて、そう感じたんだと思います。私も寝返ってしまおう(笑)。 ヤマ(管理人) でもね、ピートにはその意図がなくても、作り手のほうには確かにあったような気がするから、ケイケイさんがそう受け取るのはもっともな話なんじゃないかなぁ。だからこそ、僕も「制裁ではなく償いをきちんとさせるとはどういうことなのかってなことを思ったりした」んだし(笑)。 なんか“制裁を加えること=償いをさせること”みたいな考え方が横行してるなかで、こういう作品を観ると、マイクの変化のなかで生じている償いというものが、ピートの課した制裁“行為”によってもたらされたものではなくて、ピートの格というか“男力”によって伝えられたものであることがよく解るよね。教育っていうのはそういうことであって、行為が保証するものじゃなくて、その行為を与える人間の力が保証するものなんだよね、きっと。 (ケイケイさん) そう思います。 ブーツを履かせないとか、死臭のするメルキアデスの側で寝かすとか、手錠をはめたままとか、普通に観たらイジメか虐待ですよね(笑)。それがそう見えない。ピートが投げ縄でマイクの首を捕らえて、馬で引きずる場面なんか、私はユーモラスで笑ったんですよ。普通は残酷描写にも使うような場面ですが、駄々っ子と大人の男みたいに見えて、絶対ピートはマイクに致命的なケガや、命を奪うことはしないと、安心して見られたんですね。これがベルモントなら、絶対イジメに見えたはず(笑)。 ヤマ(管理人) そうそう、そういうことなんだよね。何をしているかが問題ではなくて、どういう人がしているのかが問題なんよ。 ところで、後20年経っても若い男なんか蹴散らせるって話で思い出したのが、『ウォルター少年と、夏の休日』なんだけど、ケイケイさん、観てる?(笑) (ケイケイさん) 観てないんですよー。見逃しを決めてから、賞賛の声がいっぱいで、これはまずったなと思いました。 ヤマ(管理人) それはそうと、ケイケイさんの日記では、相変わらずきめ細かく観てるなぁって感心してましたよ。 マイクの変わっていく姿、なんかよかったよねー。あの映画の一番いいトコは、そこやったろうなぁって僕も思う。メルキアデスもまさかホントにピートがヒメネスを訪ねるときがくるなどとは思ってなかったんやろね。 (ケイケイさん) そう思います。 ヤマ(管理人) “心の拠り所”説、そのとおりやと思います。 (ケイケイさん) メルキアデスは、もし自分が先に死ぬことはあっても、ピートが本当に自分を運んでくれるとは思っていなかったと思うなぁ。そういう約束や頼みごとをきちんと守る信頼関係のある人が、メルキアデスの周りではいなかったんじゃないかなぁ。それはピートもそうだったように感じました。だからあの無茶な約束に固執したように感じました。 ヤマ(管理人) なるほど。これは鋭いかも。 そんなふうにまでは考えてなかったんだけど、そういう意味でメルキアデスは、ピートにとって特別な奴だったんだね、きっと。なんか誠実そうな男やったもんね、メルくん。ピートには他にそういう友達がおらんかったんやね。そんなら、二人の関係の特別さ(別に『ブロークバック・マウンテン』みたいなんじゃあなしに(笑)。)が、もうちょっと丁寧に描かれてたら、よかったかも〜。言われてみたら思い当たるシーンは、いくつかあるんやけどね。 (ケイケイさん) 私は、メルがピートに馬をプレゼントするところ、ピートがメルに女性をあてがうところなんかに、親密な友情を感じました。いつも二人だったでしょ? ヤマ(管理人) うん、親密ってとこなら、それでも充分だよね。でも、“特別”っていうのには、も少し何かって気もするなぁ。 (ケイケイさん) 『ブロークバック・マウンテン』で、テントで唐突に結ばれるより、説明あったと思いますよ(笑)。 ヤマ(管理人) 確かに(笑)。けど、友情にファム・ファタルはナイけど、恋愛にはアリだからなー(笑)。 (ケイケイさん) ピートも流れ流れてテキサスに来た気がするんですよ。だから故郷を離れたメルに、親近感を覚えたんじゃないかと。 ヤマ(管理人) なるほど。