『キリング・ミー・ソフトリー』をめぐって
(TAOさん)
ヤマ(管理人)


  ◎掲示板(NO.4269 2004/03/29 11:47)から 

(TAOさん)
 ヤマさん、こんにちは。
 昨日『キリング・ミー・ソフトリー』を見たんですよ。以前、ヤマさんの日誌を読んで、これはいちど見ないといかんなと思っていたのを、ようやく果たせました。

ヤマ(管理人)
 ようこそ、TAOさん。あらまぁ、それはそれは(欣喜雀躍)。あれを読んでいただいたのは、もう二年くらい前ですよね〜。それで念掛けていただいて、今にして映画をご覧くださるなんて、サイト管理者としての冥利に尽きますねぇ(嬉)。

(TAOさん)
 もうそんなになりますか。

ヤマ(管理人)
 僕も日誌を開いてみて、そんなになるのかって思いましたよ(笑)。

(TAOさん)
 我ながら気が長い話ですね(笑)。歳のせいか、最近ますますその傾向が(苦笑)。

ヤマ(管理人)
 なんか近年観た作品は、いつ観たものか判然としなくなってきてるんですよね〜(とほ)。

(TAOさん)
 わはは、わかります。五年前も一年前も同じ「ちょっと前」(笑)。

ヤマ(管理人)
 最初は、ちょっと観過ぎかなーなんて思ったのですが、単なる老化でした(笑)。

(TAOさん)
 それにしても、この作品、惜しいですねえー。

ヤマ(管理人)
 でしょう〜(笑)。

(TAOさん)
 途中まですごくいいのに、ミステリー部分でカクン。それでも補ってあまりある魅力がありましたよ。

ヤマ(管理人)
 そうなんです。いろいろ触発してもらいましたよ(あは)。

(TAOさん)
 チェン・カイコー、なかなか隅におけない奴ですねえ。女性のファンタジーを壊さない程度のハードさに抑えているところなんぞ、なかなか。

ヤマ(管理人)
 ビジュアル・センスは、やっぱり流石ですよね。主題の向けどころを誤ってるのは、近年のパターンですが(笑)。

(TAOさん)
 もうFさんのレビューを読んで、大笑いしました!

ヤマ(管理人)
 これみて改めて読み直して、僕も大いに笑いました。他の追随を許さない見事さですよね〜(やんや)。ましてFさんの場合、カイコーのほうを贔屓気味というベースがあるから、余計に、あのカイコーの自慢節に漂うペーソスに味がありますね。

(TAOさん)
 ええ、あのペーソスがチャーミングですねえ。私もいっぺんでカイコー贔屓になっちゃいました。


-------女性観としての刷り込み-------

(TAOさん)
 それから、ヤマさんのアダムの女性に対する刷り込みの指摘、興味深く読みました。

ヤマ(管理人)
 恐れ入ります。

(TAOさん)
 こういう台詞って、小説やドラマでもたまにお目にかかりますよね。そのたびに、おやおや、なんと的外れな、と思っていましたが、ヤマさんの説明を読むとなんとなく納得できるような気がしました。

ヤマ(管理人)
 安手の小説やドラマで見掛けるものには、そこまでの奥行きが宿っていないことが通常ですから、特に女性が的外れ感を覚えるのは道理なんでしょうが、刷り込み的な思い込みによる部分って案外ありがちだし、拙日誌にも綴ったように、それなりに転がっていっているときには、双方ともに修正のしようがないまま進行しますからね。

