『狼少女』
監督 深川栄洋


 見世物小屋の入場料が大人150円・子供80円などというと、僕が子供だった頃にまで遡らないといけない気がするが、ゲイラカイトが日本に入って来たのは、僕がもう凧揚げなどしなくなっていた高校生時分だったように思うから、映画の冒頭に字幕で映し出される“「昭和」と呼ばれていた時代”というのが具体的にいつなのかは、考証的にはかなり怪しい。学校の風情はかなり新しいし、お洒落に余念のない小学四年生の女子たちが、東京を知っているらしい転校生の留美子(大野真緒)に羨望と敬意の視線を向ける様子にしても、昭和ならば相当終わりにならないと、田舎の小学校にはなかった光景なんじゃないかと思う。その一方で、ランドセルを買ってもらえない秀子(増田怜奈)の家の貧しさのようすや身なりの感じは昭和3~40年代のようだったし、明(鈴木達也)の父創(利重剛)が新聞記者の仕事に使っているテープレコーダーがオープンリールだったり、母未沙(大塚寧々)が手芸教室の先生を頼まれるのが毛糸の手編みだったりもしている。風景や背景と小道具が合ってなくて、五百円が硬貨ではなく紙幣だった時代という形で強調される場面にも少々取って付けたような感じが否めない。

 これらのことは、普通は映画作品としての傷にもなりかねないのだけれど、大ヒットしたALWAYS 三丁目の夕日が随分と金をかけて、昭和の貧しい時代をあまりにも贅沢に凝った画面で再現していたこととの対照で、このいかにも製作費に贅沢ができない事情が透けて見える画面の“手作り感がもたらす温もりと貧しさ”が、視覚的再現としての「昭和」ではなく、空気としての「昭和の香り」を期せずして現出し、効を奏していたような気がする。それとともに『ALWAYS 三丁目の夕日』が、間違いなく秀作でありながらも、僕がどこか手放しになれなかった理由が、贅を尽くして貧しさを描いていたことにもあると気づかせてくれたように思う。

 上映会主催者から推薦文を頼まれ、…商業製作の場からはかなり遠い地点で芽生え“映画への想いの強さ”が生み出したとも言える作品なのだが、そのせいか、東京でもレイトショーやモーニングショーといった枠でしか上映されなかったようだ。でも、そんな作品が、高知のような地方都市なのに、きちんと目に留まって上映されるのだから、ちょっとたいしたものだ。都会に住む映画愛好者の知人たちでも見逃している人が多いなかで、からくも観た人が「あー、観逃がさなくって良かった!と心底思える、もー、久々に心打たれまくる作品なのだった。」などと書いているのを読むと、高知で上映されることががぜん誇らしくもなってくる。…と寄稿していた本作は、函館港イルミナシオン映画祭で第6回シナリオ大賞長編部門のグランプリとなって早々に映画化されたわけではなく、2003年には映画化されて同映画祭で披露されたらしい同期の短編部門受賞作の3作品のようにはいかなかった映画のようだ。受賞者の大見全は、原案・脚本でクレジットされてはいるものの、プレスシートにスタッフとして説明が添えられているのは小川智子だけだから、紆余曲折もあったのだろう。

 物語としては、誰しもに覚えのある“おませで考え深い女の子とぼんやりしてて脳天気な男の子”の記憶が心地よく擽られる前半に思い出し笑いを誘われつつ、留美子の秘密が明らかになっていくあたりから、それ以前の場面の数々が効いてくる仕掛けになっていて、思わず涙を誘われた。しっかり者で頭がよく華も自信もあり、身綺麗にしていて裕福そうな留美子が圧倒的に優越したところから発していたように見えた“余裕”ゆえの優しさと正しさが、実は切なる孤独と厳しさのなかで培われたものであったことを知るとき、明や秀子のみならず、観ている僕にも迫ってくるものがあった。振り返れば、作劇的にはそうなっていることのほうが自然なくらいのことなのに、明や秀子と同じく僕が予想だにしていなかったのは、この作品を美味しく味わう点から幸いこのうえないことだったが、それは、いかにも「“余裕”ゆえの優しさと正しさ」であるように見えた留美子を演じていた大野真緒のおかげだったように思う。留美子のその突っ張りの隙のなさ加減があればこそ、そこまでに至っている少女の孤独と厳しさが痛切になるわけで、だからこそ、ささやかながらも思い掛けない果報を彼女が得る場面が胸に沁みてきたのだろう。

 そして、何よりも心地よかったのは、貧しさや不全感などいろいろ苦境や不満はあっても、子供たちの親や先生、見世物小屋芸人たちを含め、大人たちにどこか“余裕”というものが備わっていることだった。これこそが“大人の証”で、子供たちには届かない身の丈なのだと改めて思った。そういうものを備えた大人に囲まれて育まれることこそが子供を健やかにするのだろう。明に「なにもかも、うるさ~い!」と叫ばせる父のみが、新聞記者というインテリのくせして、唯一その“大人の証”を備えていない人物だったのが実に象徴的で、理と知に敏感になって小賢しくなった大人が増えるとともに“大人の証”としての余裕を失い、子供をきちんと育てられなくなっているような気がする。

 大人がきちんと“大人の証”を備えていたのが“「昭和」と呼ばれていた時代”だったということになるのかなとふと思った。




推薦テクスト:「帳場の山下さん、映画観てたら首が曲っちゃいました」より
http://yamasita-tyouba.sakura.ne.jp/cinemaindex/2006ocinemaindex.html#anchor001381
by ヤマ

'06. 5.20. 自由民権記念館民権ホール



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