『スパイダー』をめぐる往復書簡編集採録
チネチッタ高知」:お茶屋さん
ヤマ(管理人)


 
(ヤマ)
 お茶屋さん、こんちは〜。
 昨日の『スパイダー』やけど、日誌綴る気が起こらんかったき、例によってのメール(笑)。 やっぱりクローネンバーグらしい「壊れた(笑)」映画やったね。


(お茶屋)
 にゃはははは。日誌を綴る気が起こりませんでしたか(笑)。


(ヤマ)
 うん、書くとボヤキばかりになりそうで(笑)。


(お茶屋)
 私はおもしろかったんだけどねえ。


(ヤマ)
 きっと、そうやろうと思うたけどね(笑)。


(お茶屋)
 あやや、お見通しでしたか。


(ヤマ)
 お茶屋さんが「チネチッタ高知」の掲示板でガビーさんへの返信(1123)に書いていたように、あの映画を「まったく主人公の主観世界で、しかも論理的でない世界なので、パズルがうまく出来あがるはずはないわけで、出来上がるはずのないパズルを、ああでもないこうでもないと、組合せてみる(想像してみる)のが面白い作品」だと言えば、まさにそのとおりで、だからこそ、お茶屋さんが楽しんだ様子はよく判るんやけどね(笑)。


(お茶屋)
 掲示板でのみわさんへの返信(1122)にも書いたけど、レイフ、ガブリエル、ミランダ出演で、見る前から必勝パターンだったもの(笑)。それに、クローネンバーグにしては、特に壊れているとも思わなかったしぃ(笑)。


(ヤマ)
 この「にしては」ってとこに、かなりの高下駄が履かされてるような気がするんだけどなー(笑)。


(お茶屋)
 そう言ったのは、「壊れてない」と断言するほどには自信はないし、壊れているかどうか考えてもなかったので、保険を掛けといたの(笑)。


(ヤマ)
 壊れ方の「程度」の問題ではなかったわけやね、なるほど。
 あの作品は、まぁ通常に解すれば、精神を病んでまで母殺しの記憶を置き換えていたデニス・クレッグが、自身で隠蔽していた事実に自ら向かうに至る魂の遍歴ということになるんやろうけど、なぜ彼が母親を殺害するに至ったかはまだしも、記憶を捏造してまで隠蔽していた事実に、なぜ向かって行ったのかが全く以って不明で、なにやら観客に明かすためだけに作劇上で辿った魂の遍歴みたいで、妙にすっきりせんかった(笑)。
 しかも、辿り着いた事実さえもが、映画のなかでは、まるっきり彼の主観世界というか記憶だったりするから、最後のあれが事実なのかどうかもわからんし(笑)。
 それに、抑圧していた記憶の復元と解するうえでは、そこに至った要因が提示されていないことに加えて、彼が精神を病んでいるという設定であることが、更に、最後に明らかにされた事実のように見えることさえも、必ずしも事実だとは受け取りにくい落ち着きの悪さを観ている側に残しちゃうよね。


(お茶屋)
 それは、もうおっしゃるとおりでありまして、だからこそ面白いのではありませんか?


(ヤマ)
 うん。きっと「だからこそ」と返ってくると思った(笑)。


(お茶屋)
 なぬ? ここもお見通し?(笑)


(ヤマ)
 そりゃ「出来上がるはずのないパズルを、ああでもないこうでもないと、組合せてみる(想像してみる)のが面白い」なんてこと、掲示板に書き込んであるんやもの(笑)。


(お茶屋)
 クローネンバーグは、この映画を推理小説のように論理的な結末の映画にしたかったわけじゃないでしょうから、すっきり割り切れないのは当然で、その割り切れなさから発して、観客にも「ああでもないこうでもない」と妄想して欲しいんじゃないのかな?(笑)
 私は妄想したから楽しかったよ。


(ヤマ)
 これまでの行状からして、ま、そーゆーことだよね(苦笑)。でもね、今回はいつもに比べて、この「私は妄想したから楽しかったよ」ってとこが、かなりコアなファンでないとむずかしかったのかもって気がしたんだよね〜。


(お茶屋)
 う〜ん、そうですかぁ。
 もともと心と記憶って不可解じゃないですか。その不可解さを『メメント』のような論理性抜き、『ビューティフル・マインド』みたいな客観的な側面も抜きで、限りなく主人公に寄り添って、ずぶずぶと描くのがクローネンバーグ流なのでは?


