『ミスティック・リバー』をめぐって
La Dolce vita」:(グロリアさん)
(ローズさん)
Across 211th Street」:(Tiさん)
(TAOさん)
ヤマ(管理人)



 
書き込みNo.4143から(2004/02/12)

(グロリアさん)
 ヤマさん「ミスティック・リバー」日誌拝読しました。

(ローズさん)
 ヤマさん、グロリアさん、こんにちは〜。  私もヤマさんのミスリバ評を拝読しました。

ヤマ(管理人)
 ようこそ、グロリアさん、ローズさん。ありがとうございます。

(ローズさん)
 あれほどやるせなく悲惨な物語なのに…超一流の役者たちの情感たっぷりな演技に魂が震え…

ヤマ(管理人)
 ほんとにそうでしたねぇ。
 おっしゃるように、あんな救いのない物語に格調が宿っているのは、実に大したことですよ。

(ローズさん)
 格調高い正攻法の演出の映画に“心地よさ”すら感じました。

ヤマ(管理人)
 さすがに僕は、心地よさにまでは及びませんでしたが、思い返し、振り返ってみるだに感心しきりで、いやぁ参りましたね。

(ローズさん)
 情報ゼロで観た1回目は、あまりの衝撃で涙も出ませんでした。同時に優れた俳優、演出、スタッフによる映画を観て、心の底から湧きあがるエモーションが心地よかったのです。夜、布団に入っても鼓動が止まらないのに驚きました。娘と観た2回目のエンディングでは静かに涙が流れました。

ヤマ(管理人)
 これは、相当に鮮烈だったんですね〜。
 僕は、先ほど言ったように、この映画を反芻してみるほどに感心しきりで、ホント参っちゃったんですが、思えば、ローズさんのような「エモーション」ってとこでは、自分は楽しみ損ねているような気がしますね。
 『蜂の旅人』の日誌にも書いたことがありますが、僕は「つらさ」というものを自分の感情体験としてあまり経験したことがない弱みがあって、そういう「湧きあがるエモーション」が訪れないんでしょうね(たは)。


・・・アナベスとセレステ・・・

(グロリアさん)
 自分のレビューでも書いたんですが、ローラ・リニー怖かったですねぇ・・・

ヤマ(管理人)
 グロリアさんも、アナベスに抵抗感を覚えたクチだったんですね。しかし、「一人勝ち」とはまた、女性が女性に刃を向けたときは容赦がないっちゅうか、ほんま、コワイもんですな〜(笑)。

(グロリアさん)
 わたしはさらに意地悪な視点で、ケイティが殺されたことで彼女にとってよけいな要素のない理想の帝国を築ける環境が整ったんだな〜と思い当たって、

ヤマ(管理人)
 確かにね〜、そうとも言えますよね(たは)。さすがに僕は、そこまでは思い当たってませんでしたが、

(グロリアさん)
 最後の彼女の自信に満ちた表情がますます怖かったです。

ヤマ(管理人)
 これをちょっと見落としてたからでしょうね、僕。
 そーか、そんな顔してたのか、いやぁ、参るなぁ。もし、気づいていたら、さぞかし怖かったでしょうな(笑)。

(ローズさん)
 アナベスのあの表情は、ほんと怖かったですよね〜。
 セレステへの見下したような表情も冷たかったです。

ヤマ(管理人)
 うむむ〜、こんな顔もしていたのか〜。僕は日誌で、「観客によっては、ジミー以上にアナベスに抵抗感を示すかもしれない」などと綴りつつ、「アナベスなりの切実さ」を見て取ってますが、かなり甘かったということでしょうかね(苦笑)。

(ローズさん)
 マクベス夫人をもじってアナベスという名前らしいけど…、

ヤマ(管理人)
 受け手が感じた印象としてではなく、作り手が意図してもじっていたのなら、明らかに“夫に悪を唆す仇役”だったってことになりますね。う〜ん、そこまでくっきりと色づけてたかなぁ(狼狽)。

(ローズさん)
 アナベスは、強がりを言っていても弱さを見せる夫を叱咤する恐妻。
 自分の家庭を守り抜くと覚悟を決めたときの女性は強いですね。

ヤマ(管理人)
 そうなんです。殊更に悪妻と言うよりも、けっこう普通っぽい切実さではあるような気がしたんです。でも、それだけに困った感じが残って抵抗感がより強くなるんですよ。例外的、特例的に見えなくなっちゃうから(苦笑)。

(ローズさん)
 最後に狂ってしまうマクベス夫人よりもっと強い女性ですね。

ヤマ(管理人)
 とりあえずは、ね。アナベスがマクベス夫人なら、まだ自分の唆しで数々の血が流れるってとこまでは行ってませんから、狂うとするなら、これから先のことになりますね。

