『トロイ』(Troy)
監督 ウォルフガング・ペーターゼン


 最後にオデッセウス(ショーン・ビーン)の言葉として、ヘクトル(エリック・バナ)とアキレス(ブラッド・ピット)の時代に生きたことの誇りが語られるように、勇敢で誇り高き王子と戦士の英雄譚としたものだろう。だが、戦う勇気と誇りの鼓舞という点では至って歯切れが悪く、むしろ名誉や誇りのために戦わざるを得ないことの虚しさや権力者に利用される立場の見合わなさのほうが印象に残る仕上がりになっていた。王の命によって徒に生命を落としていく兵士と残される妻たちへの視線を促す台詞が何度も登場した。そういう点では、ハリウッド映画でさえも、戦う男の英雄譚を嘗てのような歴史ロマンとしての大スペクタクル作品には最早綴れなくなっているとも見える。
 昔ながらのスペクタクル・ロマンなら、若く美しいヘレン(ダイアン・クルーガー)は醜く粗暴なスパルタ王メネラオス(ブレンダン・グリーソ)から是非もなく救出されるべき哀れな王妃であって、彼女を救い出したトロイの王子パリス(オーランド・ブルーム)は、もう少しヒロイックに描かれたろうと思う。ところが、この作品では恋の熱情に駆られて一途な想いに走った未熟で思慮の浅い青年として描かれていた。二人の対決場面でメネラオスに与えられていたヘレンの恋情を嘆く台詞には、戦い抜く毅さに欠けるパリスの情けなさが強調されていた。確かに、和平の手打ちの宴の夜な夜なにというのでは、スパルタ王としての立つ瀬がまるでなく、事を荒立てずにはいられまい。そこのところを覇権の野心に燃える兄アガメムノン(ブライアン・コックス)に利用され、トロイ攻略の口実にされる。
 災難はまた、緒戦の思い掛けない圧勝で調子に乗ったトロイ王プリアモス(ピーター・オトゥール)が息子ヘクトル王子の諫言を容れずに攻撃に出たことから招かれる。プリアモスは、アガメムノンとは比べるべくもないひとかどの人物として描かれてはいたが、権力者ゆえの愚かさは、やはり免れない人物であった。彼が息子の諫言に従ってさえいれば、ヘクトルがアキレスと誤ってパトロクロス(ギャレット・ヘドランド)を殺すこともなく、それによってアキレスの戦線復帰を促すこともなかったとの展開だった。権力欲にまみれたアガメムノンのために戦うことをよしとせず、トロイの巫女ブリセウス(ローズ・バーン)との愛の生活を選ぼうとしていたアキレスを戦場に引き戻し、プリアモスの王位継承者たるヘクトルを死に至らしめたのは、他ならぬプリアモスの増長だった。
 かくして男たちの愚かさと戦闘を前に逃げ出すわけにはいかない蛮勇さによって、女たちは悲劇をこうむる。ヘクトルの妻アンドロマケ(サフロン・バロウズ)の置かれた役どころは、まさにそこのところにあった。こういうドラマが、昔ながらの英雄譚として綴られようはずがない。その一方で、画面自体は、昔のスペクタクル・ロマンさながらの壮大で豪華な映像で綴られる。このあたりの不調和が、何処か腰の据えどころのない気持ちの落ち着かなさを誘発していたように思う。ある意味で、そこのところこそが、今を映し出す“映画の持つ同時代性”としての面目なのかもしれないなどと思わせてくれるのが面白かった。


推薦テクスト:夫馬信一ネット映画館「DAY FOR NIGHT」より
http://dfn2011tyo.soragoto.net/dayfornight/Review/2004/troy.html
by ヤマ

'04. 7.18. 松竹ピカデリー3



ご意見ご感想お待ちしています。 ― ヤマ ―

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