『バッド・エデュケーション』(La Mala Educacion)
監督 ペドロ・アルモドバル


 アルモドバル作品にしては、ストレートでシンプルな映画なのに、観ている僕にとっては、非常に焦点の絞りにくい作品だった。ミステリアスなサスペンスものとしてはいささか淡白だし、画面のなかで提示もされるフィルム・ノワールとしては中途半端だ。そして、恋愛映画としては僕の苦手とするファム・ファタルものだったりする。
 映画のなかの人間模様に心惹かれる僕は、人の心模様が最も露になり躍動する営みのひとつである恋愛や官能を描いた作品を好んで観るほうだが、そのなかでは、いわゆるファム・ファタルと呼ばれる“絶対的な存在の魔性”に引き込まれ彷徨う魂を恋愛のひとつの極地として綴ったような作品は苦手で、ダメージ('92)なんかは気の知れなさが先に立ってピンと来ない。そういう意味では、例えば愛のコリーダ('76)のように、魔性の女で片付けられがちな阿部定を“存在の絶対性”よりも吉蔵との濃密な“関わりのプロセス”によって捉え、描いた作品のほうが、たとえその関わりが性愛の一点に集約されていても、むしろそれが故に大いなる納得に繋がる形での了解を覚える。それは、いわゆる一目惚れのような形で魅入られる恋愛というものを経験していない僕の体験の貧しさというよりも、むしろ性向の貧弱さと言うべきものに起因することなのかもしれないが、この作品を観て、異性愛の恋愛映画では好んで取り上げられる“魔性の女”ものがゲイを題材にした場合には今まで余りなかったことに気づかされたように思うとともに、魔性についてある種の納得感をもたらしてくれたことが思いのほか新鮮だった。
 加えて、男性の同性愛については、ギリシャ時代の昔から、過剰に精神性が謳われがちな印象があるなかで、意図的なまでにそれが排除されていて、アンヘル(ガエル・ガルシア・ベルナル)のセックス・アピールの絶対性が強調されていたことが目を惹いた。しかも、十代の時分に観たきりの『ベニスに死す』('71)が美少年の絶対性の前に心がひれ伏していた作曲家の“煩悶と苦悩に満ちた内面”を綴っていたようには、ベレングエル[マノロ神父](ルイス・オマール)の内面が濃密に描かれたりせずに、専らアンヘルの魔性が印象づけられる。それに応えたガエル・ガルシア・ベルナルの存在感は大したもので、『ヘドウィグ・アンド・アングリー・インチ』('01)のジョン・キャメロン・ミッチェルを思い起こさせる程のグラマラスな妖しさを湛えて「キサス・キサス・キサス」を歌う。前作トーク・トゥ・ハー('02)での「ククルクク・パロマ」にも遜色ない歌の使い方の巧さには感心させられた。
 だが、僕の興味を最も惹いたのは、アンヘルの魔性に翻弄されたベレングエルとは対照的に、彼の魔性に魅せられながらも翻弄はされなかった映画監督エンリケ(フェレ・マルティネス)の存在が印象深く描かれているところだった。アンヘルとイグナシオの秘密を解き明かす進行役という、映画作品にありがちな位置づけではなく、振り返ってみれば、むしろ一番の主役だったように思う。イグナシオにバッド・エデュケーションを施した張本人ということでは、実はマノロ神父(ダニエル・ヒメネス・カチョ)よりもタチが悪いのは、エンリケだったのではないかという気がする。イグナシオの遺した小説「訪れ」に描かれていた、エンリケとサハラことイグナシオの1977年の一夜の邂逅が事実だったのか否かは謎のままだが、彼の遺稿が、マノロ神父を強請れた程度に、全てに渡って事実に即して綴られたものだったとすれば、イグナシオにトランスヴェスタイトに留まらない肉体改造への情熱を促す契機を少年の日に作ったのは、マノロ神父ではなくエンリケだった。マノロ神父は、イグナシオを触発したのではなく、むしろ彼に触発された側として描かれていたように思う。
 ゲイやトランスジェンダーの発現に占めるウェイトが、先天性にあるのか触発にあるのか、僕はその道の専門家ではないから全く判らないけれども、ゲイをカミングアウトしているアルモドバル監督が敢えて自身の監督キャリアと重なる設定をエンリケに施していることのなかには、自身がかつて触発し目覚めさせたことから深みに嵌り、異端の道を邁進して身を滅ぼしていった愛人たちへの懺悔の思いと、ベレングエルのようにはのめり込めない自身に対する忸怩たる想いが込められているのかもしれないと思った。エンリケの人物像に施されていた冷徹さと自己愛の壁の頑なさには、自嘲に留まらないシビアなものが潜んでいたように感じる。
 そうして観れば、この作品もなかなかの暗黒映画ぶりで、おいそれ中途半端なフィルム・ノワールだとは言えないような気がしてくる。一見、ストレートでシンプルなゲイ映画サスペンスに見えて、やはりアルモドバル作品にふさわしい曲者ぶりが潜んでいたようだ。


推薦テクスト:「映画通信」より
http://www.enpitu.ne.jp/usr1/bin/day?id=10442&pg=20050429
推薦テクスト: 「マダム・DEEPのシネマサロン」より
http://madamdeep.fc2web.com/bad_education.htm
推薦テクスト:「チネチッタ高知」より
http://cc-kochi.xii.jp/jouei01/0509_3.html

by ヤマ

'05. 9.26. 県民文化ホール・グリーン



ご意見ご感想お待ちしています。 ― ヤマ ―

<<< インデックスへ戻る >>>