『ラスト・サムライ』をめぐって | |
「神戸美食研究所」:(タンミノワさん) 「La Dolce vita」:(グロリアさん) 「多足の思考回路」:(めだかさん) 「DAY FOR NIGHT」:(映画館主・Fさん) 「K UMON OS」:(シューテツさん) (TAOさん) 「銀の人魚の海へ」:(人魚さん) 「シネマ・サルベージ」:(サルベージさん) ヤマ(管理人) |
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----------年末年始のご挨拶とともに-------------------- (タンミノワさん) ヤマさんの「ラスト・サムライ」が今年最後の読んだレビューかな? ヤマ(管理人) ようこそ、タンミノワさん。 それは光栄なことですね。土壇場アップのタイミングの勝利かも(笑)。 (タンミノワさん) しかし、この作品は、私の想像の“トンチンカントム君オレサマ映画”では全くないようで、 ヤマ(管理人) そうですね。元々僕は、トム君わりあい好きなんで、今回は尚更よく見えましたね。 (タンミノワさん) しかも今の日本の背景に、見るには良いタイミングなようですね? ヤマ(管理人) っていうか、時宜に適ったために、どうしてもそういうふうに見えてしまったという感じですね。そういうとこを狙って作ったっていうわけでもないんでしょうけどね。 (タンミノワさん) 世の中がよくなってるのか悪くなってるのか私にはさっぱりわからないのですが、 ヤマ(管理人) 当否正誤の程は僕も責任持てませんが、個人的感覚としては、やはり悪くなってきているように思います。それも猛烈に(苦笑)。 (タンミノワさん) 来年もいい映画にバッタリと出会えればいいなと願っています。 では、来年もよろしくお願いいたします。よいお年を。 ヤマ(管理人) ありがとうございます。こちらこそ、本年もよろしくお願いしますね(ぺこ)。 (グロリアさん) 「ラストサムライ」わたしは元旦にダーリンと観に行く予定で〜す。 来年もどうぞよろしくおねがいします。よいお正月をお迎えくださいね。 ヤマ(管理人) ようこそ、グロリアさん、あけましておめでとうございます。 1日なら、サービス・デーでもあるんですよね。いろいろ思うとこ多そうな作品ですから、グロリアさんの感想を読むのがまた楽しみです。 (めだかさん) あけましておめでとうございます。 昨年中はお世話になりましてありがとうございました。今年もよろしくお願いいたします。 ヤマ(管理人) ようこそ、めだかさん、あけましておめでとうございます。こちらこそ、本年もよろしくお願いします。 (めだかさん) で、新年早速、『ラストサムライ』の日誌を拝読しました。 ヤマ(管理人) ありがとうございます。本年ファースト日誌はこれでしたか(笑)。 (めだかさん) これ、実はまだ見ていないのですけれども、ヤマ様の感想をお聞きしたかったところだったのですよね。私の周辺ではとてもいい評判が多いのですが、なんだか妙に頭の中で警鐘が鳴り響いていまして、自分から進んで見に行くのには二の足を踏んでいました。 ヤマ(管理人) そうなんですか。でも、ご覧になるといいと思いますよ。ちょうど弾みもついたようですし(笑)。 (めだかさん) 映画として面白くても、気分によって気持ちにキツイ作品ってありますよね。なんとなく、この映画はそれになりそうな気がしていたのですが・・・ ヤマ(管理人) 「映画として面白くても、気分によって気持ちにキツイ作品」ですか。ふと『アメリカン・ヒストリーX』や『ボーイズ・ドント・クライ』を想起したりしました。 (めだかさん) 今年のゴジラ映画(ゴジラはご覧になっていないでしょうけれど^^;)が、やはり、時期的なものでこれで素直に楽しめなかったのですが、ヤマ様の日誌では『ラストサムライ』もやっぱり来そうな感じだなあ。 ヤマ(管理人) 今年のゴジラ映画ですか、いや観てますよ。 そうですね。あれは、防衛庁全面協力のプロパガンダ映画ですよね〜(とほ)。ヒットラー・ユーゲントや紅衛兵、ポルポト政権下の少年兵たちもそうでしたが、教化というものは子供を狙って進められていくものですよ(とほほ)。 (めだかさん) 何が頭にくるって、邦画のゴジラでの政府よりも洋画のラストサムライの方が、日本の立場として正論に見えそうな所が情けなくて、ショックが大きそうです(苦笑)。 ヤマ(管理人) 僕にとっては間違いなくそうでしたね(苦笑)。 (めだかさん) それにしても、『ラストサムライ』と『ロード・オブ・ザ・リング』になんだか共通点がありそうだと感じたヤマ様の日誌でした。 ヤマ(管理人) 固執したがるものを捨てる勇気を支えるのは、巡り会いによる人との絆だと? なるほどね。自覚してませんでしたが、そういう繋がり方もできそうに思いますね。面白い視点を想起させてもらい、ありがとうございました。 (めだかさん) やはり、これは見に行くべきか!という気持ちになりました。 ヤマ(管理人) やはり、これは見に行っていただきたいところですな(笑)。 (グロリアさん) ヤマさん、おめでとうございます。 元旦に「ラストサムライ」観てきました。いや〜渡辺謙の魅力にクラクラしました〜(*^^*) ヤマ(管理人) むっちゃ儲けものの役どころでしたよね。でも、それに充分以上に応えてて大したモンでした。 (グロリアさん) いろいろ考えさせられる映画であり、エンターテイメントとしての魅力も十分で見ごたえありました。 ヤマ(管理人) そうですよねー。 まずもって観惚れるだけの娯楽性があるっての、立派ですよね。メインはそっちだよってとこが嬉しいじゃないですか。 (グロリアさん) また近いうちに感想をアップする予定です。 ヤマ(管理人) 楽しみにしております。三年連続、元旦クルーズだったんですってね(笑)。そりゃ、ほうっちゃおけませんよ。 (映画館主・Fさん) おめでとうございます、ヤマさん。 ヤマ(管理人) ようこそ、Fさん、あけましておめでとうございます。 (映画館主・Fさん) 早速「ラストサムライ」の日誌を拝見しましたが、いや〜スゴイ話だったんだと改めて思いました(笑)。 ヤマ(管理人) 映画に限らず、作品鑑賞って、作り手が描いているものを受け取ること以上に、受け手が感じ取ることのほうに左右されちゃうものですからね(苦笑)。どういう状態で、どういう状況のなかで出会うかってこと、大きいですよ。 (映画館主・Fさん) イヤな時代になってきましたね。 ヤマ(管理人) そうなんですよ。 だから、さすがに、ささやかながらも立ち位置だけは明らかにしておかなくっちゃいけないかなって気がして来始めて、言葉にすることで自分に向けてはいるつもりなんですよ(苦笑)。 むかしの日誌でも折々にやってましたが、最近かなり頻度が上がってきたような気がするとこが、そのまま状況の悪化を示しているようにも思います。 (映画館主・Fさん) こういう時代、煽る側もイヤだけどオオカミ少年もイヤだし、 ヤマ(管理人) 他者に向けては自分にいかほどの力があるものでもありませんから、そうそう自意識を働かせているものでもないんですが、自分自身が妙に萎縮したりとか、口を噤むようになっちゃ、そりゃ情けなかろうという方向に自意識を働かせずにはいられない程度に、状況は確実に悪くなってきているような気がしますね。 (映画館主・Fさん) 井戸水のように不変でやっていけないものだろうかと。 ヤマ(管理人) 足場の不変を維持するためには、状況の変化に応じて態勢は変えざるを得ないってとこが、井戸水と違って人間社会の厄介なとこです(笑)。 (映画館主・Fさん) あ、「ふへん」って言葉はいいですね。不変、普遍、不偏・・・どれもいい感じです(笑)。 ヤマ(管理人) そうですね〜。「ん」が退いて、「ふへ」っていうのも力が抜けてていいですね〜(笑)。 (映画館主・Fさん) こんなチャランポランな事言ってていいんでしょうか? ともあれ新年からシケた話をしてはヤボというもの。まずは、今年もよろしくということで(笑)。 ヤマ(管理人) こちらこそ、よろしく願いますよ〜(深々)。 (シューテツさん) あけましておめでとうございます。 昨年中は色々お世話になりました。本年も宜しくお願いします。 ヤマ(管理人) ようこそ、シューテツさん、あけましておめでとうございます。 こちらこそ、度々お邪魔してお世話になりました(感謝)。 (シューテツさん) さて『ラスト サムライ』の日誌なんですが、私の掲示板にて話の流れ上、ヤマさんの断わりもなく直リンクをはってしまいました。事後承諾の形で申し訳ないのですが、よろしくお願いします。 ヤマ(管理人) どういたしまして。 アップしたその日に早々と御紹介くださっていたなんて感激ものです。 どうもありがとうございました。 (シューテツさん) そう言っていただけてまずは一安心です。f^_^;; わたしんちにもわざわざの御来訪ありがとうございました。m(_ _)m -----日本は、讃えられたのではなく、問われていた?----- (シューテツさん) 「この作品は、まさしく『アメリカ政府の目論見に乗り、権力者が保身を図ることが日本の国益ではない。日本は、日本が嘗て重んじ備えていたサムライの誇りを思い出せ。』と訴えるような映画だったわけだ。」 これは私も作品を観ながら思ったことで、何とも皮肉なことですね。しかもその訴えの張本人がアメリカ自身ですから、 ヤマ(管理人) そうなんですよ。ただ所詮は外国からですから、シューテツさんがおっしゃるような「武士道の良いとこ取り」ってのがあって、僕が「『日本の』という名を冠せられることが気恥ずかしくなる」と日誌に綴ったような状況があるわけですよ(苦笑)。 (シューテツさん) 其処なんですよね、この映画は…。 日本人であれば(と言うならば)「感動」よりまず「気恥ずかしさ」でしょうが、って気が先にたってしまうんですよ。 ヤマ(管理人) でも、一般的に「省みる視線」って、近年とみに衰退してきてますからね〜(笑)。 (シューテツさん) 「無い!」って言い切っても良いのかも……。