『home』
監督 小林 貴裕


 カメラで記録をするという対象化の手段ではなく、カメラが状況に関与するという積極的で主体的な役割を果たす形でのカメラの力が家族関係に風穴を開け、現実を変革させた“奇跡の物語”という点では、過去に観た茂野良弥監督の『ファザーレス 父なき時代』(本作同様、日本映画学校の卒業製作作品)やサミラ・マフマルバフ監督の『りんご』などのほうが遥かにパワフルな力と存在感を見せつけていたように思う。また、家族を捉えた作品ということではなく、主体的なカメラの力や画面の迫力ということでは、先人たる小川紳介や原一男には遠く及ばないとも思う。しかし、この作品には、この映画の製作と公開によって兄が「ひきこもり」から脱し、母が欝病から抜け出していき、家族が再生の道を歩み始めたという厳然たる事実が備わっている。
 ドキュメンタリー映画としての力以上に、まさに“絵になる”ほどの現実の変革というものが観る側に有無を言わせないようなところがあって、その辺りが妙に据わりの悪さをもたらすのだが、「ひきこもり」においては、諦めずに働き掛けを続けることが風穴を開くことに繋がるのだなということは、明快に捉えていた。カメラの果した役割は、カメラそのものというよりは、弟に関わる力を与えたという形で作用していたように思う。しかし、映画で観る限りにおいては、兄に決意の第一歩を促したのは、欝病を患ってまでも家族のなかで唯一人、兄の側から離れていくことができないままに脅えていた母親が、弟に促されて兄にもう一度向き合おうとする勇気を示して関わってきたことだったように見受けられた。為す術もなく、断念もできずに病んでまで留まり続けた、この母親の力は何に由来するのだろう。僕が最も感銘を受けたのは、その部分だった。
 上映会当日は、夜二回の上映で300人を超える来場があったようだが、作品の力や話題性だけではないのだろう。シネマ・サンライズが県立精神保健福祉センターと共同で主催するなかで、小林兄弟のゲスト出演を構えていたことだけではなく、センターが名義や財援に留まらない実働を果したのだろうと思う。会場では、入場に際して「精神保健福祉ミニガイドシリーズC ひきこもりとは?」というセンターの作成したリーフレットも配付されていた。それによると、「ひきこもり」には精神疾患が原因のものとそうでないものがあって、後者を「社会的ひきこもり」といい、前者には薬物治療が有効で、後者に大事なのは「対話」であることが強調されていた。まさしく、この映画が観る側に与える印象と一致するわけで、しかも、リーフレットでは及びもつかないインパクトを映画は持っている。
 高知では非常に良い形で上映されたと思うのだが、最近は行政との連携事業としての上映会が割合よく見掛けられるようになったなかでも、このセンターの関与の仕方は、非常に意欲的で、また成果を挙げているように思う。数年前の『マイ・ネーム・イズ・ジョー』の上映会も盛会だったように記憶している。県では文化振興でも国際交流でも人権啓発でも映画上映の支援をする場合があるが、このセンターほどの実働による成果をもたらしている事例はないように感じている。


推薦テクスト:「eiga-fan Y's HOMEPAGE」より
http://www.k2.dion.ne.jp/~yamasita/cinemaindex
/2002hocinemaindex.html#anchor000860
by ヤマ

'03. 4.19. 県民文化ホール・グリーン



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