(ヤマ)
 それは、もうおっしゃるとおりでありまして、だからこそいつも壊れているんじゃありませんか?(笑)


-----*今回も壊れていたのか? クローネンバーグ!------


(お茶屋)
 いつもは壊れてるけど(笑)、今回はそうでもないと思うんですよね〜。
 壊れている作品って、クロちゃん自身の思いがいろいろあって、その思いが先行しているのでしょう? 言い換えれば、物語の主人公よりも、クロちゃん自身の思いに寄り添って、ずぶずぶと描いた結果、作品が壊れてしまうという・・・。


(ヤマ)
 ふむふむ、確かに。これまでの「クロちゃん壊れの法則」と違って、確かにこのパターンじゃないなぁ(納得)。


(お茶屋)
 で、今回は主人公に寄り添うことに徹していて、破綻はないように思います。


(ヤマ)
 けど、今までのパターンと違うからと言って、それが壊れてないことを保証するもんでもないと思うけど(笑)。Aの壊れ方をしていないことが、Bその他も含めて、壊れていないこと自体を示すものではないよね。


(お茶屋)
 それはそうですけど、そんなに壊れてた? 別にファンの贔屓目で壊れてないと言っているつもりはないんだけど、私の目が曇っているのかな?
 この映画は、デニスが自分の故郷に帰ってきて、彼自身のパズルを完成させようとするけれど、そのパズルが完成するわけもなく、また、去って行くという、ものすごく単純な構成で、破綻のしようがないと思うし。


(ヤマ)
 それはそうだなー。だから、構成的破綻ということではないんだね。
 いや、でも腑に落ちない構成になっているから、やっぱ構成的破綻だよ。だって、最初に言ったように、母殺しの記憶を自身のなかで改変してたってことでしょ。それが、なんで真実へと向かう魂の遍歴をするのよ。 誰のために? 何のために? 観客のために、物語のためにって話はないよね〜。
 しかも、最後の真実とおぼしきものさえも、記憶という主観世界のなかのものでしかないんだからなー。


(お茶屋)
 うん、そうですね。母親が殺されたか(死んだか)どうかもあやふやだし。だから、主人公の心の外の真実はどうでもいいんじゃないのかな?


(ヤマ)
 そういうことなんだよね。主人公の心のなかを描くだけだから、主観オンリーでOKってことなんだよね。


(お茶屋)
 そうそう。
 観客が事実はどうであったか想像する楽しみはあるけれど、観客の想像が当たっているかどうかの確証は、映画のなかにはないですし。←それで破綻していると言われているのかな?


(ヤマ)
 一番の理由はどうもこれやったみたいね(苦笑)。
 事実的確性を与えずともよしとできる言わば作劇的口実のようなものが、主観オンリーの魂の遍歴であるのは仕方がないにしても、隠蔽された真実にデニスを向かわせたものが何だったのかが不明なのが、僕は妙に気に入らなかったみたい(笑)。


(お茶屋)
 あ、でも、確かに普通は「確証」を与えてくれていない作品を破綻しているというのかもね。特にミステリーやなんか。で、『スパイダー』をミステリーっぽく受け取った人は、破綻していると思ったかもしれませんね。


(ヤマ)
 あ、ますます得心が(笑)。
 僕は確かにデニスの魂の遍歴を謎解きミステリーのような気持ちで観てたようやね。ゴールとしての、そうか、そういうことだったのかって視線というわけや。んで、せっかくシュート決めた気になってるのに、審判がピピーと笛を吹いてくれんもんやから、そんなんルールとちゃうやいかって気分になるわけやね、きっと(笑)。
 しかし、面白いなぁ。そういう意味じゃ『マルホランド・ドライブ』には、この作品以上に自分のなかで判定留保せざるを得ないままのことが多いのに、壊れてるーとか思わなかったもんね。むしろ納得と感心やったし。
 あ、そーか、シュート決めた気になれてないモンね、笛が鳴らないことに不満が生じるはずもないってことか(笑)。