(笑) まぁ、映画のほうは、普通のアメリカスペクタクル映画と同じ構造なんだから、そのように観れば良いのだけれど、日本が舞台と言う事で日本人観客には、良い意味でも、悪い意味でもヘンな意識が加味されて冷静でいられなくなる要素が強い作品でしたね。 ヤマ(管理人) 同感です。複雑な気分でした(苦笑)。そして、そういう今の日本の状況以前に、もっと本質的に映画作品の側のこととして、シューテツさんがお書きになっているように「『名誉』や『勇』など武士道ではなくても世界共通の美意識」に繋がるところを「アメリカ流に〜解釈して共通部分だけピックアップ」しているというところがあるわけで、日本人にはそれを以て武士道精神を丸ごと賛美できない事情というものが確かにありますよね。 だからこそ、この賛美は、おっしゃるように「外国人だけの特権」だと僕も思いますし、それゆえ拙日誌にも、他の諸々は一切排除して、単に「時代の趨勢において滅びゆくサムライ精神を偲び、哀惜を込めていたことと、女子供や非武装者の殺傷にはいかなる大義も武人の魂として受け付けようがないことを示していただけだ」と綴ったところでした。 (シューテツさん) ほんとアメリカってヘンで面白い国ですね。 ヤマ(管理人) 確かにねー(笑)。でも、そこってアメリカの一番魅力的な部分の一つですよね。 (シューテツさん) そうなんです。アメリカ国内での「反ブッシュ」的思想が、アメリカ産として、こう堂々と世界市場に出回るのですからバランスとれていますよね。(爆) ヤマ(管理人) そうですよね。 あの明治天皇の「国益」にまつわる台詞とはじめのほうの武器市場としての日本を語るアメリカ人たちの台詞には、かなり意図的なものが感じられましたね。 (シューテツさん) それと、こんなの見せられても、なんか別の事で感動していそうな日本人ってのもヘンな国民って気がします。(笑) ヤマ(管理人) こっちのヘンさは、ちっとも魅力的じゃないですけどね(苦笑)。 僕が日誌で敢えてネイティヴ・アメリカンに言及したのも、この映画を素直に観れば、精神性を以て日本に固有の美だとする立場には決してないはずだということを明言しておきたかったというところがありますよ(笑)。 日本を讃えているんじゃないんですよね。スピリチュアルな心性を讃えているんだと思います。むしろ、日本は、特に今の日本は、叱咤されているような映画ですよ(苦笑)。なんで、あんたにそれ言われなきゃいけんの?って、ちょっとトホホな気分になりました。でも、正鵠だよなーって(苦笑)。 (シューテツさん) 全くその通りで、特にその部分だけは勘違いして欲しくない部分なんです。 私のへそ曲がりは『金融腐食列島・呪縛』の感想でも御承知だと思いますが(笑)、 ヤマ(管理人) 僕は、あの作品は気に入ってたんですが、組織務めが長いからでしょうかね(苦笑)。でも、シューテツさんのお書きになっているものにも惹かれて直リンクに拝借した覚えがありますが(笑)。 (シューテツさん) この『ラスト・サムライ』でも、他人がヘンな部分に感動したり褒めたりってのが気になって(腹たって)仕方ないのです。(笑) ヤマ(管理人) 僕の『金融腐食列島 呪縛』の日誌が、シューテツさんの気になるヘンさでなければいいのですが(笑)。 (シューテツさん) いえいえ、これはもう無視しちゃって下さい(笑)。 私が言いたかったのは「意識」出来るかどうかだけの問題で、行動となると、理想だけでは今の日本では本当に生きていけなくなってしまいますもんね。f^_^;; ヤマ(管理人) せめて意識だけはと思ってたりはします(笑)。 (シューテツさん) しかしどういう偶然か、この作品の監督の原田眞人が「ラスト〜」でも重要な役割で出ていましたね(笑)。 ヤマ(管理人) ええ、とても重要な役割でしたね。しかも、実によかった(笑)。 (シューテツさん) 私はこの監督とはどうも相性が悪いみたいで、 ヤマ(管理人) 僕は学生時分に観た当地出身の拓ぼん主演の『さらば映画の友よ インディアンサマー』からしてまずまず。十年ほど前に観た『ペインテッド・デザート』も、嫌ではありませんでした。そして、『バウンス ko GALS』や『金融腐食列島 呪縛』は、面白く観たんですが、高校同窓の坂東眞砂子原作の『狗神』は、今いちダメ、『突入せよ! あさま山荘事件』は、まるでダメって案配です(笑)。 (シューテツさん) 彼の腕というか技量は高く評価出来るのですが、どうも人間的に(とは言っても、あくまでも作品から感じられる私の想像だけの話ですが)好きになれそうも無い感じなんです(爆)。 ヤマ(管理人) どういう印象なんですか? 『ラスト・サムライ』の大村みたいな感じですか?(笑) (シューテツさん) しかし今度は監督の腕だけではなく、役者としても認めなければならないみたいで、私にとってはどうにも「憎いあんちくしょう」な人のようです(笑)。 ヤマ(管理人) これ、可笑しいですね。虫が好かないけど、認めざるをえないっての(笑)。今回の役者としての出来は、全く以てなかなかのものでしたよね。 (シューテツさん) それにしても『ラスト・サムライ』では、ああいうことをアメリカの側から言われてしまうっていうのが今のアメリカと日本の関係性の殆どを象徴しているような気がします。