(ローズさん)
 そして私は、不安に慄くあまりに、恐れる相手にすがってしまうセレステの弱さを非難する気にもなれませんでした。

ヤマ(管理人)
 そうなんです。最初に血を流し傷を負って夫が帰ってきたときのセレステの対応は、ある意味、皮肉なくらいにアナベスと同じでしたよね。けっこう深手を負っているように見えたのに、やっぱり取り敢えず真っ先に癒すべき心の治療はソレなのねって感じで(笑)。
 ところが、次第に不安と疑心暗鬼にかられるようになって、最も話すべきではなかった相手ジミーに胸の内を明かしてしまいますね。不安と疑心暗鬼が自分のなかでは納められない飽和状態にあったことがよく分かるんで、あれにも普通っぽい切実さがありましたよ。ここんとこがツライとこなんですよね〜。あぁ、ミスティック・リバーって感じで(笑)。

(ローズさん)
 強い者にすがりついて彷徨うセレステは自分の国のように思えてきて…、身につまされました。

ヤマ(管理人)
 なるほどね。僕は日誌を綴っていたとき、そういうふうには連想が連なりませんでしたが、あの文脈からしたら、確かにそうも受け取れますね。
 僕は、映画のラストの段階では、セレステは今回の事の顛末の真相をまだ知らずにいるというふうに見ていましたから、知った後のダメージは、ジミー以上じゃないか?と、かなり同情してました。彼女には、ジミーのように、悪の囁きといえども励まし勇気づけてくれるパートナーがいないわけですし、なんとも耐えかねるような気がして気の毒だったんですが、アナベス・セレステ従姉妹をマクベス風に魔女として眺めると、ダメージを受けるよりも、生き延びていくことに長けているはずってことになりますね。厳しくはそれもアリでしょうけど、僕は、アナベスやセレステを魔女視するよりは、彼女たちもまた、ミスティック・リバーに翻弄される哀れな存在だというふうに見るほうが、自分としてはしっくりくる感じですね。

(ローズさん)
 私もそのように感じます。映画パンフの中で、ペンは「クリントには、この作品はまるで野獣のようだ。その背中にまたがってぜひ一緒に乗りこなしてみたいと伝えたんだ」とありましたし、ハーデンは「私も4歳の娘の母親でそれだけに人生において無邪気さが失われる瞬間について問いかけるこの作品に強い魅力を感じたのです」とあるように、すべての俳優が役柄に命を吹き込んでいてすばらしかったですね。

ヤマ(管理人)
 ええ、本当にそうだと思います。だからこそ、観終えたとき重苦しい気分に僕が見舞われたんだろうと思ってます。

(ローズさん)
 怒り、哀しみ、強さに隠れた弱さまで表現するペン、心の闇を深く柔らかに表現するロビンスのふたりは、もはや演技を超えていました。

ヤマ(管理人)
 まさしくそのとおりでしたね〜。さすがでしたよ。


・・・指鉄砲の意味するもの・・・

ヤマ(管理人)
 ところで、ローズさんは、ショーンの指鉄砲をどんなふうにご覧になりましたか?

(ローズさん)
 「このままではすませないぞ」であってほしいのですが…。

ヤマ(管理人)
 僕は、自分が日誌にも綴った文脈を以て解するならば、おのずとそういう解釈にならざるを得ないと思ってますが、マクベス的な文脈でドラマを解すると必ずしもそうはならない、むしろ逆に解するべきではないかとも思えます。
 ある種の無常感を観客に促すうえで、最後のトドメとして、非情なるコトワリなき人の世を強く印象づけたと解するなら、指で撃って処刑終了という“見逃し”と受け取るべきでしょうね。そのときのジミーの、両手を広げて肩をすくめた姿にも、どっちに解しても了解できる心情がそれぞれ窺えますが、僕は、追うぞとショーンに宣告されて、「そいつは仕方あるまい、逃げ隠れはしねぇ。だが、証拠は固められるかい?」って言ってるように受け取りました。

(ローズさん)
 その見方をすると指鉄砲は「いずれまた因果が訪れる」という暗示かもしれない・・・。

ヤマ(管理人)
 なるほど。今度はお前の番だぞって、ね。

(ローズさん)
 最後のパレードの場面は脚本にはなく、監督が原作から織り込んだシークエンスだそうです。

ヤマ(管理人)
 ほほぅ。そう聞けば、なおさら気になるショーンの指鉄砲とジミーの肩すくめですね。

(ローズさん)
 ヤマさん評に「不可思議な川との原題には、時と共に流れ行く人の生の不条理を暗示する意図が込められている」とあるように、私は40を過ぎて、イーストウッド監督が諭す人生の深い意味合いが分かりつつあるような気がしています。

