『ペパーミント・キャンディー』(Peppermint Candy)
監督 イ・チャンドン


 少々構成的に過ぎるきらいがなくもないが、人の生の御し難さを描いて、重く深い哀切を刻み込んだ秀作だ。

 一九九九年春の一日から、その三日前、五年前の夏、十二年前の春、十五年前の秋、十九年前の五月、そして、二十年前の秋の同じ場所でのピクニックの場面へと時が遡行していく。現在を描いたのち一気に二十年前に遡り、そこから時の流れとともにドラマが綴られることはよくあるが、現在から順繰りに時を遡るドラマ構成には、今回初めて出会ったように思う。

 四十歳で自殺するに到った男の人生を辿るという意味では、その流れが掴みにくくなるこのような構成は、人生の時間の流れを分断してしまうので、一般的には好ましくないと思われるが、自殺するキム・ヨンホ(ソル・ギョング) が「俺は戻りたい、帰りたい」と涙し、何処かで歯車が狂ったはずの人生のやり直しをしたそうに嘆いていたから、どこまで遡る必要があったのかを探る視線を強調するために、敢えて採られた手法だろう。タイトルにもなっているペパーミント・キャンディーのみならず、関係する人物の登場のさせ方やポッピという名の犬、妻ホンジャ(キム・ヨジン)の祈り、吠える犬の真似や「人生は美しい」との言葉、ヨンホが走るときにひく跛、そしてカメラなど周到に配置された事物が時間の流れの分断を補って見事な構成だ。各時代へと遡行する時の流れを繋ぐのは、逆回転で進む列車が見下ろすレールとその両脇にひらける風景で、憎いばかりに技巧的だが、この遡行の旅をうまくイメージ化している。

 取り上げられた各年代は、おそらく韓国現代史を語るうえでのエポック・メイキングとなった年なのだろうが、僕が連想できたのは '79年秋の朴正煕大統領の暗殺と翌 '80年の光州事件だけだった。大学卒業前後のことで、当時けっこう衝撃を受けた覚えがある。その後の二十年間で全斗煥、盧泰愚、金泳三、金大中と政権交代し、通貨危機まで懸念された経済危機もあったが、僕の年代的な記憶とは繋がっていない。でも、これだけ構成的に技巧を張り巡らせた作品が必然性もなく、その年代を選んでいようはずがない。

 察しのついた範囲で観るならば、やはり最も印象深いのは、同じように河原に寝そべって鉄橋とともに空を見上げてヨンホの流していた涙の二十年の時を経ての意味の違いの大きさだ。二十歳のとき、朴政権倒壊を受けて、これから時代が変わる、自分たちの世の中がくるという希望のときに仲間たちと居合わせ、生きている実感に感激の涙を流していたのであろうヨンホが、時はそのようには経過せず、狂った歯車を修正できぬままに、悔恨と無念の涙を流して最期を迎えるしかなかった。こんなはずではなかった人生そのもののやり直しはきかない。

 河原に咲く名もなき小さな花をいとおしみ、そのような花を撮る写真家に憧れた心優しく気の小さな青年を民主化運動に携わる学生に手だれた拷問を加える鬼刑事に変え、転職後マネーゲームに奔走する拝金主義者に変え、バブル崩壊とともに死に追いやったのは何だったのか。

 ヨンホ個人のドラマとしては '80年に徴兵された軍隊で、臆病なるままに任せて威嚇射撃をした跳弾で女学生を殺してしまい、自分は流れ弾で後遺症として残る怪我を足に負った体験が彼の人生の歯車を狂わせていた。取り返しのつきようのない傷を負う体験が人生にはあることを語り、痛切だ。そして、それが軍隊経験であることが痛烈だ。さらには、明らかにこの二十年の韓国社会の歩みが投影されているヨンホの人生なればこそ、この年に彼の人生の失敗の発端を置いているということは、作り手は光州事件の武力制圧をヨンホの人生を狂わせた負の体験に等しい韓国現代史の汚点として訴え掛けていることにもなる。韓国知識人の良識を示しつつ、人生の哀しみに迫った骨の太い作品だ。ヨンホがかつて恋したスニム(ムン・ソリ) は死に、ヨンホも死んでしまったけれど、韓国社会にとってのスニムはどうなんだろう。




参照テクスト:桜木紫乃 著『ホテルローヤル』読書感想文


推薦テクスト:夫馬信一ネット映画館「DAY FOR NIGHT」より
http://dfn2011tyo.soragoto.net/dayfornight/Review/2000/korea/2000_11_13_5.html
推薦テクスト: 「マダム・DEEPのシネマサロン」より
http://madamdeep.fc2web.com/pepermint.htm
by ヤマ

'01.10. 6. 県立美術館ホール



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