f^_^;; ヤマ(管理人) そうなんですよ。そこが最も気に入らないとこなんです。 って、まるで映画作品とは筋違いなとこで憤慨してますね、僕ら(苦笑)。 (シューテツさん) まあ、それは別にそれでいいでしょう。こういう場で、映画を観て何かを感じて書くという事は、その人個人のバックボーンの表明みたいなところがありますからね(笑)。 ヤマ(管理人) そうなんですよ。 コワクもありますが、そこが最も面白く、病み付きになる所以でもありますね(苦笑)。 (TAOさん) ヤマさん、みなさん、あけましておめでとうございます。 ヤマ(管理人) ようこそ、TAOさん、あけましておめでとうございます。 (TAOさん) ネットもお休みしてたので、ヤマさんの『ラストサムライ』を読まずに年を越しちゃいました。 ヤマ(管理人) サーバーダウンしない限り逃げませんから(笑)。 (TAOさん) 上にある「むしろ、日本は、特に今の日本は、叱咤されているような映画ですよ(苦笑)。なんで、あんたにそれ言われなきゃいけんの?って、ちょっとトホホな気分になりました。でも、正鵠だよなーって(苦笑)。」ってヤマさんのレスですが、ほんとにねえ。 今の日本の問題って、戦後以来先送りしてきたツケがもうどうしようもないところまで来てしまったのだという気がしています。 ヤマ(管理人) いや、この先送りさえも、逆コースとやらで外から填められたものだったように感じてるんですけどね、僕。 (TAOさん) だいたいアメリカは第二次世界大戦に参戦するにあたって、さっそくリサーチを開始し、ルース・ベネディクトにフィールドワークなしで「菊と刀」を書かせ、 ヤマ(管理人) そうらしいですよね。昔これ知ったとき、随分だよなーって、なんか今回『ラスト・サムライ』観て思ったようなこと感じましたモン(笑)。 (TAOさん) 開戦と同時に終戦後の占領政策まで考え、天皇象徴制だなんていうアクロバットまで考え出した国でしょう。 ヤマ(管理人) 前者は僕も聞いたことのある話ですが、風聞の域を越えた史実なのか否かの感触までは得られずに来ているんですけど、実際にそうだったんですか? 後者は、アメリカが単独で考え出したことでもなかったように思ってるんですけど、決断したのは間違いなくアメリカだったでしょうね。 (TAOさん) 農地改革にはじまって、戦後の日本はアメリカにお世話になりっぱなしなんですよ。その卓越した分析能力がなぜイラクには適応されてないのかを考えると、単に日本とアメリカの相性がたまたま素晴らしくよかっただけなのか、との疑念も浮かびますが、 ヤマ(管理人) 増長です、増長(笑)。一人勝ちしたと思って世界を舐めてるの、きっと。 (TAOさん) だとしたら、ますます日本もそろそろ自分で考えないと、ほんとにまずいですよね。 ヤマ(管理人) でも、エスタブリッシュメントが考え始めると決まって自己肥大化して、ろくな決断しないって気がしてね〜。 考えないといけないのは、日本とかアメリカとかじゃなくって、きっと我々民衆なんだろうって思いますよ。でも、精々ぼやくだけでちっとも馬力がないもんで、結局いいように流されていくんですよね(忸怩)。 (TAOさん) ええ、そうなんですー。 ただ、たぶん現時点で、アメリカの中流以上の人々は、現在の豊かさを維持するためにはどこかしらで戦争を起こして、新たな需要を創り出すしかないと考えてるように思いますが、そこまで意識的ではないのかな? ヤマ(管理人) 結果的に、こういう側面が強いところがあるのですから、それを意識している人々もいそうな気がしますね。「中流以上」ってとこがミソで。でも、「そこまで意識的」であってほしくはないものですねぇ。 我々にしても、流されっぱなしじゃいけないんですが、人間、どっかで何かの行き掛かりのようなものに出会わないとなかなか動き出せないモンです(とほほ)。 (TAOさん) いやー問題はそこなんですよね。 ヤマ(管理人) ときどき言い訳かなって思ったり、やっぱり本性だろうって思ったり(苦笑)。そういう意味では、20年前に『ガンジー』を観たのは大きかったですね。この映画では、あのガンジーでさえ行き掛かりのなかで歩んで行ったンだってことがとてもよく伝わってきて、感銘を受けましたよ。 (TAOさん) しまった、私はみてないんですよ、『ガンジー』。説教くさそう、と敬遠してしまって。ヤマさんにそんな感銘を与えた映画なら、見るんだったなあ。 ヤマ(管理人) 20代でしたからね、観た時期もよかったでしょうね(笑)。 (TAOさん) ところで、その「行きがかり」は、私もとても大事だと思っています。機が熟すのを待つ、というか、無理しないところがね。 ヤマ(管理人) これです、これ! 無理しないの(笑)。 (TAOさん) いささか卑近すぎる例で恐縮ですが、 ヤマ(管理人) いやいや、こういうものほど実感として伝わりやすいものです。 (TAOさん) 私の禁煙なんて、ほんとに行きがかりで。。。