『ロード・オブ・ウォー』(Lord Of War)
監督 アンドリュー・ニコル


 確かソ連邦末期のことだったように思うが、新聞の外電で、寒さが厳しくウォッカ欲しさに戦車の横流しをした部隊が処罰されたという記事を見て、そのルーズさのスケールのでかさに仰天したことがあるのだが、映画を観て、改めてソビエトが崩壊したことでの核を含めた殺戮兵器の無節操な拡散の罪深さが印象づけられた。覇権上の世界戦略であれば許されるというものでは決してないのだけれども、戦いの義も理念もない算盤だけのものとして殺戮兵器が商品として扱われ流通するのは、かてて加えて不愉快極まりない。おまけに原題たる“戦争王”ともなれば、兵士付きの部隊ごと商談に乗せることができるところまで金の力がモノを言う段階に、現在の資本主義は到達しているようで些かゲンナリしてくる。

 しかし、僕が最も衝撃を受けたのは、ユーリー(ニコラス・ケイジ)の“死の商人”ぶりや、カラシニコフ銃の猛威が核兵器以上で人類史上最も多くの人命を奪ったというような話が前に新聞連載で読んだ覚えのあるアフリカの少年少女兵が手にしているカラシニコフ銃についてのルポを想起させたことではなく、ユーリーの弟ヴィタリー(ジャレッド・レト)が死に至る顛末やユーリーの妻エヴァ(ブリジット・モイナハン)が子供を連れて夫と別れるに至る顛末のなかで付与されていた彼らの“良心”なるもののリアリティのなさのほうだった。良心なるものの有り様として、国際刑事警察機構のバレンタイン刑事(イーサン・ホーク)に内通さえもしていたかのようなエヴァよりはミスティック・リバーのアナベスのほうが、遙かに現実感があるのが現代だという気がする。

 ましてや二人は、自身あるいは夫が武器商人であることに心を痛める度合いとして、心だけでの領域を通り越し、難民の殺戮に抗って自身の命を落としたり、夫と離別して年収100億円の生活を捨てたりするほどだったわけだが、特段の理由も事情もないまま、そこまでも金に魂を買われずに済んでいるあたりが、現代人としては何処か腑に落ちず、僕がリアリティを感じ取れなかった所以だったように思う。なにぶん自分が大金と縁がないので知らないだけで、実際は案外そうでもないのかもしれないが、今の世の中ほどに拝金主義が横行し喧伝されていると、金に寄り付けないことでしか守れそうにもないことのような気がしてくるわけだ。それほどに人間は、とことん金に対して為す術なく無力な存在であるということにメディアを通じて洗脳されてきているように感じる。ここのところが僕には本作の最も衝撃的な部分だった。だから、彼らの良心的呵責のリアリティのなさというのは、本来は作品的な欠点なのかもしれないけれども、そのことの触発してくれた想いは僕にとって大いに意味があったわけで、もし作り手がそのような意図を以て敢えて違和感を忍び込ませていたのなら、これは相当に大したことだというふうに感じた。ガタカシモーヌの脚本&監督や『トゥルーマン・ショー』の脚本で僕の目を惹いた警世家たるアンドリュー・ニコルの面目からすれば、あり得ないことではないように思う。

 他方これに比して奇妙なまでの現実感を宿らせていたのが、ユーリーの救われなさだったように思う。憧れの女性を獲得したくて求めた成功のために発揮された商才が武器売買という業界だったわけで、戦争を作り出したり、巨額の富を得ることは手段であって目的ではなかったはずの男が、手段でも目的でも成功を収めたように見え、もはや取締当局ですらアンタッチャブルな領域にまで登りつめながらも、結局のところ手段のほうに操られるようにして、弟を失い親から勘当され妻子に去られる孤独を余儀なくされる。金以外の何ものをも得ているようには見えず、失ったり逃したもののほうが大きそうに見えるのが、その札束=弾丸の量の視覚的にも呆れるほどの大量さゆえに、却って救われなさが際立つ形で描かれていたのが印象深い。




推薦テクスト:「ケイケイの映画日記」より
http://www.enpitu.ne.jp/usr1/bin/day?id=10442&pg=20060113
by ヤマ

'06. 1. 5. TOHOシネマズ1



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