ヤマ(管理人)
 分かってきたかな〜って思うと遠ざかり、さっぱり分かんないって思っていても、折々に納得の感慨を得たりして、なかなかに侮れないもんですよね〜。

(ローズさん)
 ヤマさんが「神の選択とでも言うしかない人為を超えた不運」と書かれているように、因果応報は哀しく繰り返される。パレードに集う人々の元に、自信に満ちたアナベスの元にでさえも、いつか深い悲しみを味わうときがやってくるかもしれない。

ヤマ(管理人)
 こういう無常感は、あの作品には濃厚に込められていましたよね。次に車に乗せられるのは、誰なんでしょうね。
 でも、そう言えば、デイブには神を呪っているような風情はありませんでしたよね。人生の無常感はあっても、神の無慈悲を言っているのではない作品だったような気がしますが、このへん、どうだったっけなぁ〜。

(Tiさん)
 ヤマさん、こんにちは。

ヤマ(管理人)
 ようこそ、Tiさん。

(Tiさん)
 アナベスが例外的、特例的に見えなくなっちゃうから、それだけに困った感じが残って抵抗感がより強くなるってことですが、これなんですよねー。僕は、あの無常感でもってアメリカの現状の追認を促してるんじゃないかと感じて、すごく辛かったです。

ヤマ(管理人)
 イーストウッドは、あの指鉄砲の意味するところについてよく質問されているらしいですね。
 んで、決まって質問者にどう思った?って質問返して、どんなふうに見えたのかということに興味津々ってことのようです(笑)。パレードのシーンは、脚本には、当初なかったシーンらしいですから、あの指鉄砲のシーンもなかったんでしょうね。パレードの雑踏の中だからこそ、少し離れたまま、言葉も交わさずにサインを送り応える姿が不自然ではないわけですが、一言の台詞も与えていないことで増した意味深長さには脱帽ですよ。


・・・女性観の趣味の悪さ・・・

(TAOさん)
 ヤマさん、ごぶさたですー。

ヤマ(管理人)
 ようこそ、TAOさん、早速にありがとうございます。

(TAOさん)
 しょっちゅうROMはしてるのですが、なかなか書き込めないでいるうちに、私のアカデミー予想の思わせぶりな文章がヤマさんを悩ませちゃってるようで、もうしわけないです(笑)。

ヤマ(管理人)
 ええ、そりゃあもう(笑)。病める魂が「完全に露呈してしまってるとこが面白いし、この作品のディープさでもある」なんて言われちゃうと、もう気になって気になって(笑)。なんか美味しそうな話が転がってそうで、おねだりメールと相成りました(笑)。

(TAOさん)
 さて、メールでご質問のあったクリント・イーストウッドの「病める魂」についてですが、イーストウッドが病んでいるなあというのは、私の長年の持論なのです。

ヤマ(管理人)
 そう言えば、前に『許されざる者』の話かなんかが出たときに、そのことだけは聞いたような気も(苦笑)。

(TAOさん)
 まず監督デビューの『恐怖のメロディ』にはじまる、根深い女性恐怖。そのじつ、強い女性に自由を奪われたい願望も強くて、『白い肌の異常な夜』(監督はドン・シーゲルですが)では寝ている間に修道女たちに両脚を切断される兵士の役、『ルーキー』ではソニア・ブラガにレイプされる刑事の役をじつに嬉々として演じてます。対女性にかぎらず、「自由が効かない状況」そのものに、この人は異常な愛着を持っていると、私は見てます(笑)。

ヤマ(管理人)
 高倉健的な我慢辛抱忍従ですかねぇ(笑)。僕は『恐怖のメロディ』も『白い肌の異常な夜』も『ルーキー』も観てないですが(とほ)。

(TAOさん)
 高倉健と来ましたか(笑)。

ヤマ(管理人)
 もっとも健さんの場合、禁欲的ではあっても、根深い女性恐怖ってとこまでは行ってませんけどね。

(TAOさん)
 加えて『タイトロープ』や『ダーティハリー5』などに見られる退廃したLAの夜の雰囲気や性的虐待への強い志向性も、私は彼の「趣味」ではないかと。

ヤマ(管理人)
 あわわ、趣味ですか〜(苦笑)。

(TAOさん)
 『ミスティック・リバー』は表向きこそ社会派に見えるけれども、じつは彼の本来の趣味を全開した作品だと私は思っているんです。

ヤマ(管理人)
 なるほどねー。そういう文脈で観ちゃうと、いささかというか、かなり趣味悪の作品ってことになっちゃいますよね、『ミスティック・リバー』(笑)。なまじ社会派偽装があったりする分、タチが悪いし、このうえなく後味悪いし、で(苦笑)。