これ、いいかも。似た境遇だったってのね。 でも、そういうとこを、ケイケイさんのように感度のいい人にさえ「気がする」みたいな言い方に留めさせるような描き方するのは、ちょっと不親切すぎないか〜?(笑) それはともかく、ケイケイさんの日記を読んで最も感心したのは、レイチェル夫妻に向けたケイケイさんのまなざしでしたねぇ。 (ケイケイさん) ありがとうございます。 ヤマ(管理人) 「ボブは特別との言葉は、私には自分を真っ当な生活に引き上げてくれた恩人、と聞こえました。」には唸りましたよ。そのように聞こえてくると、ぐんとコクが出てくるよね、あの映画。 (ケイケイさん) 当たっているかどうかは、わかりませんが(笑)。 ピートに「ボブは特別よ。わかるでしょう?」と言うのと、夫婦の年齢差で、そう感じました。でもって、プロポーズを断るところで決定でした(笑)。 ヤマ(管理人) この特別さみたいなのは、お茶屋さんとこの掲示板での『ピアニスト』がらみのやりとりで「わはは、ケイケイさん、ノロケテ〜ラ(?)。←失礼(^_^;」ってレスが付いた話にも被ってくるところがあって、感度が高かったんじゃないの?(笑) (ケイケイさん) うん、それはあったかも(ノロケを認める発言)。 私は、真っ当には暮らしてましたが(笑)。 ヤマ(管理人) そりゃあ、『ピアニスト』のエリカにゃ、大概の女性がかないませんて(笑)。 (ケイケイさん) それはともかく、レイチェルにとってボブは“特別”でも、男として愛していたのは、ピートなんじゃないかなぁ。だから心を寄せすぎないために、ベルモントとも関係していたのかと。複数の男と浮気する人妻という、インモラルな自分を引き受けてくれるのは、絶対過去も受け入れてくれるボブしかいないと、思い込めるでしょ? 想像たくましすぎですかね?(笑)。 ヤマ(管理人) いやいや、膨らませてもらえて嬉しいな〜。なるほどねー、そういう心理が働くわけね(笑)。 でもって、ますますボブは特別な存在になるわけだし、ピートへの自分の気持ちを制御しやすくなるわけだね。その制御作用っていうのが、ピートへの自分の気持ち自体を抑圧しなくてもいい形に働く仕組みになっているところが巧妙なんだね〜。ある意味、自らを貶めることで、ピートへの想い自体はそのままにして、自分の側の資格みたいなところでセーヴを掛けようとするってとこが女心っぽいなぁ。 (ケイケイさん) レイチェルも、人並みの平凡な暮らしをしたくなった時に、ボブに巡りあった気がするんですよ。じゃないと、あの人が素直にボブで満足する人には見えませんよね(笑)。 ヤマ(管理人) やっぱり、そーか(笑)。 (ケイケイさん) 気風も良さそうだし、玄人女の底光りみたいなのが、見え隠れしてましたから。 ヤマ(管理人) 確かにねー、姉御肌っぽい感じだもんね。ルー・アンのことも若衆の面倒をみるような感じで気に掛けてる風情があったな(笑)。 (ケイケイさん) そんな人が普通の道徳的な感覚を持ち合わせているところに、私は女性としてのたしなみや慎みを感じたんです。ほら、『東京タワー』の詩史さんとは、ちょっと違うんですよ(笑)。 ヤマ(管理人) 詩史さんは、玄人女の底光りってのには程遠い、オシャレな有閑マダムって感じだったもんね。 僕の目にはレイチェルって、ケイケイさんに映った姿より男に対してもっとサッパリ系のイメージなんだけど、確かにあそこでは「ボブは特別よ。わかるでしょう?」っていう台詞だったからな〜。なるほどね。 (ケイケイさん) ここね、カッコいいなぁと思いました。あれぞ百戦錬磨の女の年輪ですって。区別できなくなった詩史さんは、あんがい恋愛経験、少なかったかもしれませんね(笑)。 ヤマ(管理人) そりゃあ、レイチェルには到底かないそうにはない風情だった…。 バイアグラなしでは役に立たないボブの元で、バイアグラの力を借りるくらいなら死んだほうがマシだと突っ張るベルモントや男力に富んだピートとベッド遊びに興じつつも、ルー・アンのように夫を残して出て行こうとは決してしないとこがレイチェルの“女としての慎み”なんですね。