(お茶屋)
 あ、自分でボケて自分で突っ込んでる(笑)。
 私は、この映画は母親不在を自分に納得させるために、記憶力、妄想力(?)を駆使したというだけの話だと思うようになったんです(というか言葉に出来るようになった)。


(ヤマ)
 この「母親不在を自分に納得させる」というのが、言わば、デニスに魂の遍歴へと向かわせたものだったわけね。なるほど。


(お茶屋)
 それがどうしたと言われればニの句が継げなくなるのですが…(事実、映画を見終わった瞬間、「それがどうしたって思われる映画だよね」と思ったのであった(爆))、


(ヤマ)
 なんとまぁ、身も蓋もない!(笑)
 しかし、これでもう既にファンとしての擁護態勢に入っていたわけだ(笑)。


(お茶屋)
 うん、そう(^_^;。自分でも「それがどーした」と思っているわけだもんね(^_^;。


(ヤマ)
 まぁ、デニスにモロに感情移入できちゃうと逆に哀しいしね、特に男は(笑)。「それがどーした」的対象化ができるところで、けっこう安心が得られる部分というのはあるかもしれない。
 そういう意味では、この作品って癒し系かも(まさか!)。


(お茶屋)
 ただ、一応、主人公がなぜ、そのような妄想をしたのかという根拠は、示されているように思うんですよね。当初の記憶では「父が娼婦的愛人とつるんで最愛の母を殺した」と思っていたらしいデニスが、なぜ、そのように思ったのか(思いたいのか)という点は、ちゃんと描かれているように思うのですが。


(ヤマ)
 あ、これには全然疑問を持ってないよ。
 逆に、その思いからどうして抜け出し、真実(?)に向かおうとしたのかってことが、僕には今ひとつピンと来なかったというわけだ。「母親不在を自分に納得させる」ということにしたって、なんで今になってその必要性が生じてきたのかってことだよ。
 けど、お茶屋さんが言ってるように、「出来上がるはずのないパズル」つまり、辻褄が合ってピタッとはまるはずもないパズルを意図的に作っているのなら、「壊れている」というよりは「壊している」ってとこだろうね。そこんとこが、これまでのクロちゃんテイストと微妙に異なるとこかも(笑)。


(お茶屋)
 それにヤマちゃんは、監督自身の脚本のときが壊れていると言ってたじゃないですか。今回は監督自身の脚本じゃないらしいで(笑)。


(ヤマ)
 確かに、確かに。今回は、原作者が脚本を書いたみたいだね。ピタはまりを好まない体質が似通っている方なのかも(笑)。


(お茶屋)
 そこまで言う?(笑)。


-----*フツーっぽさは、今回どうだったのか?-----------


(ヤマ)
 まぁ、母親に対して、酒好きの側面や生々しい女としての側面を拒否したい少年心や自分に対して義務的役割以上の関心と愛情を寄せてもらえないように感じることの孤独感とかいうのは、けっこう普遍的な感情ではあるものの、その面での描出は平凡といえば平凡で、これといった切れがなかったように思ったけど、そのへんはどうやった?


(お茶屋)
 う〜ん、そうね〜。母親のシュミーズ姿にたじろいだり、両親が出かけるのを取り残された気分で見送ったりと、そういう部分では平凡かも。


(ヤマ)
 そやろー、そやろー、クロちゃんらしからぬフツーっぽさやも。もっとあざとうに来にゃ(笑)。


(お茶屋)
 いやいや、あざといばかりが芸ではありません。とかばう(笑)。


(ヤマ)
 ファンはありがたいねー、そりゃそうだ、それだけが芸じゃないよね(笑)。


(お茶屋)
 リンチだって『ストレート・ストーリー』でリンチらしからぬフツーっぽさやったじゃん。リンチがフツーならクロちゃんだってフツーだ!←妙な論法(笑)。


(ヤマ)
 そうか、『ストレイト・ストーリー』が出てくるわけか(笑)。しかし、僕的には、リンチは元々健康的な奴なんだけどなー。かたやクローネンバーグは元々そういう健康さ持ち合わせてない感じよ。『クラッシュ』やで〜『クラッシュ』!(笑)