(TAOさん)
 いえいえ、偽装ではないと思いますよ(笑)。

ヤマ(管理人)
 確かに。表向きっていうことと偽りっていうことは別物ですよね。自分の見て取った文脈とは異なるせいからか、微妙に取り違えちゃいましたね(苦笑)。

(TAOさん)
 イーストウッドが、あの原作をみつけ、ぜひとも映像化したいと思った気持ちに野心はなく、題材が純粋に彼の「趣味」にぴったり合ったのだと思います。
 そして、彼の希有なところは、根は悪趣味なのに、表現上は非常に洗練されているところです(笑)。過去の作品にしても、音楽、映像、しゃれた台詞、どれをとっても趣味がいいですよねえ。本作の死体が発見された現場なども、ダークな美しさがあり、悪趣味な映像は少しもなかったと思います。

ヤマ(管理人)
 ですよね〜。

(TAOさん)
 作品としてのバランスが悪いと指摘したのは、まずはローラ・リニーの存在感が突出してしまっているところです。

ヤマ(管理人)
 なるほど。ここは確かにバランス欠いてますよね。
 僕にしても、なぜあんなふうにしたんだろうって引っ掛かりから、アナベスはアメリカ国民ってことだろうってな妄想に及んだんですからね。ただし、そこに僕は個人的「趣味」ではなく、表現者としての「意図」を感じ取ったから、あんなふうな日誌になったのでした。

(TAOさん)
 ははあ、そうだったんですか。私は逆にヤマさんの日誌を読んで驚きました。そんなふうにも受け取れるのか、って。ただ、アメリカ国民を女性に喩えるのはちょっと苦しい気がしてます。アメリカは父性の国であって、母性の欠けた国だと常々思っていますから(笑)。

ヤマ(管理人)
 父性母性で言えば、確かにそういう国ですね。ただ僕は、その点では、権力を行使する者とそれを支持する者って観点で捉えただけで、その図においてアナベスが女性であることにあまりウェイトを置いてませんでした。アナベス・セレステの女性同士の対照に注視した観点からは、アナベスの性にウェイトを置かない視線などというものは想像外でしょうから、さぞかし驚かれたことでしょうね(笑)。
 ま、あまり一般的な観方ではないのだろうとは思ってます(苦笑)。

(TAOさん)
 私は、ローラ・リニーの存在感が突出していた部分に、強い女性にがんじがらめにされたいイーストウッドの趣味が色濃く出てしまったと受け取ったんですが、そのことがバランスの悪さのまずひとつでした。彼女がマルシア・ゲイ・ハーデンのまえで勝ち誇る演出など、ローラ・リニーが怖いと言うより、女というものをそういうふうに見たい監督の悪意を感じます(笑)。

ヤマ(管理人)
 このへんには、敢えて従姉妹という縁者の関係にしているところが、悪意と言えば悪意的にも見えなくはないものがありますね。(原作でも従姉妹同士だったのかな?)
 でも、ここに「女というものをそういうふうに見たい監督の悪意」を感じ取るというのは、女性ならではの敏感さだと少々驚きましたよ(笑)。確かに、アナベスへの抵抗感や反発は、女性のほうがより顕著に反応しておいでのように感じていたところです、僕(笑)。

(TAOさん)
 ふふ、女性なら、アナベス登場後すぐに、彼女が義理の娘や先妻のことをよく思っていないことにピンと来ますよ。またうまいんだ、ローラ・リニーが。でも、いっしょに見た夫も私に劣らず怖がってましたから、女難経験の差ではないでしょうか。ヤマさんはよほど恵まれていたのでしょう(笑)。

ヤマ(管理人)
 人生経験として恵まれているのかどうかは、少々疑問ですが、そうなのかもしれませんね(苦笑)。常々僕は、女性にはまるで敵わないって思っていますが、コワイって実感はないんですよね。

(TAOさん)
 「僕は嫌いな人に会ったことがない」と言ってた淀川さんみたいですねー(笑)。

ヤマ(管理人)
 ふ〜む、喜んでいいのやら?(笑)
 僕の場合、単におめでたいだけか、経験が浅い証拠って気もするんですが(笑)。

(TAOさん)
 いえいえ、人徳でしょう。やっぱり坂本龍馬の国の人だわ。たぶん一生そのままいけそうですよ。

ヤマ(管理人)
 コワサ覗いてみたくって映画観てるんでしょうかね(苦笑)。

(TAOさん)
 まぁ、イーストウッドもそういう女性観みたいなことより、きちんと3人の男性を描くべきではなかったかなって。

ヤマ(管理人)
 あ、これは僕はけっこう描かれていたんじゃないかと思ってましたよ。

(TAOさん)
 ケビン・ベーコンと妻が元の鞘に戻るエピソードが付け足しのように見えてしまうことも、残念なところです。

ヤマ(管理人)
 これは僕にもそのように見えた点もありましたね。なんで、あんなにくどく出してきたんだろう、なんで、最後に鞘に納めたんだろうって。でも、アナベスのことほどには引っ掛かりませんでした。だから、どうして?について深くは追いませんでしたが(笑)。