昨年までいちどたりとも禁煙したこともその気もなかったし、喫煙者への風当たりが強くなるに連れて、ぜったいやめないぞーと思ってたくらいなのに、義父の死やその他いろんなめぐりあわせをきっかけに超ヘビースモーカーの夫がある日やめるといいだし、じゃあ、私もと、あきれるほどすんなりやめたんですよ。憑き物が落ちたように。なまじ意志の力なんかでは、こうはいかなかったと思います。 ヤマ(管理人) さもあらん、さもあらんって感じですね。 稀に行き掛かりを必要としない人もいますが、それはそれで、それだけの馬力を自ら生み出せるだけに思い込みもまた強くって、ちょっとついていけないようなとこがあり、僕自身の身の置き所には据わりのいいところがありません。 (TAOさん) そうそう、まさにそうなんです。 思い込みの強さに対する警戒心というか、違和感というか、そういうの、大きいですねえ。 ヤマ(管理人) 一致強迫とでもいうんですかね(苦笑)? 僕なんか一致以上に差異のほうに関心があって、そのうえでの共感みたいなものが嬉しいんだけど、共感に留まらない一致や同調を求められるとついつい退いちゃって。 (TAOさん) なんらかの危機感を持ちながらも、それゆえに身動きとれずにいる人、とても多いんじゃないでしょうか。そして、それをいいわけに、また流されてく(とほほ)。 ヤマ(管理人) やっぱ言い訳って面、ありますよね(苦笑)。情けない話ですが、腰が据わらないんですよね(苦笑)。 (TAOさん) まあ当分は、ああでもない、こうでもないと、粘り腰で身の置き所を探すしかないんでしょうね。 ヤマ(管理人) そうですね、僕もそんな感じです。 (TAOさん) せめてそのくらいのしぶとさは発揮したいものです。 ヤマ(管理人) あ、影ぐらいめっけられるかな、僕の書いたものにも。どうもありがとう(笑)。 ----------この作品が捉えようとしていたもの------------ (TAOさん) ところで、話を『ラスト・サムライ』に戻しますが、映画に即して言うと、日本人でさえわかりにくい幕末期の複雑な事情をよく描いていたと思います。 ヤマ(管理人) 近世を終えて近代の黎明期たる明治の初期に入っていましたから既に幕末ではありませんでしたが、急速な近代化に伴う複雑な事情という点では、幕末期と同様にまだまだ混沌としていた時代のことではありましたね。 (TAOさん) しかもアメリカ建国時の先住民族の問題とパラレルに見せて普遍性を持たせていましたね。 ヤマ(管理人) これ、非常に重要なとこだったように思います。 日誌にも綴ったスピリチュアルについての普遍性のみならず、先住民虐殺→『ソルジャー・ブルー』→ベトナム戦争→イラク攻撃っていう連想をも促していましたからね。 (TAOさん) かつ娯楽作として成り立っているところ、さすがでしたね。 ヤマ(管理人) 何と言っても、ここんとこに痺れちゃいますよね〜。 (TAOさん) このお正月は、たまたま映画を見ずにMTVばかり見ていたのですが、MTVジャパンの2003トップ100などを見てると、その70%以上は形骸化した和製ラップや歌姫気取りの和製R&Bばかりで、よく言えば脱力、悪く言うと非常に退廃的に見えるんです。 ヤマ(管理人) ロック世代のTAOさんから見ると、情けなさひとしおなんでしょうな(笑)。 (TAOさん) でも、アメリカのチャートを見ると、映画『8マイル』のエミネムをはじめ、脱力とは対極的に力強いアーティストがけっこういて面白いんですよ。あーアメリカにはまだまだ自浄作用があるなあと感心しました。 ヤマ(管理人) カウンターカルチャーっていうのが、結局のところ日本には根付きませんでしたからね〜。 でも、なんていうのかなぁ、井上ひさしの『きらめく星座』みたいな芝居に窺えるようなしたたかさっていうか、しぶとさみたいなのが日本人のメンタリティにはあったような気がするんですが、それが、体制も反体制も丸々アメリカナイズみたいな戦後のアメリカ一辺倒で50年も来てしまって、失われちゃったような気がしますね。 僕自身を振り返っても、しぶとさみたいなの影も形もありませんもの(たは)。 (人魚さん) ヤマさん、お正月はのんびりでしたか? ヤマ(管理人) えぇえぇ、映画の1本を観るでもなく、屠蘇さえ口にせず、ごろごろと過ごしておりまする(笑)。 (人魚さん) 『ラスト・サムライ』ですが、「ブッシュ政権への愛想しか視野にない形でイラクへの武装派兵という禁じ手を小泉政権が断行しようとしているときに、こういう作品を観ると少々複雑な感慨を誘われる。」とのことで。 本当にそうです。今の時期にとくに日本人として集団殺人って見たくないな〜と思う映画です。 この企画はテロ以前なのかな? トムはどういう気持ちで企画したのか、いつか? など知りたいですね。 ヤマ(管理人) 企画はいつだったんでしょうね。例のテロから一年半ほど後に当たる去年の日本アカデミー賞の時期に『たそがれ清兵衛』で主演男優賞を受賞した真田広之がオーストラリア・ロケで欠席し、中継放映されたことを覚えています。 (人魚さん) 単なる武士道への憧れだけか? いろいろ思ってしまいます。 