(お茶屋)
 く〜、『クラッシュ』を出されたか〜(笑)。リンチのどんな作品を出しても、健康的って言うだろうから、こっちは部が悪いよ〜(笑)。


(ヤマ)
 はは、リンチが登場した時点で、ハナからクロちゃん分が悪いよね(笑)。


(お茶屋)
 う、リンチを出して墓穴だったわけね(苦笑)。
 ただし、平凡とは言いながらも、父親と愛人と母親のそれぞれについて、してほしいこと、してほしくないことやなんかがごっちゃになって描かれているのが面白かったですね〜。例えば、橋の下の(文字どおりの)手練手管シーン。


(ヤマ)
 あり? あれは、やっぱり母親とは別人の愛人? 僕は、あの映画の派手な女は、別人と思いたいデニス少年の願望であって、実は母親の別面にすぎないと受け取ってたんだけど。


-----*金髪と黒髪は、別人だったのか否か。-------------


(お茶屋)
 もちろん、そういう見方もできると思います。父親に愛人がいたというのは、デニスの妄想なのかもしれません。でも、そうだとも限らないですよね。母親のいなくなった後、継母となった女性は(実は母親の別の面というのは置いといて)、愛人とも違う女性かもしれないし。何せ、デニスには、女性が全て母親の顔にみえてしまうもので。
(デニスが精神科の野外作業中に裸の女性の写真を見たときに、その女性の顔が母親の顔になったので、映画の文法としては、そのとき以降母親の顔で出てくる女性は、母親じゃないと考えるのが自然のようにも思うし、いやいや、やはり、どっちでもいいでしょうとも思う。)


(ヤマ)
 そうか、そっち側にいくわけか、なるほど。
 母親に対して母親でない別人の顔を貼り付けると観るか、女性の全てが母親に見えてしまうと受け取るか、か。これは思ってもみなかった視点だな〜。
 裸の女性の写真を見たときに、その女性の顔が母親の顔になったというのは、僕は、母親への性的欲望を示していると思ったんだけどな。


(お茶屋)
 とにかく、父親をパブに迎えに行ったとき、おばさんに乳房を見せられた衝撃と、精神科で野外作業を共にしていた患者仲間の影響もあって、デニスの女性観は歪みましたね〜(^o^)。


(ヤマ)
 パブのあの場面は序盤だったから、観る側としてはそのとき当然別人と思って観たけど、後から思うに、あれがデニスにとってのもうひとつの母親の顔だったのか、と。家では見せない母親のもう一つの側面って受け取ったんだよね、僕。


(お茶屋)
 そう? 家のシーンでは、金髪の女性は本当の母親なのか、母親の顔をした別人なのか、私も悩ましかったんだけど、家の外では別人だと思ってた。


(ヤマ)
 ここが大きく違ってたねー、僕とお茶屋さんとで。


(お茶屋)
 で、パブでの乳房の場面だけど、う〜ん、あれは別人でしょう。もし、あれが母親のもう一つの側面なら、この映画は壊れています!(笑)


(ヤマ)
 そこは案外、僕はそうは思ってなかったりする(笑)。


(お茶屋)
 えー、そうなの?