・・・映画としての収まりの悪さ・・・

(TAOさん)
 それとなにより、収まりの悪さが気になりました。
 この作品には救済がない。哀しみともちがう。

ヤマ(管理人)
 僕もショーンの得た救いを取って付けたように感じたクチでしたから、このあたりは、同様でしたね。重苦しい気分に苛まれました。それに囚われることから、からくも抜け出させてくれたのが、日誌にも綴った時宜に適った異議申し立ての部分でしたよ。

(TAOさん)
 たとえば『ギフト』では、過去の虐待がもとで苦しむ男が登場して、やはり死んでしまいますが、自分は孤独ではなかったという友情の証を遺していきます。『ミスティック・リバー』にも救済があるとすれば、ティム・ロビンスが幼なじみの怒りを鎮めるために自ら死を選んだことくらいです。

ヤマ(管理人)
 もはや自身で選んだとも言えない状況でしたけどね(嘆息)。あそこでジミーが異様な迫力で追いつめる言葉の他に、凶器の所在と動機について質す言葉をどこかで発していれば、との思いが去来せずにはいられませんでした。

(TAOさん)
 追いつめられてとはいえ、いちおう自ら選んだ最期の瞬間に、誰にも話せなかった苦悩の一部を話せたこと、辛かった人生をようやくおしまいにできたことが、わずかに救済と言えなくもないとは思うのです。

ヤマ(管理人)
 この2つについては「あるとすれば」との前提において、僕も同感です。

(TAOさん)
 もっとも、監督自身、そこにポイントを置いてはいないように思えます。

ヤマ(管理人)
 同感ですね。僕も作り手は、デイブに救いを与えてはいなかったと思ってますもの。

(TAOさん)
 ですよねー。もうあと一歩で救いを表現できたのに(笑)。
 デイブは最初こそ命乞いもしたし、ジミーの剣幕に押されて嘘の自白までするけれど、ケイティの若さを羨んで殺したといったあの言葉は嘘からでた真実でもあって、あそこで彼は癒されてるんですよ。

ヤマ(管理人)
 あ、動機はジミーも訊いてたんですね、そう言えば(苦笑)。
 で、彼があそこで癒されてるってのは、一応、今まで一度もジミーにも誰にも言えなかった心情をぶつけられたからですか?
 でも、奪われた青春についての思いを吐露できたにしても、癒しにまでは至らないんじゃないでしょうかねぇ。

(TAOさん)
 あ、そうですね。私もそう思います。癒されたとしても、ほんのすこしだけです。でも、最期の瞬間に、ここが自分にふさわしい死に場所だと納得して死んでいった気もしないではないのです。もう少しここを掘り下げて欲しかったなあ。

ヤマ(管理人)
 僕は「しないではない」とさえ思い遣るにも至らないのが正直なところですが、確かに、苦しくツライ人生からリタイアできたという側面はあるかもしれませんね。折々に見舞われる自殺衝動を持ちつづけているみたいな描写があれば、あくまで結果的にというものであったにしても、そういうふうな側面が印象に残ったかもしれません。
 それでも、やっぱりやりきれない感じは拭えないとは思いますけど。

(TAOさん)
 言い忘れてましたが、虐待経験者の常として、彼はきっとこれまでも男娼を買っていたか、あるいは、年端もゆかない無力な存在に性的虐待を加えたい欲望と闘っていたはずです。

ヤマ(管理人)
 虐待の連鎖というのは、邦画の『愛を乞うひと』なんかでも描かれてましたよね。経験者の常とまで言い切って宿命づけてしまうことには抵抗が生じるものの、逆から見て、虐待を行う者の常として被虐待の経験者であるというのは、統計的にもほぼ間違いないらしいですね。
 TAOさんのおっしゃりたいことも、そこにあって、虐待を受けたから虐待で返すという形にはなってなかったとしても、そこには並々ならぬ葛藤とともに対処しなければならないものを抱え込まされている現実があるはずだということですよね。

(TAOさん)
 ええ、そのとおりです。どうも私はアバウトな言い方をしてしまうので、誤解を受けかねないところをいつもフォローしていただき助かります。

ヤマ(管理人)
 いえいえ、お互い様ですよ。で、デイブの場合、それが具体的にどういう形のものであったのかは、むろん描かれてないわけですが、きっと深く暗いものがあったろうと僕も思います。

(TAOさん)
 だからこそ、他人のあさましい行為を見て、歯止めが効かずに殺人に至ってしまったわけで。

ヤマ(管理人)
 そうですよね。ものすごく衝動的・発作的なものであったろうと思いますね。たぶん自失状態に近くて、記憶的にも何カ所もとんでたりするんじゃないでしょうか。