(TAOさん)
 女性のほうも、いちいち訂正するのも面倒だから、そういうことにしておくかってとこがあるんですよ。

ヤマ(管理人)
 あたたたた(笑)。
 でも、それって言わば、共同正犯みたいなもんですよぉ。サツに捕まった段になって、被害者ぶっちゃいけません(念押し)。

(TAOさん)
 相手の好きにさせてあげようという思いもあるし。

ヤマ(管理人)
 んで、この選択は、女性自らの責においてしたものだという自覚もいくばくかは備えておいていただきたいとこですなぁ(笑)。そういう刷り込みに乗じてる部分もあったりしますし。
 その刷り込み的思い入れが外されるってことの例示として判りやすいのは、そ−だなー、花と蛇』の日誌で言及した『ワル』のチンピラたちが、堂々たる啖呵で切り返されたときなんかが端的なものとして当たりますね。女将のあの切り返しには、意表を突かれた思いがして然るべきですよね。

(TAOさん)
 あの啖呵は、女性から見ても胸がすくようなかっこよさですー。

ヤマ(管理人)
 実際には、なかなかおいでないんでしょうけど、思いっきりかっこいいですよね。もっとも『花と蛇』でそれやると、ぶちこわしになるけど(笑)。
 それにそういう連中は、愚鈍にも単なる負け惜しみのようにしか感受できないくらいに思い込みが強いとしたもんですが(笑)。

(TAOさん)
 あ、たしかにそうかも(笑)。

ヤマ(管理人)
 むかし読んだ劇画で、そのチンピラたちがどう反応したように描かれていたのか、覚えてないのが残念です(苦笑)。


-------アリスが迷い込んだ世界の本質-------

ヤマ(管理人)
 で、『キリング・ミー・ソフトリー』が興味深いのは、あれは無理矢理ってことでもないってとこなんですよね〜。

(TAOさん)
 ええ、そこですよね。私も見ていて、ワクワクドキドキしましたもん(笑)。

ヤマ(管理人)
 ちょっといいかもって?(笑)

(TAOさん)
 あのヘザー・グラハムの変化、ものすごくリアルでした。未知の世界の扉を開いて、新しい自分を発見する喜びにどっぷり浸ってますよねえ。

ヤマ(管理人)
 これなんですよ! これ!
 押し付けられた挙げ句に否応なく引き出されての感受ではなく、共犯的に臨むような選択と積極性が窺えましたよね。扉をこじ開けられたのではなく、自身も加担して扉を開いていくことで、まさにおっしゃるような自己革新の発見の喜びを感受していましたよ。

(TAOさん)
 ええ、特殊な嗜好性を持たない女性なら、誰しも自ら加担するほうがはるかに大きな快楽を得られるはずです。そこに至るためには、相手への信頼か、でなければなんらかのジャンピング・ボードが必要なんじゃないかな。つまり、その気にさせる何かってことですが(笑)。

ヤマ(管理人)
 そりゃ、そうでしょうね。そういう意味で、逆に信頼の証の記号としてああいう趣向が流通し始めると、これまた本末転倒って気もするんですけど、存外そうなりがちかも。

(TAOさん)
 少なくとも無理強いからは生まれませんね。でも、いつもとちがう強引さが魅力に感じられることもないわけではないので、そのへんが難しいところです(笑)。

ヤマ(管理人)
 このへんのややこしさと曖昧さっていうのが、男の側にとってもまさに難物で、女性には手を焼くとしたもんです(笑)。
 本作のアダムと『花と蛇』のチンピラたちとの違いは、まさしくその“無理矢理ってことでもないってとこ”にあって、そうなると、嗜虐的な行為も全く意味合いが異なってきますよ。ここんとこが性の奥深いところで、僕は、日誌でも綴ったように、そこに焦点を当てた性愛作品として見せてもらいたかったですね。


-------優位にあったのは、性感以上に自己発見の喜び-------

ヤマ(管理人)
 アリスの場合は、言うなれば、性感や官能は、発見の喜びをもたらしてくれる手段であって、得ている喜び自体は、性感以上に発見のほうに重きがあるようにさえ感じられました。

(TAOさん)
 ええ、それってたぶん恋愛の醍醐味でもありますよね。性愛に限らず、新しい自分を発見できなくなってくると、新しい相手と恋愛をしたくなる。それがいわゆる恋愛中毒じゃないですか?