なるほどねー(感心)。 (ケイケイさん) そうなんですよ、そうなんですよ! ヤマ(管理人) まぁ、一宿一飯どころかの恩義なら、敢えて“女としての”ってことでもないような気がしなくもないところもありますが、なんかレイチェル、よかったですよね。 (ケイケイさん) 若いが全て素晴らしいわけじゃないですよね。 ヤマ(管理人) うん。ルー・アンやマイクのような若造より、遙かにレイチェルやピートのほうが魅力があったね。 (ケイケイさん) 初老のピートの見せる男の逞しさや格、中年ど真ん中のレイチェルが見せる女性ならでは情感とか、若い人ではなかなか無理な“生きてきた年輪”が感じられました。 ヤマ(管理人) そうそう。 (ケイケイさん) 過去に失敗や挫折があって、決して今恵まれた場所にいなくても、人生に過去を生かすことはできるんですよね(しみじみ)。 ヤマ(管理人) 亀の甲より年の功ってね(笑)。そうありたいもんだ。 けど、レイチェルがボブは特別だって思ってても、ボブ自体はね、他の男たちと親しそうにしているレイチェルを調理場から焼き餅の目で見てたんだけどね〜(笑)。 (ケイケイさん) ボブは妻がそんなに大事に思っていてくれるなんて、思ってなかったんじゃないですか? だからバイアグラを使って、肉体的にも引き止めて置かないと、自信がなかったんじゃないですか? 他にも妻に色目を使う男はいたでしょうし。 ヤマ(管理人) バイアグラって、できない男であることが嫌で使うものなのか、したくって使うものなのか、どっちなんだろうね?(笑)ってのはともかく、レイチェルは、そんな焼き餅の目で自分を見はしても、最終的には丸々受け入れてくれる男だと、ボブを見ているってことだよね。うん、ありそうな話だ(笑)。 (ケイケイさん) ベルモントに「ボブは使うわよ」と言うレイチェルの言葉は、「彼は私にぞっこんよ。」というふうに聞こえましたね。だから、使わないと言うベルモントにとって、レイチェルは、ただのセフレなんだなと思いました。うーん、バイアグラの使い方も上手いですね、脚本(笑)。 ヤマ(管理人) これは考えもしなかったな〜。「ボブは使うわよ」が「ぞっこんよ」ですか(感心)。使わないのは、愛がないと! ふ〜む。でも、ベルモントも確か、ピートと会ってるらしいってことで妬いてませんでした? ベルモントと並んでたあのときのレイチェルのちょっと弛みと草臥れのきた裸体も何かよかったなー(笑)。 (ケイケイさん) マドンナも50前で、すんばらしいスタイルで立派なんですが、女としての味に欠けるような気がします。まるで若い子といっしょじゃ、それこそ年を取ることは、ネガティブなだけになりますよね。 ヤマ(管理人) いや、あれはあれでまた…(うじうじ)。やっぱまんま若いわけじゃないし(笑)。実は僕、マドンナは若い時よりも今のほうが魅力があるような気がしてるもん(苦笑)。 (ケイケイさん) 10年前のサイボークっぽいときより、今のほうが女性らしさを感じますね。でも、レイチェルのあの崩れた体から発散するお色気こそ、女の年輪ですって(笑)。 ヤマ(管理人) それも勿論いいんだけどね〜。 って、要は僕、年季入ってて子供でなきゃみんないいのかな(忸怩)。 (ケイケイさん) わはははは、そしたらストライクゾーン、めちゃめちゃ広いですやん(笑)。 ヤマ(管理人) そうね、確かに(苦笑)。 なんていうか、特にこういうのが好きっていうのがないみたい(あは)。「嫌いじゃないものは、みんな好き」みたいな(苦笑)。映画にしてもそうなんだけど、取り立てて凄いとか面白いとか思わなくても、つまんないと思ったり嫌になったりしなけりゃ、基本的に映画なら好きって感じ(笑)。そういうのをしてまさに“映画好き”というのであれば、僕は同様に“女好き”ってことになるのかもねー(たは)。 | |||||
編集採録 by ヤマ '06. 5. 3. 梅田ガーデンシネマ | |||||
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