(TAOさん)
 彼がいちばん苦しんだのは、実は虐待されたことで抱えた内面の闇ではないかと思うんですよ。口ではもういちどやり直したい、と言っていたけれど、ほんとはどうにもならないことを知っていたのではないかと私は思っているんです。

ヤマ(管理人)
 なるほどね。苦しみ続けるのは常に現在の問題として抱え続けているからで、極端に言えば、過去のことなど、その現在の問題の原因となっているからこそ忌まわしいのであって、過去の受傷体験として切り離すことができさえすれば、昔の災難で済ませられなくもないわけですからね。

(TAOさん)
 まさにそうなんだろうと思います。デイブ以外の二人にとっても、あの事件で受けたショックを心の中で消化できていないことが、尾を引いていそうですよね。日常では忘れているんでしょうけれど。だから、ケイティの事件は、奇しくも3人の無意識に潜むミステリアス・リバーの川底をつつくきっかけになったんでしょう。ミステリアス・リバーとは、私には暗く深い無意識の流れを象徴するものに思えます。個人のではなく、無垢ではありえない人間すべてに共通する無意識です。

ヤマ(管理人)
 ユング的なってことですかね。そぉか〜、川を人生と観るのではなく、無意識の流れと観るのか。

(TAOさん)
 ええ、みんな屍のひとつやふたつは無意識の川に放り込んで見ないようにしてるのではないか、と(笑)。

ヤマ(管理人)
 なるほど、これは面白い視点だし、TAO趣味全開ですよね(笑)。

(TAOさん)
 だから、やりきれなさは残っても、また結果的にとはいえ、死んでようやく彼は地獄から解放されたのではないかと。

ヤマ(管理人)
 せめてそういう側面を汲めないことには何とも浮かばれませんよねぇ。

(TAOさん)
 私の大好きなミステリー作家の本で、美しい妻と娘をもち幸福な生活を送っていた敏腕刑事が謎の自殺を遂げて、親友がその謎を追うというのがあるんです。死んだ刑事の父親は名士だったのですが、じつの娘を性的虐待の対象にするような人で、息子はそんな父親を軽蔑していたわけです。ところが娘が成長するにつれ、彼は、父親の悪しき血が自分に流れていることを自覚する。それが自殺のほんとうの理由だったんです。こんな地獄を抱えたら、せめて死なせてあげようよ、と思うでしょう?

ヤマ(管理人)
 作り手がそういう面にウェイトを置いてれば、自殺衝動に駆られることがよくあったというデイブの姿を映し出していたでしょうね。

(TAOさん)
 こんな地獄は普通にはわかりっこないので、デイブの抱えていた地獄についても、もう少し丁寧な描写があればなあと思うのです。

ヤマ(管理人)
 そういうところで撮って欲しかったのに、そうなると意識の深層部分への踏み込みを窺わせる描写が少々乏しすぎた、と。なるほど、なるほど。好材を得ながら、力量もあるくせに、自分の趣味に偏った流し方しないで、私の観たいものをちゃんと見せてよって不満ですか(笑)。

(TAOさん)
 わはは。そんなとこかもしれません。

ヤマ(管理人)
 わかるな〜、そういうの。隔靴掻痒っていうんですかね、もどかしいっちゅうか(笑)。自分のツボの際まで寄ってきながら、どんぴしゃとならないとき、僕なんかもよく味わいますよ。

(TAOさん)
 結局、ただただ罪の意識と妻にがんじがらめにされたショーン・ペンが印象に残るのでは、ティム・ロビンスが気の毒。ああ不自由好きのイーストウッドの趣味が出ちゃったなあと思うわけです。

ヤマ(管理人)
 僕は、ジミーにアメリカの姿を重ねましたから、本人の自覚としては、がんじがらめにはされてないんじゃないかと思ってました。思い直しさえ掴むことができれば(そのきっかけが妻アナベスからのファナティックなまでの鼓舞であったにしても)、自分の得た思い直しに見事に憑依し、割り切ることのできる「強さ」というのがジミーのキャラとしての持ち味だったように思ってます、アメリカ的でしょ(笑)。
 でも、TAOさんのおっしゃってたことの真意については、よく判りましたよ。僕もかねてより、健さん的な自虐性みたいなものは感じてたところがありますから(笑)。

(TAOさん)
 はは、そうですか。

ヤマ(管理人)
 健さんは、まずいですかねぇ(笑)。でも、その自虐性は、被虐趣味っていうよりは、加虐の対象を自己に求めるみたいな感じでのアクティヴさのほうが強いですし、ね(笑)。

(TAOさん)
 マカロニウエスタンやダーティ・ハリーのイメージもあるし、市長もやるし、アクティブでマッチョな一面もあるんですが、まあそのバランスをとる意味もあって、本質はものかなり内向的で女々しいのだと私は思います(笑)。