ヤマ(管理人)
 そっか〜、相手に飽きるってことよりも、その相手との関係のなかで変わり映えのしない自分に倦んでくるって感じのほうが中毒的な病性が強いですよね、確かに。ことが我が身だけに、切迫感はまさるだろうし。
 そこのところにこそ響いてくる自己革新の発見の喜びゆえに、抗いようなく底なしに嵌まっていく感じがあって、ここんとこがなかなか巧く描かれていたように思うんですよね。

(TAOさん)
 昔、山本リンダの歌にあったじゃないですか。「もうどうにもとまらない」あのかんじですよねー(笑)。
 でもきっと男性にしてみれば、そういう女性の喜びようこそが、戸惑いの素なのかもしれませんね。なにかおいてけぼりをくらったようでもあり、どこまでいけばいいのか、とそらおそろしくなったりするんでしょうか。

ヤマ(管理人)
 これは必ずあると思うのですが、女性にはなかなか明かさないことのように思います。深入りを止められないのは、男女ともやっぱり、どっちもどっちってことなんですよね(苦笑)。
 そのうえで、性感と自己発見の両者は、もちろん切っても切れない密接さで捉えられていて不可分一体の様相を呈していましたが、そういうニュアンスが宿っているってとこが重要なんです。だから、殺人事件のサスペンスなんか、ほったらかして金曜日の別荘での線で追ったうえで、どう仕舞いをつけてくれるかってとこを観たかったのでした。

(TAOさん)
 うわー『金曜日の別荘で』もずっと見逃してるんです。また2年後くらいには見ると思うので、待っててください(笑)。

ヤマ(管理人)
 2年後ですか、こりゃ、やられましたな〜(苦笑)。

(TAOさん)
 『キリング・ミ・ソフトリー』では、新しい自分を発見する喜びにどっぷり浸るという舞い上がった状態をサスペンスの前奏曲にしてましたが、サスペンス抜きで二人がどう着地するか、私もみたかったなあ。


-------根深い禁欲主義-------

(TAOさん)
 だいたいハリウッド映画では、知り合ったばかりの相手とめくるめくセックスを体験すると、あとで必ず怖い目に遭うのはなぜなんでしょう?

ヤマ(管理人)
 イン・ザ・カットなんかもそうでしたね(笑)。

(TAOさん)
 アメリカのピューリタン的発想のような気がしてしょうがないんですが(笑)

ヤマ(管理人)
 なるほどね。子孫維持のための営みとしてしか認めない建前によってか、州によっては今なおオーラル・セックスを法で禁じているとこもあるそうですからね。

(TAOさん)
 性的な相性のよさをきっかけにした信頼関係だってあるでしょうに。

ヤマ(管理人)
 最近ではチョコレートなんかもそうでしたね。

(TAOさん)
 あ、『僕の美しい人だから』も違ってたなあ。

ヤマ(管理人)
 確かに。あれは、かなり珍しいトーンの漂う作品でしたね。

(TAOさん)
 年上のウエイトレス(スーザン・サランドン)とはずみで一夜を共にした、エリート君(ジェームズ・スペーダー)が、さまざまな葛藤の末、育ちや価値観の違いを超えて彼女に求愛するんですが、性的な相性の良さに力を入れて描写しているところが画期的だと思ったんでした。

ヤマ(管理人)
 珍しくも僕が映画を観てから、自ら原作に手を伸ばしたんですよ(笑)。手元にある文庫本には、訳者の雨沢泰の解説に加え、片岡義男の寄せた文章も納められてます。

(TAOさん)
 ラブストーリーというよりは、坊ちゃんの成長物語になっていて、ちょっとフェミニスト臭もありましたが(笑)。

ヤマ(管理人)
 原作者のグレン・サヴァンって確か男性だったように思うんですが、ちょっとカッコつけてたんですかね〜(笑)。
by ヤマ(編集採録)



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