(ヤマ)
 だってほら、お茶屋さんとのやり取りで判明したように、僕が壊れてるって思っているのは、ゴール決めても笛が鳴らないサッカーみたいなもんだってとこだから、例の母親と女が同一人物であるか否かというのは、スタジアムがホームかアウェイかってな条件の違いみたいなもんで、そりゃ、それによってゲームも変わってくるけど、サッカーやるってことに変わりはないよね。
 でも、このスタジアムの違いって、なんか面白いな〜。


(お茶屋)
 ですね(笑)。
 ところで、デニスくん、性的には金髪の女性がお好みのようで…(笑)。そのくせ金髪女性が恐怖の対象。よっぽどパブで乳房を見せられたのがショックだったみたいですね。←これをトラウマというのかも。


(ヤマ)
 ここんとこも面白いね。性的に金髪が好みってくるのか、女のセクシュアリティの濃厚さの記号として金髪が使われるのか(笑)。


(お茶屋)
 というか、デニス君は金髪女性しか知らないんですよ。あのパブの乳房女しか。つい金髪がお好みって書いちゃったけど、彼には選択肢がないの。


(ヤマ)
 別人と観るか観ないかで、ここんとこは全く変わって来ちゃうよね。


(お茶屋)
 読み返していて思ったんだけど、金髪女と母親しか知らないので、両方選択して金髪母親顔になったのかも(笑)。


(ヤマ)
 別人と観れば、これはなるほど、というか、まさにそれ以外の何ものでもない気がするな。
 でも僕は、例の母親と愛人を、同一人物に対する記憶の歪みと受け取ったから、濃厚な性的香りを振りまくときは金髪女のイメージで、良妻賢母的な姿のときは金髪じゃないって感じ。


(お茶屋)
 それも言えると思います。ただ、デニスが怖いと思った女性も金髪に見えるんですよね。グループホームの世話人が金髪で母親の顔に見えたでしょ?


(ヤマ)
 そうだったっけ? これは今ひとつ僕の記憶の中ではぼやけてる(とほ)。


(お茶屋)
 確か、デニスが鍵束を盗んだところあたりから、金髪母親顔になったと思います。もしかしたら鍵束を盗む少し前かな?


(ヤマ)
 う、これでも出て来ん。ギヴ・アップや〜(とほ)。


(お茶屋)
 女性に対してデニスのなかでは、乳房女=性的関心&恐怖、母親=好き好き&性的関心、この二つがごっちゃになっているのでは?


(ヤマ)
 ごっちゃになっているっていうのは同感だし、通底するのが性的関心ってとこには全面賛成やけど、僕の感じた同一人物説では、恐怖と好き好きが入れ替わってくるとこが面白いな。


(お茶屋)
 母親が怖くて、乳房女(ヤマちゃん説では母親の分身)が好き好きということですか?
 ヤマちゃんの同一人物説(実は母親に疎まれていたという説)を踏まえると、それも有りですね。なっとくです。


(ヤマ)
 そう言えば、リンチの『マルホランド・ドライブ』でも、金髪だったり金髪でなかったりってのがあったよね。


(お茶屋)
 この件についてはDVDでお確かめあれ(^o^)b。


(ヤマ)
 うっ! やぶ蛇であった〜(不覚)。申し訳ないね、借りっぱなしでー(平身低頭)。


(お茶屋)
 わははは、予想どおりの反応、ありがとうございます。
 返して欲しかったらそう言うので、御安心めされい(笑)。


(ヤマ)
 お言葉に甘えまして(深々)。DVDって配線つながなきゃいかん分、ビデオよりもハードル高いンよね〜(苦笑)。
 それはそうと、デニスはねー、たぶん良妻賢母的な母を頭では望んでたんだよ。でも、その母親は、自分を蜘蛛呼ばわりして気味悪がって愛情を寄せてくれない。それでも、そっちの母親のほうがあるべき姿だとデニス自身が思ってて、憧れてもいるし、好きなんだよね、きっと。
 いっぽう、猥雑でふしだらな母の顔に対しては嫌っているんだけど、惹かれてる自分がいて、そんな酔ったときの母は、自分に対して冷たい目も向けないけど、根本的に愛してくれてるわけじゃないから、気まぐれで言わば無関心って感じ。


(お茶屋)
 へえ〜!そうなのかあ! そこまでは思ってなかったな〜σ(^_^;。なるほどね〜。


(ヤマ)
 あ、同一人物説にも興味湧いてきた?(笑)