ヤマ(管理人)
 えてしてそういうものかもしれませんね。過たず大胆な行動を続けられる人の多くが、その小心さに支えられているようなもんですよね(笑)。

(TAOさん)
 ソンドラ・ロックと別れたときも、非常に陰湿な嫌がらせや営業妨害をしたときいて、ああやっぱりと思いましたよ(笑)。

ヤマ(管理人)
 でも、やはり趣味・体質みたいな感じで「病める魂」とまでは、僕はいかないんですけどね(笑)。

(TAOさん)
 ええ、魂ってほどではないかもしれません。あくまで「趣味」ですかね(笑)。ただ、彼の撮った不気味なマカロニウエスタンで、死に神のような風貌のガンマンがある街にやって来て、かつてその町で殺された兄弟の復讐をする陰々滅々とした作品があるんです。タイトルは忘れたなあ。(註:編集採録時の連絡によれば『荒野のストレンジャー』だったそうです。)あれなんか見ると、趣味を超えて病んでるなあという気がします。

ヤマ(管理人)
 そういう作品を観る機会をまだ得ていた時分に、僕はまだタイトルや作り手を意識するような観方はしてませんでしたから、おそらくタイトルを伺ってもわかんない気がしますけど(たは)。
 それはともかく、先にTAOさんもおっしゃったようなアクティヴィティは、この作品では、僕はアメリカという国に向かっているように感じました。そこんとこに、ある意味でマッチョ的な愛国心をも感じ、ネオコンを憎むトラコン(こんな呼称があるかどうかは知りませんが、伝統的な保守派ってな意味合いです(笑))の面目が立っているように感じています(笑)。


・・・病める映画作家?・・・

(TAOさん)
 あ、そういえば、ショーン・ペンも病める映画作家だと思いますよ。

ヤマ(管理人)
 この見解には僕も付いていけますよ(笑)。

(TAOさん)
 『プレッジ』の苦い幕切れは、『ミスティック・リバー』とも通じますし…、ただどこかしら浄化作用や祈りを感じるんですね。その作品をつくることによってみずから癒されるような。

ヤマ(管理人)
 苦みを背負っているのが当事者ですからね。他者の犠牲のうえに立ち上がっているわけじゃありませんもの。

(TAOさん)
 その点、イーストウッドはいつまでも傷をなめていたい人なんではないかと。

ヤマ(管理人)
 うわ、手厳しいなぁ(笑)。

(TAOさん)
 病んだ趣味に走っているという意味ではクロネンバーグと同じかな(笑)。好きなものを描いていればしあわせ。

ヤマ(管理人)
 お好きなんですよね、そういうクロちゃん、クリンちゃん(笑)。

(TAOさん)
 いや、実を言うと、二人ともけっして好きではないのです。並々ならぬ興味があるだけで(笑)。

ヤマ(管理人)
 なるほど、なるほど。うん、それが健全だ(笑)。

(TAOさん)
 死と再生がなにより好きな私が敬愛するのは、社会の病をまるごと背負ってしまうリンチとエゴヤンですから。

ヤマ(管理人)
 一点の陰りも澱みもないってのは、実に不健全ですから、やっぱり健全なんですね〜、TAOさんは(笑)。

(TAOさん)
 イーストウッドの場合は、ただクロネンバーグほどあからさまでないのと、健全な名誉欲もある人なんで、アカデミー賞も狙えるけど。

ヤマ(管理人)
 あ、この分、割り引かれちゃうのかなぁ(笑)。

(TAOさん)
 どうでしょう、ヤマさん、疑問は瓦解しましたか?
 それどころかよけい疑問が増したかもしれないですね(笑)。

ヤマ(管理人)
 おかげさまで、かなり氷解したって感じです(感謝)。疑問が増したってことはなくて、やっぱり美味しそうな話が転がってましたよ(笑)。ありがとうございました。