ヤマ(管理人) 完成前に、かなり強引な形で米英によるイラクへの軍事攻撃が開始され、結局、戦局は当初の公式発表と違って泥沼化しましたからねぇ。影響はあったのかもしれませんね。 観ようによっては武人を讃えているようにも見受けられがちですが、戦意高揚的なプロパガンダの匂いは僕にはしませんでした。 ----------表現としての映画に対する二つのまなざし------ (サルベージさん) ヤマさん、あけましておめでとうございます。今年もよろしく。 ヤマ(管理人) ようこそ、サルベージさん、あけましておめでとうございます。 こちらこそ、今年もよろしく。 (サルベージさん) かなり遅レスで『UNLOVED』ですが、 ヤマ(管理人) 確かシューテツさんが投げかけてくださってたような気が…。 (サルベージさん) ヤマさんは観てないので、突っ込んだ話はせずに言うと、私の場合「何を表現するために作られた映画か?」ってことを第一に考えながら映画を観る見方をしているようで、『UNLOVED』もそういう見方で観た結果、主人公の「今の生活で満足し、周りに決して流されない」女というのは、今風に言えば「スローライフ」の象徴で、対する男2人が「上昇志向のある」ファーストライフのそれぞれ成功者と敗北者で、成功者の男が女を自分のスタイルに、そして女が敗北者の男を自分のスタイルに引き込もうとすろ話を通して、ライフスタイルのぶつかり合いを描いている、という、いかにも作りモノっぽい映画に思えました。 何しろ演出が、カメラはほとんどフィックスで、画面の中では通常2人の登場人物がほとんど立ったままで、台詞をかわりばんこに棒読みで明確に言うという演劇風なものなので、日常会話らしさは全くなく、むしろ単なる「台詞による格闘技映画」としても通用するくらい、様式的に面白くできた映画でした。 ヤマ(管理人) なかなか面白そうですね。 「台詞による格闘技映画」と示唆されて僕が真っ先に想起するのは、ベルイマンの『秋のソナタ』なんですが、あんな感じとはまた違うんでしょうね。 (サルベージさん) でも、他の人は映画は現実の再現として観るリアリズム寄りの見方をする人が多いみたいで、 ヤマ(管理人) 「映画は現実の再現として観るリアリズム寄りの見方」と「何を表現するために作られた映画か?を考える見方」ですか、興味深い対照ですね。 僕は、個々の作品によって使い分けて観ているような気がします。どっちが好きかと言われると即答できないほど、どちらにも関心大ですね。で、この話、『ラスト・サムライ』にも及んでくるわけですね。 (サルベージさん) ああ、そうですね。私も、それぞれの映画に対していろんな方向からの見方が出来る中で、一番スッキリ納得できる見方を探していると言った方が正確ですね。 ヤマ(管理人) そうそう。それです、それです。 (サルベージさん) それで私としては結果的に『UNLOVED』も『ラスト・サムライ』も、リアリズムで観てもしょうがないということになったわけですが。 一般的には『UNLOVED』では、「ああいう女の描き方は考えられない」という批判が多かったみたいです。(ひょっとしたら、女性の方々がそうだった?) ヤマ(管理人) あ、だからシューテツさんが女性の見解を聞いてみたいとおっしゃってたんですね、きっと(笑)。 (サルベージさん) もう、私とは見方が180度違っているんですよねえ。でも、「周りに流されない」役は男にあてがうのが自然で、それをわざわざ女にあてがっていること自体、この映画はリアリズムではない(特に性別の違いに関して)ことを示していると思うので、現実の男女の違いを元に考えるのはどうかな? と思うんだけど…。 ヤマ(管理人) 「周りに流されない」を以て性別の違いというのは、かなり思い切った見解ですね(笑)。 (サルベージさん) あ、これは「現実に、女はつるんで行動することが多いから」ぐらいの根拠しかなかったかも(笑)。よくよく考えたら、映画的には女の方が男より精神的に自立していて強いという設定にした方が、1対1の関係として一番しっくりくるという理由の方が大きいかも。 ヤマ(管理人) そう言えば、映画に出てくる女の人たちは皆々こぞって強いですね、特に最近(笑)。それって、現実の反映だとか思ってたんですが、こういう側面もあるのかって、ちょっと新鮮でした。なるほどねぇ。 (サルベージさん) ところで、『UNLOVED』に向けられた批判と同じことが『ラスト・サムライ』でも起きていると私は思うんですよ。 ヤマ(管理人) 来たぞ〜、『ラスト・サムライ』!(笑)。 (サルベージさん) 私はあの映画は、トム君が異文化と出会って変わっていく話を彼の目から描く映画で、 ヤマ(管理人) そうですね。アル中からの脱却でしたよ。 (サルベージさん) 侍はそんな話にふさわしいキャラクターとして描かれることが、時代考証なんかより重要なのはフィクションなら当然で、実際そうなっていたことに感心したのですが、 ヤマ(管理人) そうです、そうです。 でも、史実には則ってなくても、時代考証的にはトンデモ話だとは思わなかったんですが、僕。 (サルベージさん) でも他の人たちは、トムの立場で観るというより、日本人である自分の目で観て、自分たち日本人が立派に描かれていると喜んだり、逆に時代考証判定人であるかのように、実際の侍との違いを批判したりしているのを目にすると、「ど〜もねぇ〜〜…」っていう気分になるんですよねぇ。 ヤマ(管理人) これ、理想化とか、いいとこ取りとかってことではない「時代考証」からの批判というのは、例えば、どういうものが出てきてるんですか? (サルベージさん) 単純に、渡辺謙が英語ペラペラなのが変だとか(でも、あの映画は確か明治10年頃の話で、その頃だったら英語は変じゃないと思うけど) ヤマ(管理人) そうですね。 田舎暮らしの勝元の英語の件は、割とよく感じられてる違和感みたいですね。まぁ、明治政府の参議をやってたんだから、大村一派と対立するまでは、彼は田舎暮らしではなかったでしょうが、ちょっと達者すぎましたかね〜(笑)。 でも、英語よりゃオランダ語だろうって思われたりもしているようですが、オランダが優位を占めてたのは江戸時代の話で、幕末以降は既に米英仏でしたからね。当地出身の坂本龍馬が、五箇条のご誓文の基になったとも言われる「船中八策」に「上下議政局を設け、議員を置き、万機を参賛せしめ、万機宜しく公論に決すべき事」なんて項目を挙げたのも、土佐藩の絵師河田小龍から、ジョン万次郎経由のアメリカ事情というものを教わってたことが大きいようです。 小龍は絵師なんですけど、万次郎を通じて英語を習ってたようですし、サルベージさんがおっしゃるように、江戸期を過ぎて明治の世も二桁を数えようとする時期なれば、英語のできる参議がいたとの設定を映画でしてたってヘンじゃないとは思うんですけどね。 (サルベージさん) 忍者だとか甲冑が時代に合ってないとか、そんなところが変だから『ラスト・サムライ』はダメ、というところで止まってしまっている意見を結構見かけましたよ。 でも、例えば日本の時代劇に対して、お歯黒の女がほとんど出てこないのは変だなんて指摘はほとんど見かけないわけで、『ラスト・サムライ』に対してだけうるさく言う人は、時代考証判定人気取りであの映画に臨んだんじゃないでしょうかねぇ? ヤマ(管理人) 確かに甲冑は戦国時代っぽかったですね(笑)。でも、たいしたことじゃないですよ。 忍者と言えば、先々月、東京ヴォードヴィルショーの『その場しのぎの男たち』という、ちょっと僕ら男には痛いタイトル(笑)の三谷幸喜作の芝居を観たんですよ。三谷作だから、シリアスものじゃないんですが、明治24年の大津事件を題材にして、伊藤博文や松方正義や陸奥宗光らの難局に臨む際の思いつき任せのその場しのぎ策が次から次へと面白いように外れて、思いっきり翻弄されるさまを滑稽に描いた芝居でした。 そこに元“くノ一”っていう女中が登場するんですよね。でも、それがまた面白くって、ね。明治10年どころか24年でも、まだ元忍者とかいってやってるわけですよ、外国人劇作家でなくても(笑)。 『ラスト・サムライ』以上に明瞭に史実を借りたフィクションなんですが、明治の政治家たちのキャラが実にそれらしくって快作でした。でも、これを観ていると、つくづく男はしょうがねぇなぁという気になって、次第に笑うに笑えなくなってもきたもんでした(苦笑)。 (サルベージさん) それから、『たそがれ清兵衛』の庄内弁は、幕末のころの訛り具合のままだと字幕をいれなければ理解できないはずで、それを10倍とか100倍とかぐらい薄めた庄内弁が話されていたと思われることもほとんど指摘がなかったのは、みんな気付かなかったからでしょうかねぇ? ヤマ(管理人) そうですよね。井上ひさしの芝居に『國語元年』というのがありますが、あれも明治になって日本人同士の言葉が通じるようにするために「國語」という標準語というものを作ろうとした当時の一大困難を面白可笑しく、含蓄豊かに描いた芝居でした。 うえに書いた河田小龍が呼び出されたのも、おそらく既に殆ど日本語を忘れていたらしいジョン万次郎に日本語を思い出させるうえでよそ者では対処できなかったからなんでしょうね。また、明治には言文一致運動なんかも起こったりしましたが、当時話し言葉と書き言葉は大きく違ったものでしたから、学問があって、かつて書き言葉を習得していたのならまだしも、万次郎は田舎の漁師の少年が漂流して渡米しただけですから、かなり忘れていたらしい日本語を思い出させるうえでは、絵という形でも意思伝達できる同郷人というのが必須だったんでしょう、きっと。 (サルベージさん) そんなわけで、時代考証にリアリティがあると思われる映画でも、専門家以外には気付かない間違いがいくらでもあることが予想できるから、完璧にできないことにうるさくなってもしょうがないと思うんですけどねえ。私の場合、1970年頃の時代でも、もう何とも言えないですね。 ヤマ(管理人) でも、これって間違いってことになるんでしょうかね。極端に言うと、お能のような言葉で喋るのを字幕という形で『たそがれ清兵衛』観たいとは思いませんもの(笑)。 (サルベージさん) それから、武士道って『壬生義士伝』みたいに藩や主君のために戦うことで、『ラスト・サムライ』みたいに民のために戦うというイメージが私にはないのですが、 ヤマ(管理人) あの映画の義士吉村貫一郎の武士道っていうのは、僕は、そういうものとはひと味違う、それこそ『ラスト・サムライ』で僕が受け取った「とことん自己と対峙しようとするサムライ・スピリット」に近いものだったように思ってるんですが、少なくとも「民のために戦うというイメージ」っていうのは、武士道とは繋がらないものですね。 (サルベージさん) 『ラスト・サムライ』で描かれていることは「民のために戦うというイメージ」の設定があってこそのもので、決して「正確な武士道」を描くための映画ではないと思うのですが、そんな映画に対して「武士道を描いていない」なんて批判を目にすると、それってちょっと…、ねえ…(以下省略)。 ヤマ(管理人) そうです、そうです。この作品が正確な武士道を描くためのものではないというのは、全く以て同感ですね。もっとも、『ラスト・サムライ』に描かれたサムライ・スピリットについて、僕は「民のために戦うというイメージ」を特に感じ取らなかったんですけどね。 (サルベージさん) 仮に武士道を正しく描く映画を作ったところで、良くても「昔はこんな人々がいたなぁ…。」止まりの感想の映画で、「今、何故この話なのか?」という課題が付いて回ることになるのではないでしょうか? ヤマ(管理人) これってキーワードの一つですよね。僕は、映画というものは優れて同時代性に意味を持つ表現だと思っています。それはリバイバル上映ということをも含めて、なぜ今ってことです。 リバイバル上映や回顧上映とかいうことについては、特に、映画は映し出されなければ、ただのフィルムであって映画ではないってことと、とても密接に繋がっているものだとも思ってます。 (サルベージさん) 『ラスト・サムライ』的なアプローチで、現代にも通じる話の映画を作る方が自然だと思うんですけどねえ。 ヤマ(管理人) 同感ですね〜。 (サルベージさん) だいたい、アメリカ映画が日本人を喜ばせることを第1目的として作られることなんてあるわけないのに。アメリカ人が観ることをまず意識するのが当然なのに。 ヤマ(管理人) それはそうですね。 でも、近頃はハリウッドは日本市場を相当強く意識しているようですよ。 (シューテツさん) あっ、それとこの場でなんですが、サルベージさん(はじめまして)の『UNLOVED』に関する書き込みは非常に興味深く読ませていただきました。ありがとうございます。あと、『ラスト サムライ』との関連付けもお見事です。 (サルベージさん) そんなわけで、自分とは180度違う映画の見方をする人がたくさんいる中で、でも私としては『UNLOVED』の主人公の女性の台詞で言うと、「私はこういう生き方(見方)しか出来ないの!」っていうことなんですけどね。 ヤマ(管理人) 右顧左眄するよりも遥かにいいんじゃないですか(笑)。 サルベージさんの感想も拝見しましたが、「異文化接触ものにありがちな、神秘主義を持ち出して曖昧さに逃げることもしていない」ってとこは全く同感で、大いに注目されるべきところですよね。 スピリチュアルをキーワードとしながら、神秘主義へと逃げていないのは、非常に気持ちのいいところです。 (サルベージさん) 周りに流されずに、自分の信じるままに観るという。こういう気持ちって、私だけでなくネットで映画についての意見を主張している人は持っているものだと思うのですが、それにしては『UNLOVED』の彼女に対する理解が少なかった気がするのは…、うーん、なんでだろう? ヤマ(管理人) ふーむ、ますます気になってくる『UNLOVED』!(笑) (サルベージさん) ただし、私の見方の方が客観的で公正とは言えるかもしれないけど、クール過ぎて、狭い視野でのめりこんで観る人ほど映画を楽しめてないかもしれないし、 ヤマ(管理人) ドキッ!(苦笑) 僕もヤバイかな〜。 (サルベージさん) 少数派だったら単なるヒネクレ者と言われてもしょうがないので、その点では全然自慢にならないのかもしれないんですけどねぇ…。(^^;) (シューテツさん) どうやら私も「UNLOVEDな映画ファン」の1人のようですね(笑)。 ヤマ(管理人) いいじゃないですか、そういうヒネクレ者って。 「全然自慢にならない」ってのはそのとおりだと思いますが(笑)、お互い楽しく確信的に、てんでに大いにひねくれましょうよ。 (サルベージさん) あ、このへんのくだりは、独りよがりにはならないと表明しているだけです。別に卑屈になっているわけじゃないです(笑)。 ヤマ(管理人) 了解してますよ、もちろん(笑)。 (サルベージさん) これがないと、本当にUNLOVEDになりそうで、正直それは避けたいので…(笑)。 |
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by ヤマ(編集採録) | |
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