(お茶屋)
 私は、自分を可愛がってくれるときのお母さんは大好きで黒髪に見えて、可愛がってくれないときのお母さんは大嫌いで金髪に見えて、あれは本当の母親じゃないと思いこんでいるのかと思ってた。単純過ぎ?(^_^;(継母の可能性を捨てたわけじゃないよ。)


(ヤマ)
 そっかー、同一人物だとしても、好き嫌いはそっちに行くのか〜。


(お茶屋)
 それに蜘蛛ってネガティブなイメージじゃなかったんだけど、蜘蛛と呼ばれて気味悪がられていたので、蜘蛛をポジティブなイメージに変換したのか〜! なるほどぉーーーー!
 いや〜、心って実におもしろいですね〜。そこまで想像して楽しくなかったの?(不思議)


-----*橋の下のシーンには、何が投影されていたのか。---


(ヤマ)
 そこまで想像させた上で確証をくれないことに僻んだというか、大きな不満を抱いたということみたいよ(苦笑)。ここまでさせるくせに、結局確証はくれないじゃないかって文句(笑)。それが「壊れてる〜」って非難に向かわせたような気がしてきたよ(いやはや)。
 お茶屋さんの言うところの「出来上がるはずのないパズルを、ああでもないこうでもないと、組合せて」みて、こんなふうに受け取ってたんだよね、僕は(笑)。
 ところで、お茶屋さんが平凡さに留まっていない例示として掲げた橋の下のシーンでも、少年デニスじゃなかったよね、成人デニス。僕は、少年時では叶えようのなかったデニスの母親に対する願望と観たんだけどな。父親から横取りしたかったろうし、性的にも構ってもらいたかったんだろうし。


(お茶屋)
 ちょっと近親相姦ぽいですか。


(ヤマ)
 ちょっとどころか、濃厚に(笑)。なにせ殺意に至るほどのものだったわけだから(笑)。


(お茶屋)
 そういうことも充分考えられますけど、私は他にもいろいろ考えましたよ。
 それはまた次回に。


(ヤマ)
 おお、これは楽しみ、楽しみ。


(お茶屋)
 橋の下の手練手管のシーンの金髪女は、私は娼婦的愛人だと思って見ていたのね。それで、その愛人に父親があしらわれてしまった。と思ったら父親がデニスになった、という風に見えたんです。


(ヤマ)
 黒髪と金髪にしても、父親とデニスにしても、二重写しに重なることの意味を、願望的同一視と観るか、隠蔽した本性の露呈と観るか、で全く違ってくるよね。考えてみれば、どっちもありなんかもしれんなー(妙に納得)。


(お茶屋)
 このシーンに限らず、どっちもありですよね。例えば、デニスはガスを気にしていましたが、母親をガスで中毒死させたからガスが気になったのか、ガスが気になったあまり母親を中毒死させた妄想を見たのか、どっちもありですよね。


(ヤマ)
 なるほど、なるほど。母親の死さえも、どっちが事実と異なるのかって確証はないんだものね、元々。それは当初から気づいていたことだけど、中毒死のほうを妄想と解する根拠というのが思い当たらなかった。単に全てがデニスの主観世界やから、矛盾する二つの記憶のどっちが事実とも言えるものではないという形での留保やったもんね。
 そういう意味では、ガスの臭いへの過敏体質から生まれた妄想の可能性というのは、ある種の根拠ではあり得るよね。もちろんこっちも確証提示はなしだけど(笑)。


(お茶屋)
 それで、橋の下の場面に戻ると、デニス君、にっくき父親を娼婦にあしらわせて、ちょっとおとしめたと思ったら、あしらわれたのはデニス君自身だったというわけで、乳房を見せつけられた経験となんだか重なるな〜と思いました。