・・・もうひとつの救済・・・

ヤマ(管理人)
 それはそうと、先ほど少し触れたショーン刑事と妻の電話の場面がくどくど映画に出てきた件ですが、これについてローズさんから、ネットで見つけたというちょいと面白い見解を教えてもらったんですよ。
 それは、この作品では、誰もが「本当は言いたいけど、決して言えない」事を持っていて、そんななかで皆が、ホントは「言わなくてもいい」ことを喋べり、「言えたほうがいい」ことを言わないことで悲劇を招いているっていうものです。
 確かにジミーは、ケイティのブレンダンとの交際に対する嫌悪感が“ただのレイ”に由来するものであることを言えないし、デイブは、妻セレステにかつて見舞われた忌まわしい事件について語れないから、ケイティが死んだ夜の自分の行状の実際を妻に話せませんでした。ショーン刑事もパワーズ刑事の予断捜査に対して、デイブが見舞われた悲劇のことを話しませんでしたね。ブレンダンと弟たちの間にも大きな秘密がありました。
 その一方で、セレステは、夫デイブから感じた恐怖と疑念をジミーに話し、アナベスは、夫ジミーに過ちから目を逸らすことをそそのかし、パワーズ刑事は、ショーン刑事の心情を封じ込めるような発言ばかり重ねていました。
 そういうふうに観ると、ショーン刑事の別れた妻が電話を掛けて来つつも、話すに話せないでいる様子を繰り返し映し出していたことには、かなり意味深長な意図が働いていて、観る側に引っ掛かりを与えていたことになります。
 つまり、他の全てが、話すべき事を話さずに、言葉にすべきでないことを口にすることで悲劇を招いたのと対照的に、ショーン刑事と家出妻との間にだけ、諦めずに接点を持ち続けるなか、交わすべき言葉を交わすに至ることでからくも救われるという対照が、非常に技巧的に凝らされていたとも言えるわけですね。
 この言葉にすること、しないことに着目した考察は、僕には非常に刺激的で、とても興味深く思うとともに、イーストウッドの仕掛けた「引っ掛かり」に感心してました。

(TAOさん)
 ああその解釈はとても深いですね。

ヤマ(管理人)
 ですよねー。

(TAOさん)
 そうなると、これこそが救済ですね。
 哀れなデイブの死やジミーの2つの犯罪を知った彼が、最期に交わすべき言葉を交わせたことが。

ヤマ(管理人)
 深く暗いミスティック・リバーの全容を知ったショーンの受けた暗澹たる思いというのは、映画の観客である我々と同じように当事者という形ではなくても、それが旧友たちであればこそ、我々が受けた以上のダメージでしたでしょうからね。


・・・何が描かれ、描かれなかったのか・・・

(TAOさん)
 私が3人の男をもっと描くべきだと言ったのは、まさにそこで、あの事件を境に、被害者であったデイブだけでなく、他の二人もあそこで少年時代が終わって、Fさんはそれを「イノセンスの喪失」と評していましたが、あの地点を境にバラバラになってしまってるんですよね。

ヤマ(管理人)
 そうです、そうです。でも、どんな思いでバラバラになったかは描かれてませんよね。一緒に遊べなくなった事実だけが提示されてました。

(TAOさん)
 そんな3人が再び出会うまでのそれぞれの軌跡をもう少し垣間見せて欲しかったんですよ。

ヤマ(管理人)
 人間ドラマとしては、ごもっともな要求ですよね。

(TAOさん)
 とくにショーンは、妻とうまくいかなかったくらいしか情報がなくて、どうして刑事になったのかなど、まるでわからないんですもん。

ヤマ(管理人)
 あの街から抜け出したかったとしか映画では語られてませんでしたね。
 こうしてみると、確かに個々人の内面は観る側に委ねて丁寧に説明はしてませんでしたね。でも、僕がそうとも受け取っていなかったのは、きっと随所に端緒のようなものが織り込まれていて人物像としての不鮮明さを感じなかったからなんでしょう。具体的事実として目にする場面がなくても人物像に不満がなかった僕にとっては、むしろ、ディーテイルを詳述せずに人物像を描出していたことが感心に繋がっちゃいます。

(TAOさん)
 ほんとに。そこは不満派の私も感心しました。キャスティングと演出の巧みさによるものですよねえ。

ヤマ(管理人)
 そうですね〜。特に演技陣の力に負うところ、大ですよね。

(TAOさん)
 それに比べて『パーフェクト・ワールド』ときたら…、ヤマさん、ご覧になってないんでしたよね。

ヤマ(管理人)
 ええ、観逃してます。

(TAOさん)
 『必死の逃亡者』のハンフリー・ボガートを思わせる、善悪で割り切れない、かなり複雑なキャラクターをケビン・ベーコンならぬコスナーにやらせてるんですよ。で、当然ながら失敗してるように見えるんですが、もともとどういう意図でそうしたのか、不思議でしょうがないんです。
 『ミスティック・リバー』のキャスティングの完璧さを思うと、ますます謎めいてきました(笑)。

ヤマ(管理人)
 そういう複雑さというものを背負ったキャラってのは、イーストウッドの趣味にはぴったんこなわけですよね。なのに、そのキャスティング!?ってことなんですね(笑)。
 でも、おかげさまで、こうして皆さんとお話してきて、この作品のキャスティングと演出の巧みさを再認識させてもらいました。それと共に、個人にまつわる丁寧な描写を排していたことにも気づかせてもらって、改めて作り手が個人の心理心情を捉える視点よりも、人の生の不可思議なる川としてのミスティック・リバーぶりのほうを描出しようとしていたことが明瞭になってきたように感じています。
by ヤマ(編集採録)



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