大周鉱山跡  探検: 北の細道 大周鉱山跡

大周鉱山で水没坑道に潜る




北海道仁木町

  坑口のレベル(=高さ)を度々変更することは少ない。
当初の開発費よりその後の追加投資が大きくなるからだ。
これを最小限に食い止めるには、当初の坑口レベルをできるだけ低い位置に選定すべきだ。

選鉱所など山肌を利用して、段々と下に処理するたびに原鉱石を落としていく方法-
つまり重力と地形を利用したカスケード・システムは、
大きな整地工事を要せず、建設費を抑えられる点で有利である。

だからと言って、この方法を生かすために坑口レベルを、
その選鉱所のトップに近い高い標高の山腹に持っていく必要なない。


また本来、生産坑口の数はできるだけ少ない方が良い。
これは運搬関係などの間接人員を最小限にし、事業範囲が集約される事により、
総合能率を高め、生産性の向上が図れるからだ。

坑口の数を左右するものは、地理地形に対する鉱床の在り方そして、 資本力、運搬能力によることが大きい。

本坑には1kmの範囲内に3か所の坑口が存在したが、
それは果たして集約化の結果だったのだろうか。


赤井川村を火口とする二度の火山の溶岩の流れの谷、
つまりは外輪/内輪山脈の中間に余市川が流れ、できた平野が仁木町である。
そして連なる外輪山が貴重な地下資源を有して鉱業を発達させた。
稲倉石鉱山余市鉱山大江然別鉱山轟鉱山と外輪の各所に鉱山がある。
明治28年(1887)から昭和59年の閉山に至るまで、およそ98年間に亘り盛衰を繰り返した然別鉱山から
然別川を遡ること約5kmで大周鉱山に到達する。

本坑の歴史的経緯は謎のままだ。
町史や鉱床誌、地下資源調査資料を閲覧しても「大周鉱山」の名は皆無に等しい。
明治20年頃に発見され、一番・二番・三番坑が開削、
二酸化マンガンと菱マンガン鉱(含有銀)が採掘されたようだが、
閉山や選鉱、精錬については不明だ。




今回は初冬の積雪寸前に沢を遡る。
山中のエキスパートであるsurvival氏の力量も借りながら
狸掘りに近い、深山の小鉱山に到達する。








坑道・コウモリ・水没・・・


survival氏
( ̄u ̄;)survival氏



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