(ヤマ)
 手玉に取られ、見透かされてるってコワイ存在なんだね、女は。うーん、けっこう男の心理として普遍性あるなー、辻褄も合ってる(笑)。


(お茶屋)
 金髪女が母親の顔なので、近親相姦願望があったかもとは思ったけど、ちょっと思っただけでした。


(ヤマ)
 僕はもう、それしか頭になかったんだけど(苦笑)。ねぇ、それも充分考えられるけど、他にもいろいろ考えたことって、何よ?? 教えてくださいよ〜。


(お茶屋)
 期待させてしまって、ごめんなさい。自分でもいろいろ浮かんだつもりだったんだけど、言葉にしたらアレだけのもんでしたm(_'_)m。かすかなことで霧散してしまったかもしれませんが・・・。
 手練手管のシーンは、自慰っぽい気もするよねとか、大人になってからの妄想だろうなとか、そんなつまらんことかなあ。


(ヤマ)
 別につまらんとも思わないけど(笑)。自慰のイメージは、僕もそうだと思うよ。近親相姦は、抑圧された願望に留まっていたんだろうという気がするから。でもって、続く振り払いのイメージは、母親の邪険さと同時に、デニス自身のなかにある罪悪感の反映でもあろうから、ね。大人になってからの妄想かもっていうのは、僕にはピンと来ないとこだけど。


(お茶屋)
 う〜ん、精神科の患者仲間に女はみな娼婦と吹き込まれたり、娼婦ってどんなコトするのかとか詳細に(笑)わかったのは、大人になってからかなと。子どもでも知っているかもしれませんけどね。
 デニスは、子どものときからずーっと母親がいない理由を考えつづけていたのかもしれんな〜と思ったんです。それと、この橋の下のシーンを観て、デニスは父と母の間に割り込みたかったのだと思ったことを思い出しました。それで、私は「割り込み=近親相姦願望」とは、あんまり思ってなかったことに気づきました。
 今思ったけど、デニスは母親に疎まれていたというヤマちゃん説にもしっくりくるシーンですねえ。ちょちょいのちょいで、ばっちぃみたいに振り払われて。今更ながらにデニスがかわいそうですわ。


(ヤマ)
 あの無情さの表現ってのは、なかなかのもんでしたね(笑)。弄び、卑しめるということにおいて、男に対しては実に強力だろうね。「あっという間じゃない、ちょろいのねぇ」とかいう台詞を添えると、さらに威力倍増だろうな〜(笑)。


(お茶屋)
 無情というか非情やね。やっぱ、仕事師は非情に徹すべきとか(笑)。


(ヤマ)
 笛が鳴らないとか文句を言ったけど(笑)、あの割れたガラスのジグソーパズルのイメージなんかは、それが蜘蛛の巣の文様になっていたうえに、血痕の彩りも添えられていて、なかなかよかったけどね。


(お茶屋)
 そうですね。小道具さん、がんばった(笑)。


(ヤマ)
 割れたガラスって不可逆性の最たるイメージだしね。覆水盆に返らず以上だもの(笑)。


(お茶屋)
 画面構成とか色調とか景色も好きですσ(^_^)。
 それにしても、今回の遣り取りは、たいへん楽しかったですね。特に母から蜘蛛と呼ばれ疎まれていたのを、蜘蛛をポジティブなイメージに変換することで心の傷を繕っているというヤマちゃん説は、とてもおもしろかったです。
 クロちゃんの作品は、悲哀があるのがいいのですが、母に疎まれていたとは正に悲哀。この説を採るなら、少なくとも家のなかの場面では、黒髪も金髪も母親ということになるのかな。もともと家のなかの場面は迷ったところなので、ここだけは「同一人物の別の面」説に乗り換えさせていただこう(笑)。
 ところで、これは間借り人さまのHP行きですよね?(^_^) 編集たいへんそうやねえ(笑)。


推薦 テクスト:「チネチッタ高知」より
http://cc-kochi.xii.jp/jouei01/0306-2matrix.html#spider

推薦テクスト:「銀の人魚の海へ」より
http://www2.ocn.ne.jp/~mermaid/spider.html

推薦テクスト:「eiga-fan Y's HOMEPAGE」より
http://www.k2.dion.ne.jp/~yamasita/cinemaindex
/2003sucinemaindex.html#anchor000924
by ヤマ(編集採録)



ご意見ご感想お待ちしています。 ― ヤマ ―